会話の神秘 その6

2011年2月16日

シュタイナーの勉強をしているときに、授業というのは対話というものに近いものなのではないか、そんなことをよく思いました。 教壇に先生が立って、下に向かって生徒に教えるという形の授業はもう時代遅れで、何か新しい形が模索されるべだということをです。 一体それがどういうものか、まだ時代が模索しているような気がします。   しかしドイツではシュタイナー学校に限らず低学年の授業が「先生・生徒」という   続きを読む..

会話の神秘 その5

2011年2月16日

自分が持っている物差しも計りも、実は自分用のものだということに気が付くまで、時間がかかるものです。 一生そのことに気づかずに死んで行く人もいると思います。   ある人のはインチの物差しで、次の人はセンチで、三人目は尺だったりするのです。これでは同じものを測っても、違った数字になってしまいます。10インチだという人と、25センチだという人と、8寸3分だというのでは話しは食い違ったまま進んで   続きを読む..

会話の神秘 その4

2011年2月16日

会話がマニアル化したら、それは実につまらないものです。 こ う話すとこうなるという形が出来上がっているので、その通りに間違いなく話を進める訳で、それでは生きた会話にはならないのはわかりきっています。 使う言葉が決まってきますから、そういうのは聞いていてすぐに飽きてしまいます。でも人と話すことに自信のない人は、そういう形にとらわれることで却って 安心して話が出来るのかもしれません。社交儀礼にとわらを   続きを読む..