2011年7月25日
今日はシュトゥトガルトの芸術大学の美術の方のオープンデーだった。 芸術的に美しいものに出会えるかもしれない、と期待を持って出かけた。 そんな期待はキャンパスに一歩足を運んだ所から間違いだったことに気が付いた。 私の幻想にとらわれているある一つの時代は終わって、別の時代の中に今は居る。 ほとんどの作品が、汚いものを理屈で包んで人に見せる事に終始していた。 私には汚いものより理屈の方が重苦しかった。 続きを読む..
2011年7月15日
曖昧さというのは、よく言われるように、本当に日本的なものなのだろうか。 大江健三郎さんがノーベル賞を授与された時の挨拶が曖昧な日本の中の私というタイトルの話しでした。 大江さんがどの様に考えているのかは、本になっているので(岩波新書)そちらに当たっていただくとして、私なりに曖昧さに付いて思いを巡らしてみたいと思います。 曖昧さというのは、何も日本の専売特許ではないのです。 それに曖昧 続きを読む..
2011年7月9日
また一音の話しか、といわれてしまいそうですが付き合ってください。一音だけでは音楽ができないと思っている人は是非一読を。 一音のことを気にし始めて、50歳になった時に金管楽器を手にしました。私の前歯の関係でマウスピースの大きなトローンポーンを始めることにしました。 管の長さを調節しながら音程をとるところが、粋な楽器だと感じたこともあります。 一音を端正込めて弾くことに、否、吹くことに初めて前身全霊で 続きを読む..