家族で祝うクリスマス

2018年12月28日

ドイツのクリスマスは日本ほどではないにしてもやはり商業ベースに染まったクリスマスです。

十月に入ると大手の百貨店はクリスマスの飾り付けが始まります。一店舗。また一店舗と飾り付けをが増えてゆき、十一月の末から始まるアドヴェント、待降節と共にクリスマスマーケットの時期に入ると、商業クリスマスはピークを迎えそのまま十二月二十四日のクリスマス・イヴに入ります。

クリスマスのメインイヴェントは教会で行われる真夜中のミサです。教会離れが目立つドイツは日曜日に教会に行く人が減っていますが、この日だけは教会が人に溢れるのです。

ドイツのクリスマスプレゼントはイヴの夜か次の日に交換するのが常です。ところが、ヨーロッパの中でも国によって違っていて、十二月六日の聖ニコラウスの誕生日のところもあれば一月六日の三賢王がイエスに贈り物をした日にするところもあります。ちなみにチャイコフスキーのバレー音楽「くるみ割り人形」はクリスマスツリーの下に並べられたクリスマスプレゼントが真夜中に踊り始めるという空想をもとにしたもので、クリスマスプレゼントのワクワク感が基本テーマになっています。クリスマスに何が欲しいか前もって聞きあってそれがプレゼントとして登場しますから、サプライズに満ちたという感じではありません。

二日に渡るクリスマスの祝日はバラバラに散らばっている家族が集まる日でもあるので、久しぶりに会う兄弟達が親元で語らい合える時でもあるのです。日本のお正月をイメージすればそのまま当てはまります。我が家もベルリンにいる息子達が帰ってきたり、二人の孫が4月と11月に生まれたこともあって賑やかなクリスマスになりました。

 

しかし家族というあり方がここ半世紀の間に大きく変わったことを鑑みると、クリスマスの祝い方にも大きな変化が生じたであろうことは想像がつきます。離婚というものから生じたパッチワーク家族の出現は大きな変化の一番の要因です。子ども達はお父さんの方の家族と祝うのかお母さんの家族と祝うのかと引き裂かれますし、兄弟の中でも父親に引き取られた子と母親に引き取られたことがバラバラになってしまうこともあるのですから、まさに「引き裂かれている家族」の状況がはっきりと見えてくるのが最近のクリスマスの祝日の姿だと言えるのです。

こうした状況は今や少数派ではなく、結婚したカップルの半分以上が様々な理由で離婚をしている現代では主流にすらなってしまっていて、現代のこうした現実を生きる子ども達にとっては、私たちの世代が想像する以上に当たり前のこととみなされているのかもしれません。

血族でない家族の絆が問われているのです。厳しい魂の試練です。今まで育ってきた家族がある日を境に消えて無くなって、今目の前にある新しい家族を受け入れなければならないのですから、時には子どもの魂の力では処理できない決断が求められます。幼い子どもにとってそれはあまりに悲しい現実です。今まで他人だった人たちが今日から家族という形で一緒に生活するようになるのです。さらにその新しい家族という集団の中に自分の居場所を見つけなければならないとなると、本来は自然な形で存在している「親に甘えたい気持ち」「兄弟姉妹と喧嘩していた自然な我儘のはけ口」が封じ込められてしまいますら、そのはけ口をどこか他に見つけなければならなくなるのです。幼い涙は外に出して流すわけにはいかなくなってしまうのです。

この子ども達が作る次の社会がどのような形のものになるのかとても興味があります。幼くして他人を受け入れる修行を強いられた魂は、新しい形の魂の免疫力を持っているに違いないのです。簡単に力強いと片付けられない、屈折した力強さによって作られる社会は、私たちが何気なく使っている「他人」という言葉の意味すら変わってしまうほど、姿、形を変えて登場するような気がしてならないのです。家族すらがすでに他人からなる集団になってしまったのですから。

 

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