母の93回目の誕生日

2019年7月11日

今日九十三歳になった、大正十五年生まれの母がいます。母はいまだにユーモアたっぷりで、私が悪戯っぽく口にする言葉に巧みに答えるほどで、その母の姿を目にするたびに微笑んでしまいます。一体どこにこのエネルギーがあるのか不思議です。そしてユーモアについて深く考えるキッカケにすらなるのです。ユーモアが知的な能力とは別のものだとは自分なりにわかっているのですが、高齢の、記憶が年相応に不確かなものになっているにも関わらず、母にはユーモアがまだ備わっているのを見ると、ユーモアは本当に知的能力の産物でないことが確信できるのです。九十三歳になる母を見ていると、ユーモアというのはむしろ私たちが生命力とよんでいるものに由来するのだと思わざるをえないのです。

母はほとんど病気らしいものをしません。時々咳が出たり微熱があったりする程度でとても元気です。まだ自分の歯が全部あるというのが自慢で(虫歯もありません)、そのためなんでも美味しくいただけるので元気なのかもしれませんが、一般論では片付けられない母独自の生命力を母を見ていると感じます。その元気と飄々としたユーモアは二股に分かれたしなやかな一本の枝のように見えてくるのです。

母の答える剽軽な冗談混じりの言葉はウイットに富んだものというより余裕からくるものです。私はそれこそがユーモアのセンスというものだと見ています。その言葉を聞ていると、「このユーモアがある限りまだまだ長生きをしそうだ」と直感しますし、「なんとも頼もしい母だ」と息子ながら感心してしまうのです。

 

母の人生は波乱万丈でした。女学校(今でいう中学校)に入るやいなや戦争に突入し、焼け野原の校庭で卒業式があり、戦後の混乱期に二十一歳で、姑と父の甥っ子がいるところに嫁いだのです。普通には苦労人ということになるのでしょうが、母の口癖は「みんな同じよ」「人間は死ぬまでわからないのよ」ですから、降りかかる困難を「柳に雪折れ無し」のことわざ通り、さられと振り落として生きてきたのでした。

この人生に向かうしなやかさ、これはまがいもなくユーモアに通じているようです。

 

今日は、おいしい懐石料理をお昼に食べ、ドイツの孫とひ孫娘とスカイブで話し(もちろん私の通訳でですが)、たっぷり昼寝をして、おやつを食べた後小休止し夕食の支度をしながらこんな会話をしました。

 

今日は誕生日だったね

そうでしたね

疲れたでしょう

大したことないわよ、大丈夫よ

明日も誕生日の続きをするの

続いたらやっばり疲れるかしら

毎日誕生日だったらどうする

それは大変ね、ごめん被るわ

 

そう言いながら母は美味しそうにお素麺と八宝菜を食べたあと、片付けをし、台所で洗い物をして、その後部屋に向かい大好きなお風呂に入る支度を始めていました。

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