かげの重み、お陰様で、谷崎潤一郎の陰翳礼賛、そして音楽

2019年6月30日

「カゲ」の持つ面白さ、不思議さ。

そして何よりも「カゲ」が存在そのものを引き立てる役を担っているという私のささやかな発見は、義弟からもらった一枚のセーターでした。

彼は高級ニットの製造業に携わっていて、デザイナーの特別注文があると自ら手動の機械編み機で彼にしかできない複雑な模様を編んでいました。その時必ず試し編みをしてからデザイナーに渡すため、私のところに練習用の試作品が回ってきて楽しませていただいという次第です。

それまでは高級ニットなどという世界とはかけ離れた「イッキューパー」、1980円のセーター程度でしたから、まずは高級なセーター一枚が持つ存在感に圧倒され、恐る恐る袖に手を通したものでした。何度か袖に手を通しているうちに、今までにない「着心地の良さ」に気がつき始め、だんだん自分に馴染んでくるのに感動していました。

セーターの存在感もわかってきました。糸の質が違うことは勿論なのですが、それ以上に今までの「イッキューパー」の「のっぺり」とは違う微妙な膨らみです。二つを並べるとその差は一目瞭然で、そこで気がついたのは、糸と糸との網目の間にある「カゲ」のようなものでした。糸が作り出すので目に見えるようなはっきりした「カゲ」とは違いますが、それは確かに「カゲ」と言っていい立派なものでした。

そのことを義弟に話すとうれしそうに頷いて、「手編みのセーターはもっとすごいよ」と簡単な答えが返ってきました。後日、友人のお母さんが編んだというセーターを友人に見せてもらい、セーター一枚にこんな深い世界があったのかと、しばらくは興奮していたのを覚えています。

 

日本語で星のことを「ホシカゲ」と言ったりします。ただ「ホシ」と言わないで、星影というのです。例えば「星影さやかに」という風にです。星のあかりだったり星の瞬きだったりするので、星の影という意味で使われるのではなく、ここでは影は「見えている姿」ということです。日本的感性からすると「カゲ」は英語の「シャドウ」とは別物のようです。

その観点から谷崎潤一郎の陰翳礼賛は興味深いものです。日本の文化を形作っていた「カゲ」なるものへの観察がぎっしり詰まっているからです。日本文化の根底を知ろうとする外国の人たちは好んでこの本を手に、日本特有の「カゲ」が作り出す文化にのめり込んでゆくのです。中にはそれがきっかけとなって西洋文化のルーツに目が行く人も出てきます。

さてその西洋文化ですが、支えているのは、太陽の光にさらされている見える世界です。神様を意味するラテン語の「deo」は英語の「day – 昼」の元々の言葉ですから、ギリシャ以降の西洋文化は昼の文化、陽の光の下にさらされながら繁栄した文化といえます。そのことと関連するのですが、show (見せるとか示す)、shine (輝き)とかいう言葉は重要な位置付けにあり、自分を外に向かって示すということにまでつながるのです。陽の当たるよく見えるところに自分を置くところが西洋文化の根源にあるといえます。

 

そんな中で一つ気になる言い方を紹介すると、「deo gratias – 神様のおかげで」という言い方です。神様は光り輝く存在でいいのですが、gratiasという「ありがとう」という言い方には、何を隠そう「おかげ様」と「カゲ」が出てくることで、その言い方から察すると人間は神様の「カゲ」にある存在ということなのでしょうか。ということは西洋にも「かげ思想」が潜在的にはあるということです。

ドイツ語の中にもお陰様思想は近世以前には存在していたのです。お陰様でもあり、神に与えられた運命に身を任すという考え方でもあります。人間の死をどのように捉えるかというところを見てみると、今は何かが原因で死ぬわけです。癌、心臓発作、あるいは交通事故など、必ず原因が語られますが、近世以前の人間ははっきりと「運命」という意識があって、死は運命に定められているものという風に考えていたのです。現代人の自分のことは自分で決めるという考えからは想像がつかないだけでなく、むしろ間違った考え方とみなされてしまうものですが、当時はこのように捉えることが正しかったのです。

 

「カゲ」を肯定するというのは見えないものを肯定するということで、その方に私はむしろ強い意志を感じるのですが、現代人の意識からはあまりに遠く離れてしまい、今では無縁のもの、あるいは死語になってしまった感があります。しかし潜在的にはこの考え方は西洋にいまだに生きているのではないかと私は思うのです。特に音楽を聴いている時です。私が優れた演奏家だと感じている人たちは、どうもこの「カゲ意識」のようなものを知っているのではないかと思うことがしばしばあるのです、チェロのフォイアマン、ピアノのリヒテル、ヴァイオリンのハ-ン、カウンターテナーのデラーたちは、彼らが無意識で感じている影「カゲ」の部分が、響となっている表の音楽を支えているのです。よく聴くと彼らの演奏にはどこかに翳りがあるです。

この「カゲ意識」ですが、これは学べないとは言い切れないまでも、技術的な練習のように猛烈に練習すれば身につくものではないため、指導する人たちも普段はほとんど言わず、素質、資質という言葉の陰に隠れてしまっているものです。

 

 

セゴビアの「プラテロと私」。弦をつま弾くことの醍醐味

2019年6月24日

アンドレ=セゴビアの演奏する「プラテロと私」について書きたくなりました。

演奏される機会はほとんどなく、唯一録音されたものに頼るしかないのですが、私はセゴビアというギター奏者のことを思い出した時に必ず聞く音楽です。

イタリアの作曲家、カステルヌオーボ=テデスコの作品で、スペインのノーベル賞作家ヒメネスの同名の牧歌的な詩集の中から24の詩を選んで、その詩が朗読される時のBGM的な伴奏のために書かれたものですが作曲者自身がソロで演奏することも念頭に置いているためセゴビアは詩の朗読なしで10曲を録音しています。その中の5曲を録音したものを聞いた時、セゴビアの演奏、とりわけ弾かれた弦に残る震えに興奮を抑えることができませんでした。こんなギター演奏は今まで聞いたことがあっただろうか、セゴビアの演奏ですらこんなにギターらしさ、いやセゴビアらしさが溢れているものはなかったような気がしてレコードがほとんど擦り切れるほど聞いたものでした。他にもセゴビアの素晴らしい演奏はいくつもあります。それなのに私は「プラテロと私」の演奏で聞かれる弦の伸び伸びとしたセコビア流の余韻がギターにふさわしいと言いたいのです。しかも作曲者自身が絶賛しているようにこの曲はセゴビアによって命が吹き込まれました。同時に、私は、この曲はセゴビアが獲得したギターの演奏法の全てを遺憾無く引き出してくれたとも感じています。

セゴビアは弦の余韻、そして何よりも震えを有効に活かして演奏します。この点でセゴビアの後継者と言える人は渡辺範彦さん一人ではないかと思っています。この二人のギターへの思い入れには共通したものがあります。弦を深々と響かせそこから生まれる余韻を活かすことです。ギターがよく響くように改良された今日、弦に軽く触れると音が出るようになり、弦を弛ませることがなくなってしまいました。演奏が楽になり、それが仇となって弦の処理が雑になってしまい、余韻を活かす演奏が消えてしまった中でこの二人の演奏を聴くと、弦と人間の指の間に生み出される無限の可能性に思いをはせることができるのです。

弦楽器の醍醐味は弦の震えです。それはまさに琴線に触れるということと同じなのです。そんな贅沢を多くの人に聞いていただきたいと思い紹介しました。

セゴビアの「プラテロと私」も、渡辺さんのいくつかの演奏もyou tubeで聞くことがでます。

学びの原点、考えることの喜び、学校の未来

2019年6月17日

福沢諭吉や西周などによって支えられた明治初頭の翻訳文化はSchoolに学校、学ぶところという訳語を与えてしまいました。私は其の罪は相当大きいと思っています。

そもそもschoolという言葉はラテン語のscola、スコラからきています。schoolが学校と訳されてしまったことによって、scolaの持つ「暇潰し」「暇人」という意味を引き裂き、勤勉のような姿が学びに入って来て、学びの本質である「暇」文化が消えてしまったのです。たっぷりした時間と空間が用意されていなければ直感が降りて来ません。そうなっては考えることができないと言う神聖な事実がかえりみられなかったのです。

考えるというのはまったく規制のないところにあるもので、白いキャンバスに絵を描くようなもので、無限の可能性をもつものですから、辻褄を合わせるジグゾウパズル的に初めから目的というのか完成が決められているものではないのです。ただ今日ではこのジグゾウパズル思考が考えることになってしまいました。この移行が実は極めて危険なことだったのです。

ジグゾウパズル的なものが主流になると、考えるということはだんだん退化してしまいます。schoolに学校、学ぶ場所という訳語を当てた頃には、「奔放に考える」ことの育成より「目的のあることを学ぶ」になっていたのでしょう。考えることは退化し、目的のために学ぶことが価値のあるものに変わっていたと思います。近代の西洋文化が入って来て、西洋と一緒に物質文化に寄与することになったのです。日本にあった「考える文化」はわすれさられたのです。

しかし学ぶというのは本来無限の目的のための自主的なものであって、学ぶためにいろいろクリアーしなければならないものがあるので苦労が伴うとはいえ、学びそのものは好きでやることですから楽しいものだといいたいのです。

学びたい人たちが学んだのです。scolaは江戸時代の寺子屋に近いでしょう。読み書きソロバン(算数)という基本を教えることはその人の人生を豊かにしますから大事で多くの農民たちの子どもも寺子屋で学びました。ところがその先は学びたい人だけが学べばよかったわけで、しかも学んだからと言って立身出世に貢献するものではなかったので、昔の中国の、倍率が3000倍と言われる過酷な科挙の試験に合格するための学びでは無かったのです。科挙、今日の試験勉強に共通するのは、学びが合目的な営みでしかないということです。合理主義から生まれている物質中心的な考え方ですから、精神を育む学びとは程遠く。今日の世界を見れば、この合理主義的な学びの犠牲の上に成り立っているとしかいえないのではないか、そんな気がします。

 

学びの復活を考える時期に来ているのです。今日のschoolを当時のscolaに戻せばいいとは考えません。schoolの次は何かを考えなければならないのです。もう学校のようなものなどいらないという人が出て来てもおかしくないのです。