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	<title>ライアー奏者　仲正雄オフィシャルサイト</title>
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	<description>世界を舞台に活躍するライアー奏者　仲正雄が日々の思いを綴ります。</description>
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		<title>夢を語れる先生であってほしい</title>
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		<pubDate>Wed, 16 May 2012 18:51:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Masao Naka</dc:creator>
				<category><![CDATA[仲正雄ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[私にとって教育といえば先ず先生のことです。 教育の中で先生の役割は大きなものです。 大変な比重を占めているはずです。 ここでは、とかく忘れがちになる先生の存在を改めて認め、先生のお仕事を賞賛したいのです。 &#160; 先生がいないと教育は成り立ちません。 学校というのは、教育の歴史から見て、これは人類の歴史そのものですが、新しいものです。 学校は無くても教育はできるのです。 しかし先生は教育に絶　　　<a href="http://www.leier-seele.com/naka/501.html">続きを読む..</a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私にとって教育といえば先ず先生のことです。</p>
<p>教育の中で先生の役割は大きなものです。</p>
<p>大変な比重を占めているはずです。</p>
<p>ここでは、とかく忘れがちになる先生の存在を改めて認め、先生のお仕事を賞賛したいのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>先生がいないと教育は成り立ちません。</p>
<p>学校というのは、教育の歴史から見て、これは人類の歴史そのものですが、新しいものです。</p>
<p>学校は無くても教育はできるのです。</p>
<p>しかし先生は教育に絶対に必要なものです。</p>
<p>教育とは先生と生徒の間に起こる熱いドラマです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>時代をさか登ってみましょう。</p>
<p>先生はいつも権威を持って生徒の前に立っていました。</p>
<p>先生は上で、生徒は下でした。</p>
<p>この上下関係は長いこと教育の中に安住していました。</p>
<p>しかし、一大変化が起こりました。</p>
<p>シュタイナーが教育は芸術です、と言った時から、教師は芸術家に生まれ変わります。</p>
<p>ここにシュタイナー教育の斬新さがあります。</p>
<p>教師は芸術家なのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>生徒のことを忘れていました。</p>
<p>生徒は材料です。</p>
<p>先生と生徒、この二つの出会いから芸術作品が生まれます。</p>
<p>それは見えもしない、聞こえもしない、形のない無形のものです。</p>
<p>無形作品です。</p>
<p>芸術家は材料を知りつくさなければなりません。</p>
<p>彫刻家が鑿で力任せに気を削って言ったら、木はなくなってしまいます。</p>
<p>石の彫刻を作る人は力任せに石に向かうと石が壊れてしまいます。</p>
<p>粘土で彫塑をする人は、しっかりとした決断力がないといつまでたっても終りません。</p>
<p>絵を描く人は色のことをよく知っていなければなりません。</p>
<p>そして更に、それぞれの創作活動に道具が必要です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>作品を作っている時は、毎日が新しいものです。</p>
<p>昨日の続きで仕事ができることなどありません。</p>
<p>日々新たに作品に向かえる人だけが作品を完成させます。</p>
<p>芸術活動は、だらだらした毎日の連続からは生まれないのです。</p>
<p>一方、作品に取り憑かれていても、創作活動は前進しません。</p>
<p>どこかで作品と距離を保ちながら、作品と対話するのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>芸術的創作活動には終わりがありません。</p>
<p>小説家は原稿の締め切りがあるから作品が仕上がるのです。</p>
<p>締め切りがなく、「いつまでも書いていてください」では一生に一つの作品もでき上らないかもしれません。</p>
<p>教育という創作活動にも学年という単位の終りがあります。</p>
<p>あるいは卒業という終りがあります。</p>
<p>その後は子どもは独り立ちして行きます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>買われていった作品が、絵にしろ、彫刻にしろ、どの様な空間でどの様に生き始めているのかは解らないのです。</p>
<p>小説にしろ、音楽にしろ、どの様に読まれ、聞かれているのか解りません。</p>
<p>それはもう芸術家の手を離れたものなのです。</p>
<p> 卒業した子どもたちもどの様な人生を作って行くのか、先生には解らないのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>教育を芸術とみなし、教師を芸術家とみなすことで、教育が抱えている未来への課題の一つが見えて来ます。</p>
<p>やはり夢を語れることです。</p>
<p>夢の無い芸術家は作品を生み出すことは無いのです。</p>
<p>夢は人間の創造の源泉だからです。</p>
<p>これからの教育は、教師を、子どもを見る教師の目、子どもを感じる感触を育てなけれはならないのです。</p>
<p>それはまさに芸術家の完成と感覚です。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>教育の夢を語りましょう</title>
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		<pubDate>Tue, 15 May 2012 22:50:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Masao Naka</dc:creator>
				<category><![CDATA[仲正雄ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[このブログの場所を借りて、しばらく、シリーズとして教育のことを語ろうと思います。 教育です。目がくらむほど広い世界です。更に、今日教育界が抱えている問題は多岐にわたっています。 制度としての教育、経済的負担の解除などは、教育の外枠を社会的に援助する大切な仕事です。 そこを無視しては、教育が社会的に成立できないことは明らかです。 しかしそれをこのブログで語っても意味がないことも一目瞭然です。 また授　　　<a href="http://www.leier-seele.com/naka/497.html">続きを読む..</a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>このブログの場所を借りて、しばらく、シリーズとして教育のことを語ろうと思います。</p>
<p>教育です。目がくらむほど広い世界です。更に、今日教育界が抱えている問題は多岐にわたっています。</p>
<p>制度としての教育、経済的負担の解除などは、教育の外枠を社会的に援助する大切な仕事です。</p>
<p>そこを無視しては、教育が社会的に成立できないことは明らかです。</p>
<p>しかしそれをこのブログで語っても意味がないことも一目瞭然です。</p>
<p>また授業法、カリキュラムのことなどにしても、ここで語るにはふさわしい問題ではないと考えます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私が教育のことを考える時にいつも願っていることがあります。</p>
<p>先ず私は、教育とはスケールの大きな仕事だと考えています。</p>
<p>このスケールは人間か゛生きて行くことと同じくらいの規模です。</p>
<p>しかし実際にはどうかと言うと、教育は専門家たちの世界に閉じ込められています。</p>
<p>その仕事に携わっている人たちは、高学歴の優秀な人たちがほとんどです。</p>
<p>教育学者と呼ばれる人たち、教育心理学者、先生と呼ばれている人たち、教育委員会、文科省の人たち。</p>
<p>こう見ると、確かに視野は狭いとはいえず、広そうに見えます。</p>
<p>しかし、教育のスペシャリストたちの間で、優秀な頭脳の間では教育は一面的なものです。</p>
<p>では一体どうやってそこを飛び出したらいいのでしょうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それ以外の人たちはどの様に教育にかかわっているのでしょうか。</p>
<p>つまり素人は門外漢でいいのかということです。</p>
<p>親として、親戚のものとして、ただの人として、指を抱えて見ていればいいのかということです。</p>
<p>教育は、人を育てる仕事です。</p>
<p>ここが制度としての教育、優秀頭脳に振り回されると見えなくなってしまうところです。</p>
<p>教育は人を育てるのです。</p>
<p>素朴なことです。</p>
<p>しかし深いことです。</p>
<p>その視点に立てばみんなが参加出来るものになります。</p>
<p>人を育てるのはみんなの仕事です。</p>
<p>職業的な区別なんかはそこには無くていいはずです。</p>
<p>教育が、今日の様に学歴、成績というものに振りまわされている間、どんな改革案が出ても旧態依然のままです。</p>
<p>ここを抜け出すことでしか教育は新しい光の元に出ることも、新しい地平線の上に立つこともないと考えます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>では、一体教育を変えようとする時、どこに焦点を合わせたらいいのでしょうか。</p>
<p>私は教師だと考えています。</p>
<p>教師は教育の中心にいます。</p>
<p>つまり教師が変われば教育は変わると豪語するのです。</p>
<p>勿論一人とか二人と言った少数の教師が変わったからと言ってそれですぐ教育が変わることはありません。</p>
<p>教師像です。これが変わってほしいのです。</p>
<p>教師になろうとする人が心に抱く理想が今の教師像と別のものになれば、教育は変わります。</p>
<p>確実に変わるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>教育の仕事の核心は育てることです。</p>
<p>それは間違いないと思います。</p>
<p>そしてそれは人との出会いの中で、一番活発に成立するものです。</p>
<p>教育のメソードが変われば、教育の見栄えは変わりますが、教育の中身を変えるのは教師です。</p>
<p>教師とは何なのか、教師のあり方、教師像、教師の理想像が変わる時です。</p>
<p>今教師の、先生たちの夢を語る場所がないのではないか、そんな気がします。</p>
<p>それでは教師たちは、先生たちは窒息してしまいます。</p>
<p>今教師の、先生たちの希望を聞く場所がないのではないか、そんな気もします。</p>
<p>現代社会は問題をほじくるのが得意です。</p>
<p>人間生活には問題が付きものですから、そんなもの探さなくても、至るところにあるものです。</p>
<p>それをわざわざ掘り出して、突っつき合うのは現代病です。</p>
<p>みんなそれで病んでしまうのでしょう。</p>
<p>そんなことをしても問題は解決しないのではないか、そう考えます。</p>
<p>教育はスケールの大きなものです。</p>
<p>それを支えている先生たちもスケールの大きさを見に着けてほしいのです。</p>
<p>先生たちも沢山夢を持っている筈です。</p>
<p>それを豊かに語る時、先生を軸にして、今までは違う教育の世界が開ける様な気がするのです。</p>
<p>是非先生たちに沢山の夢、希望を語っていただきたい、そう願っています。</p>
<p>その中から見えて来るものがあると信じています。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>見える音　そして音の中心のこと</title>
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		<pubDate>Mon, 07 May 2012 18:05:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Masao Naka</dc:creator>
				<category><![CDATA[仲正雄ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; その道を極めた人は不思議な静けさを持っています。迷いのない静けさと言える上等な静けさです。 その人たちにお話しをうかがっても、決して、極めたとか、到達したなんて言いません。驚くほど謙虚です。 まだまだです、その人たちからいただける唯一の返事です。 しかしそれは迷いのまだまだではなく、きっぱりとした自信の裏付けを感じさせます。 迷いを感じさせないということは焦点が定まっているのでしょう　　　<a href="http://www.leier-seele.com/naka/487.html">続きを読む..</a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p>その道を極めた人は不思議な静けさを持っています。迷いのない静けさと言える上等な静けさです。</p>
<p>その人たちにお話しをうかがっても、決して、極めたとか、到達したなんて言いません。驚くほど謙虚です。</p>
<p>まだまだです、その人たちからいただける唯一の返事です。</p>
<p>しかしそれは迷いのまだまだではなく、きっぱりとした自信の裏付けを感じさせます。</p>
<p>迷いを感じさせないということは焦点が定まっているのでしょう。</p>
<p>実にうらやましいです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>人の心はいつもざわついています。心の中を去来する想念は一日に数万あると聞きました。</p>
<p>自分だけでなく、他の人を見ていても感じることです。</p>
<p>その想念に振り回されていると静けさとは逆に、心は騒がしいものになってしまいます。</p>
<p>どうしたら心の中に静けさが作れるのかと考えます。</p>
<p>思いつく方法は、一つのことに専念することでした。</p>
<p>無心にという言葉は、心をなくすことではなく、心の中の雑念をなくすことです。</p>
<p>一つのことに集中してみるとそれしか見えなくなります。余計なものにとらわれないで済みます。凡人にとって、心の静けさを得るための一番の近道ではないか、そう思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今、ここ何週間か、ライアーに集中できない自分がいます。</p>
<p>ライアーの音に自分の心を打ち明けられないという感じです。</p>
<p>どう弾いてもライアーは今よそよそしく、過去の思い出の中に消えてしまうのです。</p>
<p>本当に弾きたい曲を弾いたらどうですか、と友人はいいます。</p>
<p>本当に弾きたい曲か、と頭を抱えてしまいます。そしてしまいには随分無責任なことを言うものだと開き直ってしまいます。本当に弾きたい曲を弾く、そんなに深刻になったらきっと命が持たないだろうと、私は考えています。</p>
<p>なんとか今の状態を抜け出したいと思うのですが、いい策が見つかりません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私の抱えている症状は、とにかく音が解らないのです。聞こえはするのですが、困っているのは音が見えないのです。</p>
<p>今までは音を見ながら弾いていました。音はよく見えるものでした。それが見えなくなってしまうと、為す術がないというところです。</p>
<p>音は見えるものです。そして見えるととても現実味があるのです。</p>
<p>音を聞いているだけだと、音に吸い込まれて自分が消えてしまいそうになります。</p>
<p>音に振り回されている様に感じることもあります。</p>
<p>音が見えている時は、自分がしなければならないことが解っていたような気がしました。</p>
<p>音が見えている時には、いつも音は静かな世界にありました。</p>
<p>鳴っているだけの音、聞こえているだけの音は貧弱で騒がしいです。しかも自分との接点が僅かです。</p>
<p>ライアーを沢山弾くようになって解ったことですが、音が見えないのは、音に中心がないからです。</p>
<p>音は中心を持ち始めると見えて来るものなのです。</p>
<p>きっと今、自分の中心が見えなくなっているのだと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>ターナーの光　</title>
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		<pubDate>Sat, 05 May 2012 17:20:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Masao Naka</dc:creator>
				<category><![CDATA[仲正雄ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[ターナーの絵をどの様な言葉に置き換えたらいいのだろう　・・・ ・ 絵の中の光は炸裂している。 ターナーは光に取り憑かれている様に見える。 光を描くことは絶対に不可能だということを知らない人のように。 でも不思議だ、確かに光が描かれている。 勿論危ない世界に近いのだから、しばらく見ていると気を失いそうになる。 そんな時にかすかに、片隅に愛情深く描かれた現実の一駒に、失いかけた意識が帰って来る。 &#038;n　　　<a href="http://www.leier-seele.com/naka/473.html">続きを読む..</a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: small;">ターナーの絵をどの様な言葉に置き換えたらいいのだろう　・・・</span></p>
<p><span style="font-size: small;">・</span></p>
<p>絵の中の光は炸裂している。</p>
<p>ターナーは光に取り憑かれている様に見える。</p>
<p>光を描くことは絶対に不可能だということを知らない人のように。</p>
<p>でも不思議だ、確かに光が描かれている。</p>
<p>勿論危ない世界に近いのだから、しばらく見ていると気を失いそうになる。</p>
<p>そんな時にかすかに、片隅に愛情深く描かれた現実の一駒に、失いかけた意識が帰って来る。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>昔、友人のたちとターナーを見に行った時のことを思いだしていた。</p>
<p>一人の女性が絵を見たとたん、逃げ出すように絵の前から立ち去って行った。</p>
<p>詳しいことは今でも解らないし、その女性とはその後一度もターナーの話しはしていない。</p>
<p>十秒くらいの僅かな時間の中の出来事で、それを目にした私の方が面くらってしまった。</p>
<p>その女性は、今思うと、外からの刺激に弱いタイプだった。</p>
<p>しかも何かにつけてヒステリー的に反応してしまう癖があった。</p>
<p>私ですからあの強烈な光の炸裂に動揺していたのだから、彼女は私の何倍も動揺していたに違いない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな恐ろしい絵なのに、ターナーの絵にはターナーの絵からしか得られない静寂がある。</p>
<p>もしあの絵に額縁がなかったらどうだろう。</p>
<p>もしかしたらあの時の女性と同じ立場になってしまうかもしれない。</p>
<p>額縁に収まっていてくれてありがたかった。</p>
<p>その静寂に気がついた時、静寂は今まで知らなかった安堵感にかわっていた。</p>
<p>この様な体験は他で感じたことがない。</p>
<p>絵の常識を超えた絵、彼以前にも以後にもターナーの境地から絵は生まれていない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>比較をしても意味のないことだが、唯一、マーラーの音楽に似ているといいたい。</p>
<p>ターナーの描く光には、破壊と肯定が感じられる。</p>
<p>ただマーラーの場合はすこし違う。</p>
<p>マーラーの人生は辛かった様だ、伝記を読むとそんなことを感じてしまう。</p>
<p>悲しみから、生きることを肯定するプロセスがターナーとは違う。</p>
<p>マーラーのアダージョの中の音の光からは言葉が聞こえてくる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そろそろ還暦の年が終ろうとしている。</p>
<p>今年一年を振り返ると、炸裂する光みたいに、今までの人生の全てが粉々になった。</p>
<p>そんな心境の中で再び目にすることができたターナーだった。</p>
<p>ターナーの再生する光はとても励みになった。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>芸術という魔法</title>
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		<pubDate>Thu, 03 May 2012 22:03:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Masao Naka</dc:creator>
				<category><![CDATA[仲正雄ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[繊細でいたいと思います。 繊細な感覚で生きて行きたいとも願います。 感じるということをもっと自分の人生に取り入れようと思います。 感じるから今というかけがえのない一瞬を生きられると信じています。 &#160; 今を生きている感覚を失うと、思いは過去を向いてしまいます。過去に引っ張られてしまいます。 勿論今という現在は過去の集大成だと言えますが、今が生き生きして来るのは未来に向かうからです。 過去生　　　<a href="http://www.leier-seele.com/naka/468.html">続きを読む..</a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>繊細でいたいと思います。</p>
<p>繊細な感覚で生きて行きたいとも願います。</p>
<p>感じるということをもっと自分の人生に取り入れようと思います。</p>
<p>感じるから今というかけがえのない一瞬を生きられると信じています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今を生きている感覚を失うと、思いは過去を向いてしまいます。過去に引っ張られてしまいます。</p>
<p>勿論今という現在は過去の集大成だと言えますが、今が生き生きして来るのは未来に向かうからです。</p>
<p>過去生に興味を持つ人が最近は随分います。</p>
<p>たとえば今抱えている問題があったとします。それを過去生から導き出して解決の糸口にするのでしょうか。</p>
<p>過去生が整理できても今抱えている問題が解決することはありません。</p>
<p>私はそう思います。</p>
<p>これからの自分がどうありたいのか、というところから今が解決して行くはずです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ところが未来というのは曖昧と言うのか、手ごたえのないところがあります。</p>
<p>未来とか、自分の将来とかを考えても何も思いつかないことの方が多いです。</p>
<p>何故かというと、未来はまだ存在していないからです。</p>
<p>それなのに未来に向かうということが大事なのです。</p>
<p>矛盾しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この矛盾、考えても解けないものです。</p>
<p>どうするのがいいのでしょうか。</p>
<p>私は自分自身を魔法にかけてしまうことがいいと考えています。</p>
<p>自己暗示というのもその一つですが、素晴らしい芸術作品に触れると言うのはどうでしょうか。</p>
<p>音楽を聞くこと、絵画に接すること文学もいいと思います。</p>
<p>芸術の持っている力は、私たちを魔法にかけます。</p>
<p>ミヒャエル・エンデさんが、音楽会や、絵の展覧会は私たちを賢くするものではないと言っています。</p>
<p>どういうことかというと、音楽会、展覧会の会場を去る時、私たちは別の人間になって出て行くのです。</p>
<p>魔法にかけられてしまったのです。、</p>
<p>素晴らしい音楽、絵、言葉は私たちに勇気をくれます。</p>
<p>そこでもらった勇気が私たちを未来の方に私たちを向けるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな音楽をライアーで皆さんにお届けできたらと願っています。</p>
<p>そんな言葉をこれから書いて行きたいと願っています。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>目を閉じるとよく見える</title>
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		<pubDate>Thu, 03 May 2012 08:39:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Masao Naka</dc:creator>
				<category><![CDATA[仲正雄ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[絵画も彫刻も建築も映画も、今目の前にあって、私はそれを見ています。 目を閉じてしまえば一瞬にして消え見えなくなってしまいます。 しかし、絵が消えてしまったわけではなく、ただ見えなくなってしまっただけの話しです。 彫刻は手で触って、その物によりますが、手ごたえで感じることはできますが、鑑賞としては不完全です。 建築至っては、柱を触ってもその家の様子は解りません。 音楽は始めから見えないので、目を閉じ　　　<a href="http://www.leier-seele.com/naka/465.html">続きを読む..</a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>絵画も彫刻も建築も映画も、今目の前にあって、私はそれを見ています。</p>
<p>目を閉じてしまえば一瞬にして消え見えなくなってしまいます。</p>
<p>しかし、絵が消えてしまったわけではなく、ただ見えなくなってしまっただけの話しです。</p>
<p>彫刻は手で触って、その物によりますが、手ごたえで感じることはできますが、鑑賞としては不完全です。</p>
<p>建築至っては、柱を触ってもその家の様子は解りません。</p>
<p>音楽は始めから見えないので、目を閉じても大丈夫ですし、時には、却って、わざわざ目を閉じて聞いたりします。</p>
<p>余計なものを排除して、音に集中したいためです。</p>
<p>音楽は目に見える世界とは無縁です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ある時粘土のワークショップの時です。</p>
<p>700グラムの粘土を手で、しかもほとんど指先だけだけを使って球を作りました。</p>
<p>1000グラム、一キロでは女性には重すぎるので700グラムでやりました。</p>
<p>十分、ないしは十五分という時間をかけて丁寧に粘土を球にして行きます。</p>
<p>口でいう程優しいことではなくて、ある程度球に近くなるまでは順調に行きます。</p>
<p>しかしある程度球になってそこからもっと完成した球にしてゆく過程に入ると仕事はなかなか前に進みません。</p>
<p>小さなでこぼこが気になりはじめます。</p>
<p>そこを修正しなければ、きれいな、完成した球にはならないわけです。</p>
<p>作業をしている人の間に変化が始まります。</p>
<p>そのあたりから目を閉じる人が増えて来ます。しばらくするとほとんどの人が目を閉じています。</p>
<p>この球作り、実を言うと、いつまでやっても完成しないのです。</p>
<p>ですから適当な時間、作っている人の疲れが出る前に、こちらからストップをかけます。</p>
<p>何故目を閉じたのか聞いてみますと、</p>
<p>　　　　　　　　　「その方がよく見えるから」</p>
<p>という答えが返って来ます。見ない方が見える世界があるということです。</p>
<p>　　　　　　　　　「繊細なところは見ていて見解らないのでめを閉じてやった」</p>
<p>という人もいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>音楽が見えないものだということはみんな知っています。</p>
<p>どんなに音が大きくなっても音は見えません。</p>
<p>目の玉が飛び出すほどの大きな音も、見えた訳ではありません。</p>
<p>音楽は見えないのだ、見えないものなのだというところ、もっと深く理解する必要があると思っています。</p>
<p>球作りが教えてくれるように、見ない方がよく見えるものがある、繊細なものは見ない方がよく解る、ということです。</p>
<p>音楽は見えないのです。</p>
<p>音楽はものが見えなくなるところから始まります。</p>
<p>何を意味しているのかと言うと、繊細な世界に突入するということです。</p>
<p>そこからはただ繊細な感性だけが頼りです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>人と出会う時努めていることがあります。</p>
<p>見える部分ではなく、つまりその人の身なりなどからではなく、見えない部分を見ようということです。</p>
<p>名刺などは一番見えるところですから、そこから離れるようにします。</p>
<p>外的なものが失せると、だんだんその人の見えない部分が見えてきます。</p>
<p>時にはその人から音楽が聞こえてくることもあります。</p>
<p>それはメロディーであったり、調性であったり、あるいはリズムであったりとしますが、音楽です。</p>
<p>その人が音楽に変わってしまうと、次にあった時に、不思議とその人のことをよく覚えています。</p>
<p>そういう経験が度重なるにしたがって、出会う人ばかりでなく、出会う「もの」にも音楽を聞くようにしています。</p>
<p>本なども意味内容よりも、最近は音楽として聞いているようです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Best playing of the lyra  ライアーのベストな弾き方</title>
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		<pubDate>Sun, 29 Apr 2012 09:49:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Masao Naka</dc:creator>
				<category><![CDATA[仲正雄ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[If we were making a list of the things we really enjoy doing in the world, most of us would put near the top the simple, everyday act of sitting down und chatting with our best friends about things in　　　<a href="http://www.leier-seele.com/naka/453.html">続きを読む..</a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>If we were making a list of the things we really enjoy doing in the world, most of us would</p>
<p>put near the top the simple, everyday act of sitting down und chatting with our best friends</p>
<p>about things in general.Our minds are then comfortable and relaxed; our ideas flow without</p>
<p>great effort.</p>
<p>The best playing of the lyra is such piece of engrossing, glorified conversation.</p>
<p>This takes us into the confidence of the music on an informal, everyday plane.</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>人に聞かれて、一番したいことをあげてくださいと聞かれたら、きっと簡単なことというのが思いつくと思います。</p>
<p>気持ちが楽で、リラックスしている様なものです。一番親しい友達と一緒にいて話をすることでしょうか。</p>
<p>そういう中で話していると、話題は尽きることなく湧いてきます。</p>
<p>ライアーを弾くというのはそんな風に、静かに輝いているもののような気がします。</p>
<p>そしてそこで音楽も、特に肩を張らずに、日常的な憩いの中で安らぎの泉に変わるのです。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>今と未来を結ぶ糸</title>
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		<pubDate>Sat, 28 Apr 2012 07:33:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Masao Naka</dc:creator>
				<category><![CDATA[仲正雄ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[今と未来とは糸で結ばれている様な気がしています。 私はその糸を見つけたいと願っています。 &#160; 今と未来を結ぶこの糸は、今の中に閉じ込められていては見つからないでしょう。 現実という名のもとに今に振り回されていても駄目な様な気がします。 未来をぼんやり空想してもやはり見えてきません。 未来は既製品ではないですから買って来ることもできません。 未来は案外曖昧です。 ある様でないとも言えます。　　　<a href="http://www.leier-seele.com/naka/449.html">続きを読む..</a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今と未来とは糸で結ばれている様な気がしています。</p>
<p>私はその糸を見つけたいと願っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今と未来を結ぶこの糸は、今の中に閉じ込められていては見つからないでしょう。</p>
<p>現実という名のもとに今に振り回されていても駄目な様な気がします。</p>
<p>未来をぼんやり空想してもやはり見えてきません。</p>
<p>未来は既製品ではないですから買って来ることもできません。</p>
<p>未来は案外曖昧です。</p>
<p>ある様でないとも言えます。</p>
<p>それはきっと、未来というのは一人一人が作り出すもの、というところに本質があるからです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>未来を考える時に目標は大事ですが、目標に振り回されてしまってはもとの黙阿弥の様な気がします。</p>
<p>未来を作るのです。</p>
<p>未来を積極的に意図するのです。</p>
<p>作るという意識が大事です。</p>
<p>作るという不思議が「未来」という言葉の中には宿っています。</p>
<p>ものを作ったことのある人は、作るという作業がただがむしゃらに頑張っても駄目だと知っているはずです。</p>
<p>機械が作るのではないので、何時間でどのくらいできるという計算は成り立ちません。</p>
<p>ものを作るためには想像力が必要です。</p>
<p>想像力から生まれたビジョンを現実のものにするのです。</p>
<p>それをする力は意志の中に宿っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>想像力は未来からやって来るという風に考えたらどうでしよう。</p>
<p>やって来ると言うと、棚からぼた餅の様に聞こえるかもしれませんが、実は直感的な積極的なものです</p>
<p>この想像力、今を抜け出すためにはとてもたのもしいものです。</p>
<p>想像力と創造力とは字づらは違いますが、実は同じ根っこを持った同種類のものなのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私は今を生きているだろうかという問いは、刻々と今を抜け出して新しい今を作っているだろうかだと思います。</p>
<p>今を抜け出すためには今が充実していることが条件です。</p>
<p>充実しているといえるためには充実させたいという積極的な働きかけが必要な気がします。</p>
<p>ないもの欲しがりは不満の塊ですからそことは区別しないといけません。</p>
<p>ないもの欲しがりは外に自分を満たしてくれるものを付けようとしています。</p>
<p>そうではなく、自分の中から、今をもっとよくしたいという願いを発するのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>人生というのは一日一日の繰り返しではないと思います。</p>
<p>一日一日が成長している、そう考える時にしか人生に光が差し込んでこない様な気がするのです。</p>
<p>そして自分の中にこんこんと湧いてくる想像力の泉を見つけられたらしめたものです。</p>
<p>そうしたら人生という植物は成長を始めるでしよう。</p>
<p>それが未来につながる糸ではないでしょうか。</p>
<p>きっと、それは目には見えないものです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>人間がものを作ることを放棄した時、人間の手がものを作らないことを選んでしまった現代です。</p>
<p>もの作りをもう一度考え直してみたいものです。</p>
<p>もの作りの精神を。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>私の音楽から　あふるる涙</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Apr 2012 11:37:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Masao Naka</dc:creator>
				<category><![CDATA[仲正雄ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[シューベルトの「あふれる涙」は冬の旅からで、氷ついた川に熱い涙が落ちる話しです。 冬の旅は孤独な歌です。 絶望感があり、失望感もありと救いようがない重さがあります。 マーラーに大きな影響を与えています。 さすらう若者の歌は、冬の旅と同じ失恋のモチーフを扱っています。 失恋の涙は、深く人生の奈落に落ちて行きます。 自分の存在感が消えて無くなってしまう程に重く苦しい体験です。 あきらめがつかない中でも　　　<a href="http://www.leier-seele.com/naka/445.html">続きを読む..</a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>シューベルトの「あふれる涙」は冬の旅からで、氷ついた川に熱い涙が落ちる話しです。</p>
<p>冬の旅は孤独な歌です。</p>
<p>絶望感があり、失望感もありと救いようがない重さがあります。</p>
<p>マーラーに大きな影響を与えています。</p>
<p>さすらう若者の歌は、冬の旅と同じ失恋のモチーフを扱っています。</p>
<p>失恋の涙は、深く人生の奈落に落ちて行きます。</p>
<p>自分の存在感が消えて無くなってしまう程に重く苦しい体験です。</p>
<p>あきらめがつかない中でもう一度自分を肯定する力を見つけなければなりません。</p>
<p>たいていの人が人生の中で一番初めに体験する辛さでしょう。</p>
<p>失恋の後も生きなければならない。</p>
<p>そこで人生が終わってしまう人だっている暗い辛い体験ですが、光を見つけてほしいものです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ライアーは外に解放で気に発光する光ではなく、内側からにじみ出て来るしっとりとした光です。</p>
<p>もしかすると、私がそういうものとしてライアーを感じているだけかもしれませんが・・。</p>
<p>今までのライアー体験が私の好みを作ったと言えます。</p>
<p>何度聞いても、明るいライアーの音は、聞いていて気持ちがいいのですが、そこまでです。</p>
<p>その先は何か違うことがライアーの中に起こらないと生まれないのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私が聞きたいのは、内面的な光です。</p>
<p>光を聞きたいのです。</p>
<p>光は聞こえるものです。</p>
<p>人の声にも光がいっぱい持っている人とそうでない人がいます。</p>
<p>いい声、光のある声はそれだけで人の心を和ませます。</p>
<p>同じように、いい音の、光のある音をライアーは心の糧になるものです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この曲は、三連符で音が上がったり降りたりします。</p>
<p>なみだを溜めた時の人間の中にある動きです。</p>
<p>シューベルトはなんでもないところに工夫があります。</p>
<p>写実的かと思うとそんな表面的なところで音を処理しているのではありません。</p>
<p>リアルであり、しかも人間存在の深みを感じさせます。</p>
<p>とにかく本当に僅かな音しか使わないのですから、本質的に語るしかありません。</p>
<p>ライアーでこの曲を録音しながら、ライアーが言葉を喋れないのがとても残念でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<title>続々　月の話し</title>
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		<pubDate>Thu, 26 Apr 2012 21:26:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Masao Naka</dc:creator>
				<category><![CDATA[仲正雄ブログ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.leier-seele.com/?p=435</guid>
		<description><![CDATA[月にはリアリティーがあります。 日本語でいうと、今この時にそこにあるという存在感です。 太陽は全く違います。太陽の光そのもので我々を丸ごと包み込んでいて、我々は太陽の存在を意識できないのです。 しかも太陽を直視することはできません。 目が壊れてしまいます。 月は私たちを包み込むことはなく、私たちと距離を取りながら夜空に浮かんでいます。 月と私たちとは理性的な関係にあると言いたいのです。 そこから、　　　<a href="http://www.leier-seele.com/naka/435.html">続きを読む..</a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>月にはリアリティーがあります。</p>
<p>日本語でいうと、今この時にそこにあるという存在感です。</p>
<p>太陽は全く違います。太陽の光そのもので我々を丸ごと包み込んでいて、我々は太陽の存在を意識できないのです。</p>
<p>しかも太陽を直視することはできません。</p>
<p>目が壊れてしまいます。</p>
<p>月は私たちを包み込むことはなく、私たちと距離を取りながら夜空に浮かんでいます。</p>
<p>月と私たちとは理性的な関係にあると言いたいのです。</p>
<p>そこから、月を見ていると落ち着くということが起こるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>月を　Luna　という時には情緒的、心に影響するものととらえられていました。</p>
<p>気違いの原因は Luna　でした。</p>
<p>矛盾したことが起こっています。</p>
<p>月のことを英語ではmoon、ドイツ語ではMond　と言います。</p>
<p>その言葉の意味をたどって行くと、時間を測るものという意味になります。</p>
<p>昔、人間は、月で、月の満ち欠けで、時間を測っていたのです。</p>
<p>太陽は一日という単位の時間を私たちに知らせます。</p>
<p>月は一週間(半月)という時間の流れと、一月(満月から満月まで)という時間の流れを教えてくれます。</p>
<p>昔横井正一さんがジャングルで発見された時、その日が何年の何月何日ということをはっきりと把握していました。</p>
<p>月を見ながら一カ月経つと木にしるしを刻みこんでいたのでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>客観的な自分の姿を月は見せてくれます。</p>
<p>月を眺めている時、とりあえずは月を見ている訳です。</p>
<p>が、同時に、月から反射してくる自分の姿も見ている様な気がします。</p>
<p>とても意識的な時です。</p>
<p>これは昼間太陽と共にある時にはえられない意識感情です。</p>
<p>太陽は光そのもので、私たちはその光に包み込まれています。</p>
<p>あるいはその光に吸い込まれてしまっています。</p>
<p>意識化できないのです。</p>
<p>月は私たちの意識、特に客観的な意識を見せてくれます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ライアーの音と月とがよく似合うのは、ライアーの音にもそうした、私たちを意識化する力があるからです。</p>
<p>ライアーの音が心を癒してくれるのは、私たちがその時、ふと、自分の姿に触れたからです。</p>
<p>普段は自分というのは意識しないものです。</p>
<p>自分がシャイだと言う人は気をつけてください。</p>
<p>意識過剰が原因しています。シャイは裏返ったエゴです。</p>
<p>普段は意識しなくていいのです。</p>
<p>自分に対しての意識過剰は病気になります。</p>
<p>しかし、時にはふと自分に帰りたくなる時が人間にはあるのです。</p>
<p>それはエゴという、自意識過剰とは違う、自分の姿に、自分自身の心の、存在の故郷に出会える喜びなのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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