学びの原点、考えることの喜び、学校の未来

2019年6月17日

福沢諭吉や西周などによって支えられた明治初頭の翻訳文化はSchoolに学校、学ぶところという訳語を与えてしまいました。私は其の罪は相当大きいと思っています。

そもそもschoolという言葉はラテン語のscola、スコラからきています。schoolが学校と訳されてしまったことによって、scolaの持つ「暇潰し」「暇人」という意味を引き裂き、勤勉のような姿が学びに入って来て、学びの本質である「暇」文化が消えてしまったのです。たっぷりした時間と空間が用意されていなければ直感が降りて来ません。そうなっては考えることができないと言う神聖な事実がかえりみられなかったのです。

考えるというのはまったく規制のないところにあるもので、白いキャンバスに絵を描くようなもので、無限の可能性をもつものですから、辻褄を合わせるジグゾウパズル的に初めから目的というのか完成が決められているものではないのです。ただ今日ではこのジグゾウパズル思考が考えることになってしまいました。この移行が実は極めて危険なことだったのです。

ジグゾウパズル的なものが主流になると、考えるということはだんだん退化してしまいます。schoolに学校、学ぶ場所という訳語を当てた頃には、「奔放に考える」ことの育成より「目的のあることを学ぶ」になっていたのでしょう。考えることは退化し、目的のために学ぶことが価値のあるものに変わっていたと思います。近代の西洋文化が入って来て、西洋と一緒に物質文化に寄与することになったのです。日本にあった「考える文化」はわすれさられたのです。

しかし学ぶというのは本来無限の目的のための自主的なものであって、学ぶためにいろいろクリアーしなければならないものがあるので苦労が伴うとはいえ、学びそのものは好きでやることですから楽しいものだといいたいのです。

学びたい人たちが学んだのです。scolaは江戸時代の寺子屋に近いでしょう。読み書きソロバン(算数)という基本を教えることはその人の人生を豊かにしますから大事で多くの農民たちの子どもも寺子屋で学びました。ところがその先は学びたい人だけが学べばよかったわけで、しかも学んだからと言って立身出世に貢献するものではなかったので、昔の中国の、倍率が3000倍と言われる過酷な科挙の試験に合格するための学びでは無かったのです。科挙、今日の試験勉強に共通するのは、学びが合目的な営みでしかないということです。合理主義から生まれている物質中心的な考え方ですから、精神を育む学びとは程遠く。今日の世界を見れば、この合理主義的な学びの犠牲の上に成り立っているとしかいえないのではないか、そんな気がします。

 

学びの復活を考える時期に来ているのです。今日のschoolを当時のscolaに戻せばいいとは考えません。schoolの次は何かを考えなければならないのです。もう学校のようなものなどいらないという人が出て来てもおかしくないのです。

 

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