太陽暦と陰暦

2025年11月14日

陰暦というのは月の運行を示すカレンダーのことで、今日では全てが太陽の動きから暦が作られているので忘れ去られた暦と言うことになります。日本では明治に太陽暦が公の暦になる前までは陰暦でしたから、古いというイメージがありますが、月との深い関係を表していますから見方によっては興味深いものです。

今日の文明社会、物質中心の中にあっても月からの影響というのは見逃せません。女性の月経周期、潮の満ち引きは月との関係が如実に表れています。とりわけ清海深いのは、月の自転は月が地球を一周するのと全く同じだと言うことです。なぜそうなるのかは、さまざまな憶測がなされていますが、科学的には未だに解明されていないものです。こんなに近い星のことすら今もって解明されていないことだらけと言うのも意外なことです。

キリスト教の中で復活祭はクリスマスと並ぶ大きなお祭りです。この復活祭には珍しいことが一つあって、毎年復活祭の日は違うのです。クリスマスは毎年12月25日と決まっていますが、復活祭はなんと移動する祝日なのです。こんな大切な日が毎年ちがうと言うのは、日本で生まれ育ったものにとってキリスト教文化の中で育っていないので初めはショックでした。日本では考えられないことですから、狐につままれた様なものでした。

春分の日は太陽暦で3月21日と決まっています。この日の後にくる満月の後に来る日曜日が復活祭と言うことになっているので、移動するのです。もし満月が3月22日でその日が日曜日となれば、その年は3月22日が復活祭です。もし3月20日が満月だとすると、29日後の次の日曜日が復活祭ですから、早い復活祭と遅い復活祭の間にはほとんど一ヶ月の違いがあることになります。そしてその決定に満月が主導権を握っているのですから、陰暦とも言えるのかもしれません。キリスト教社会の中の太陽暦の中で復活祭だけは月の暦、つまり陰暦が生きていると言うのは摩訶不思議なことと言えそうです。

アポロが月に行ったことで、月が人間の生命活動に及ぼしている何かが解明したのかというと、皆無です。そのためにはなんの役にも立っていない様なのです。月の石を持ってきたのですが、それで私たちが知りたい月の神秘の一つでも解明され他かというと、そんなことはない様です。まさに「月に向かっていうことなし」という状態で、ただただありがたいだけのものの様です。

私は月と地球の全くシンクロした動きは、未だ解明されていないのですが、個人的には月と地球が、場所を異にしていても未だに一つのものだという証の様な気がしてならないのです。また地球と太陽の間に月が入ると、太陽とまるっきり同じ大きさになり日蝕が起こります。きれいなコロナか見られるのですが、それも出来過ぎです。

シュタイナーは月について、「かつて地球は一番硬いものを排出した」という発言をしています。そもそもは地球だったのです。一番買い物を放出したのです。それが月だというのです。月とはそもそもは地球の内部にあったものだったのです。放出したとしても関係が切れたわけではないことは想像できます。また「文章を書く人に「文字を一つ一つ丁寧に描いていると月の神様が文章を書く手伝いをしてくれる」と言う様なことも言っています。タイプライターを打つ時代が始まった時の発言です。

私が障がいを持った子どもたちの生活する施設で働いていた時には、満月新月には必ずと言っていいほど子どもたちの行動に異変が起こっていました。まず何よりも子どもたちの心の落ち着きがなくなって、行動に突発性のあるものが増えるのです。夜寝られない子どもも多くいました。発作も多くありました。巷では狼男のようなことが言われていますが、正常な人間が豹変するという例えだと思っています。

もし地球が月を放出せずに内在していたらどうなっていたのかを考えると、硬直してしまっていたに違いないのです。今は柔軟な中で人間を含め地上の生き物たちが生活しているので、そこに生命力が活発に働くことができるので、成長を通して生命力が開花しているのです。月と植物の関係を言う人は古くからたくさんいました。西洋の神秘主義の人たちはほとんど月のことを太陽以上に人間と関係の深いものとしてみています。新月の日に建築用の木材を切るという木こりさんもいます。月が満ちている時と欠けて行く時では何かが違うと感じている人は今日でも多いです。

月の上では空気がないので生活はできないのですが、そのための環境を整えて生活することになったとしたらどうなるのでしょう。私たちの体重は六分の一になります。重力がかからないので、そこで生活するとなるとたいへなことになります。骨がすぐに弱ってきます。もちろん内臓にも影響します。そうなると思考すらできなくなってしまいます。太陽風か吹き荒れていますから放射能の影響をモロに受けることになります。ロマンチックな空想の世界とは全く違う悲惨な環境なのです。

そんな月ですが地球に多大な影響を及ぼしている一番近い宇宙なのです。

将来地球への月からの影響が色々と証明されて様になると期待して、月と地球は二つに分かれた元は一つのものということが証明できる日が来るのでしょうか。こんなことを考えて月を見ると、今までの月のイメージとは違う月が見えてきます。月は影ぼうし、ドッペルゲンガーだったということになるのかもしれません。

 

流れの面白さ

2025年11月12日

「向こう任せで書く」という泉鏡花の小説を読んでいると確かに頭で考えて書いているのではないことがわかります。言葉の流れが意味を説明するものではないと感じるのです。読んでいて、時々何が言いたいのかがわからなくなるような文章にも出会いますが、流れに任せて読んでゆきます。わからないから二回読めばいいのかというとそうでもないのです。文章の流れが命ですから、意味の正確さ、描写の正確さより大切なものがある様なのです。彼ほど極端な物書きは他になかなか見当たりません。

文章の流れが楽しいことでいうと太宰治を挙げたいと思います。流れの中から情景が見えてくるのが彼の文章を読む醍醐味です。こういう流れはいわゆる社会派小説、思想小説と言われるものからは受け取ることのできません。そういう文学は思想の意味が大事だからです。イデオロギーや主張がはっきりしていないと意味をなさないので、そこでは文章の流れよりも言葉の意味が大切になっていて、文章の流れはあまり考慮されていない様です。

島崎藤村の夜明け前を読んだ時にも文章の流れを堪能していました。彼の小説はその前に破壊を読んでいたので、夜明け前という歴史小説もその流れにあるものと思って読んだのです。歴史考証もしっかりとされているということですが、そういう正確さを描写する文章であると同時に、文章力から歴史の流れが感じられるとても魅力のある文章でした。破戒はどちらかというと思想小説の傾向が強いものですから、文章は意味を追いかけるようなところがあり、それが流れとしてはゴツゴツしていて、角張っていて、読後感は重苦しいものでした。内容的にも思想的に意味を繋いでいるので、どこか「とってつけたような」筋の展開になってしまいます。何がなんでも意味をつなぎ合わせていると言ったらいいのかもしれません。夜明け前は意味より文章の流れが小説の命だったことを懐かしく思い出します。

流れのある小説の最高峰は紫式部の源氏物語かもしれません。もちろん私は全部を原文で読んだわけではないので、明治以降の翻訳に依存しているのですが、それでも流れは感じられます。読むためというよりは語られるためのものだったところから自然と流れが生まれたのかもしれません。

というよりも文章に意志を感じるということを述べてみたいのです。文章というのはただ単語が並べられて意味をなしているものではないのです。文章には意味と同じくらい意志が生きています。源氏物語の中で大切なのは微妙な人間関係です。特に上下関係です。それが何で表されているのかというと厳密な敬語の使い分けによってです。二人の人間に間にどのような距離があるのかは敬語を見ることでわかるのです。この厳密な法則が文章に独特なエネルギーをもたらします。ただ状況が描写されるのではなく、そこに絡んでくる敬語がその場を設定しているのです。今の時代はほとんど敬語らしいものはなくなってしまい、せいぜい尊敬語と丁寧語と謙譲語という程度の分け方しかできない敬語の世界ですが、千年前の宮中では使い方を間違えれば無礼者扱いされただけでなく命を落としたに違いないのです。

先日ブログで文法のことを書いたときに、「文法は文章の意志だ」と書きました。古代の日本語では敬語が生きていて、それが文章にニュアンスとアクセントを与えるものだったのではないかと想像します。私たちがテヲニハを間違えると文章の意味が通じません。例えば「私が東京と行った」の様なものです。当時は敬語を使い間違えると状況が全然理解できなくなってしまったのてはないかと想像します。もちろん当時も今でいう文法はあったのでしょうが、文法は書き言葉になってから精度が高まっています。語り言葉で綴られている源氏物語には、そういう文法以上に敬語の比重が重く、その力で文章を読ませたのではないかと思います。

 

 

 

詩の心

2025年11月10日

名古屋でお世話になったやまさと保育園の園長であり理事長であった後藤淳子先生は七十を過ぎてから毎日のように短歌を読んでいらっしゃいました。生涯で二万首以上を残されています。

先生の読まれた歌は私たちに馴染みのある和歌として優れたものかというと必ずしもそうではないものなのですが、読むものに先生の心の中か見えてくるような直接的伝達の力がある、後藤流な短歌と言えるものでした。とはいえ詩心からの発露ですから短歌をまとめたものをありがたく読みました。

先生はことあるこどに職員の方達にも和歌を読むことを薦められてましたが、やはり和歌を読むというのは簡単なことではなかった様です。さらに日々の連絡帳は短歌で綴れなどと、私からすれば暴言とも言える様なことをおっしゃっては職員を困らせていました。もし実際にそれが実現していれば連絡帳革命として保育の世界に衝撃をもたらしたかもしれません。

連絡帳が詩の形で綴られるなんてまさに夢の様な話です。

歴史に残る和歌の言葉には情緒以上の重みがあります。言葉以上の言葉の奥にあるところから歌に託されたものでした。言葉と言葉の間に深い情感が込められているものです。心を和歌のような詩に綴るというのは今日のように頭で物事を整理する時代では難しいものです。というのは詩の世界というのは理屈や論理とは別のもので、頭を空っぽにしないと出てこないからです。私たちの時代は論文にしろ、新聞記事にしろ散文で書かないと意味が伝わらないので、理屈っぽい文章が溢れています。しかもネットの時代になってからは、散文といえないほど省略された文章が目立ち、さらに拍車をかけているのは絵文字での会話のやり取りです。そこまでくると言語的自殺と言ってもいいもので、これから先の人間の言語生活が思いやられます。

詩で気持ちを表す習慣は、日本にはそれでも俳句や和歌を通してまだ息づいていて、数千万人の人が俳句や和歌に接していることが報告されています。もちろんその出来はただ形を整えただけのものから優れた作品まで大変な幅があるわけですが、ピラミッドの様なもので底辺が広ければ頂点が高く聳えるわけですから、多くの人が詩を綴る気持ちで言葉に接するというのは喜ばしいことです。日本の言葉というのは論理的な傾向よりも情感に傾いているのが、詩心が生き延びているのかもしれません。

詩というのは頭で考えて作るものではなく、頭を空っぽにして、歌いたい事柄と向かい合い一つになる時に生まれるものなので、言葉選びに繊細になります。歌にして読むというのは散文を書くのとは違い、決断のような勇気のいることだとも思っています。潔い言葉ともいえます。俳句の芭蕉が、何度も推敲を重ねて俳句として仕上げたと聞くと、頭で考え抜いて作ったと思われがちですが、そこは芭蕉のことです、頭で推敲したのではなく、心眼で推敲していたのだと思います。まずは俳句として読まれたものを、いかに俳句の精神、俳句の神様が宿るようなものに近づけられるのかという切磋琢磨であったということです。助詞一つを変えるだけでガラリと世界の風景が変わってしまうのが俳句の世界ですから、知的に整理し意味を伝えることに専念するだげてはなく、言葉がどう連なるのか、言葉と言葉の間のバランス、言葉の響き、動きが吟味され、その配置も意識するとなると、考えて辻褄を合わせるだけではなく直感以外には仕事を進めてゆく力にはならないのです。さらに単語の選び方は意味だけでない、独特の距離感、バランスを持ったものです。散文に慣れてしまうと意味を伝えることに専念してしまいますから、言葉としてはのっぺらぼうなものになってしまい、詩の世界が遠くなってしまいます。まずは詩の心を養うところから始めなければならないのです。たくさん良い詩、和歌、俳句を読むことですが、普通に勉強するだけでは足りないことは想像がつきます。今日の様に教育が知的養成を目指しているところでは、意味の解釈でおわっしまい、詩の言葉のセンスを磨いて詩をを作ろうという様な余裕は無視されがちです。詩というのはわからない人にはチンプンカンプンなものだからです。詩は余韻が命ですから、意味のように直接的でないところが、多くの人の苦手とするところなのです。意味のつながらない二つの言葉を詩の心は繋ぐことができるのです。

詩や和歌や俳句は沢山作ると上手になるのですが、上手に作られたものが読み手の心を鬱かというとそんなことはないのです。技術は家を建てる時の足場の様なもので、なくてはならないのですが、足場だでは完成した家は建ないのです。もちろん沢山作ることで言葉のセンスは磨かれてゆきますが、詩というのは意味で綴るのではなく、心の品性、格、尊厳で対象が綴られる時に輝くもので、意表をついたりして奇抜な言葉で詩を作っても、目新しいだけのものでしかないのです。平常心の賜物なのです。心静かに大将に向かう時に、向こうから降りてくるものなのかもしれません。

色々な形に収めて綴ることもできますが、散文的に詩情を綴ることもできるはずです。その時の散文は、学術論文に使われるような散文ではなく、意味よりも言葉の響きと言葉のセンスと言葉の意志によって貫かれているものです。詩になることによって言葉は自らの意志を表しているということではないかと考えています。言葉の意志は詩(うた)いたいものへの畏敬の念から生まれるもので、そこから品格が備わるのです。さらに詩にすると物事がよく見えてくるものなのです。詩の世界に馴染むと、散文とは意外と見えにくいもの、見にくいもの、醜いものであることを感じる様になります。

もし保育の連絡帳が和歌や俳句や詩で綴られるようになれば、保育そのものの質が変わる様な気がするのですが。先生は子どものいいところがどんどん見える様になるのかもしれません。