北斎とシューベルトの純粋さ

2026年4月2日

この二人に共通するものというと、国こそ違いますが生きた時代が重なっていることくらいで、他にはない様です。絵描きさんと作曲家でした。北斎は1760年生まれ、シューベルトは37歳年下ですが早くに亡くなっているのいで、89歳まで生きた北斎が亡くなったのはシューベルト没後21年でした。シューベルトは早逝の天才児でした。北斎は晩成型で70歳過ぎてからもどんどん素晴らしい作品を残し89歳まで生きました。
二人に共通しているものの中で興味深いのは生まれた故郷をほとんど離れていにいことです。シューベルトはウィーンで生まれウィーンをほとんど離れることなくウィーンで亡くなっています。北斎は引っ越し魔でした。93回も引っ越しをしたそうですが、江戸の町から離れることはなかったのです。今とは時代が違うのでヨーロッパでさえ外国は遠かったのですが、それでも芸術家たちは当時でも外国への憧れは強く、多くの外国からの影響に自らを晒していたのです。日本でも故郷を離れた芸術家は多くいました。
もう一つ共通しているのが、出世欲がなかったことです。シューベルトは親しい友人たちを集め定期的にシューベルティアーデと名付けられた音楽の会で彼の歌を披露していました。それなのにシューベルトの歌は、彼の存命中にすでにヨーロッパ各地に広がってゆき、ウィーン以外の土地でも彼の楽譜が印刷される様になっていたのです。シューベルトは死後、彼の音楽は国境を越えて世界に広まってゆき、高い評価を獲得するのです。ドイツのデュッセルドルフにいたロベルト・シューマンがシューベルトの歌に魅了され指導を仰ぎたいと思い立ったときには、シューベルトはすでに亡くなっていたのです。
北斎も似ていて、彼の作品が海を渡って多くの人に愛されるものになるとは考えもしなかったのです。富嶽三十六景の初版というのか初刷りは、今のお金にして200円程だったと言われています。しかし瞬く間に版を重ね、世界見本市に出展する瀬戸物ゆ伊万里焼などの包装紙として海を渡りバリにまで行くことになり、そこでパリの有識者たちの目に触れ、ついにはゴッホの目に止まる様になります。二人とも世界的名声を目指しての創作活動ではなく自分に忠実に作品を作っていったのでした。
今日のように全てが経済という嵐の渦中に放り込まれている時代には芸術も例外ではないわけで、芸術り世界も商品価値という津波に飲み込まれてしまっています。作品が経済効果を生み、芸術家たちの生活が保障されるのは間違ってはいないとは思う反面、天は今でも芸術家を通して自らの心に忠実に生きる生き方を課している様に思えることもあります。芸術というあり方が、物質中心の考え方が限界を迎えるこれからの社会を支えてゆく力になるように思えて仕方がないのです。純粋と自らの心に忠実であるということがこれからの精神修養の要になる様な気がします。

新しいレパートリー

2026年3月31日

ライアーで演奏するのに相応しいものを探しています。
基本的には主張の少ないものという趣旨で弾きたくなるようなものを探しています。
しかしこの観点から曲探しをしていると、ヨーロッパの音楽というのは自己主張の道具になっていると改めて気付かされます。主張の強いものは二小節くらいで嫌になってしまうか、もう少し弾けてもやはり飽きてしまうのです。ライアーという楽器の持つ性格と全く合わないからです。
昔ベートーヴェンなども弾けるのではないかと、軽いノリでエリーゼの為にを弾いてみたのですが全然様にならなくてすぐに諦めました。素直に弾けそうな気がしたのですがライアーの可能性というのか許容範囲を遥かに超えていた様に思います。
主張の強いものというのは、曲が何かであろうとしていることです。私がこれと思うのはその曲が伴奏的なものです。人生の伴奏をしているようなものです。

私はライアーで演奏するとき作品となっているものを弾くことにしています。即興演奏のようなことは今までしてきませんでした、これからもすることはないと思います。作品としてまとめられたものには作曲した人の命を感じるのです。もちろん作曲家たちはそれほど意識して使命だと思っていなかったものだと思います。直感的にサラリと作っていたりしているのですが、そのさらりの中にも命を感じるのです。もしかするとさらりだからこそ命が輝いているのかもしれません。その命と向き合うことが演奏の楽しみで、即興のようにその時の気分で音になっただけのものは、結局は納得できないのです。その時は満足していたのかもしれませんが、後になってみると何も残っていないと言うことが重なったのです。大勢の人と即興的に音遊びをするのは、音による会話を楽しむ様なところがあり、言葉ではない気持のやり取りが面白く感じられるもので楽しめるのですが、一人の即興演奏は後味が良くないので遠慮してしまいます。
ライアーには主張の少ない素朴な作品が合っていると思っているので、その辺りに照準を定めているのですが、なかなか難しいものです。今回も個人的に好きなヘンデルの作品からと思ってあれこれと聞いています。候補は見つかるですが、それがライアーに収まるかどうか。昔クラシックギターで古いスペイン音楽をよく弾いていて、そのあたりのものも候補に挙げています。ただギターとライアーは似ているようでそれぞれに頑固なところがあるので要注意です。1500年代のスペインのものの楽譜を引っ張り出して来て眺めています。もしかするとその中の一つや二つは好奇心の塊ような人だった織田信長が、彼の城に招いて演奏させていたものかもしれません。当時宣教師と一緒に楽士も来日していたと読んだことがあるので可能性はなきにしもあらずです。
当時は音楽の歴史からみると、器楽曲というジャンルが形を成し始めていて、なんとか形として出来上がって来るところです。ファンタジアというタイトルのものがようやく確立したところです。したがってよちよち歩きの器楽曲といえます。まだまだ自己表現の道具にはなっていない段階です。とりあえずはライアー向きと言えるのですが、良い作品に巡り会えることを祈っています。
日本の作品も考えているのですが、今ひとついい出会いがありません。お琴の曲六段はどうかと考えのですが、その昔どう弾いていいのかで悩んでしまったことがあり、今回はパスしようと思っています。よく歌われている唱歌も候補には挙げています。ただよく知っているものというのは聞いている人の記憶と結びついてしまうのでライアーの音を純粋に聞くという効果が薄れてしまいますから、作品はできるだけ知られていないものの中から選ぶ良いにしています。

下駄と健康靴

2026年3月30日

ドイツに下駄をお土産にしようと下駄屋さんに行ったのです。年配の女将さんがお店番をされていました。男物と女物の下駄を欲しいというと、サイズを聞かれ、しばらく探していくつかの下駄を並べてくれました。
「お客さんは下駄を買ったことはあるのかい」と聞かれたので初めであることを言うと、「じゃあ、いいかい、桐の下駄になさい」というのです。値段が高そうなのでしばらく考えていると「悪いことは言わないから桐にしなさい」と、しきりに勧めるのでなぜか聞いてみたところ、「桐のものは減りは早いが足にはいい」と最も簡単に答えるので、他にお薦めはないのかと尋ねると、「もちろんあるけど、桐がいいよ」と引き下がらないのです。
「下駄というのは履いているとその人の癖でいろいろな減り方があるものでね、そうなると履きにくくなる。でもそれがいいのだ」と女将さん、「下駄のするへりに癖がしっかりつくと歩きづらさを感じる様になる、そこから面白いことが始まる」というのです。その下駄が歩きづらくなると今度は本人が下駄についた癖を自分で直し始める、そこが下駄のいいところなのだそうです。
「難しくいうとね、癖というのはその人の平衡感覚の持つ癖で、癖のついた下駄は実に履きづらい。だから本人が歩きながらそれを元に戻すようになる。そこで今度は元に戻すようになる。そこで平衡感覚が鍛えられる」というのです。平衡感覚というのはバランスを取り戻そうとするときに一番活発なのだとはっきり言うのです。
確かに、私が昔施設で働いていたとき仕事の現場で担当した子どもの中に平衡感覚がしっかりしていない子どもたちがいて手をこまねいていたことを思い出しました。平衡感覚を鍛えるような器具を使ってもたいして役に立たなくて、凸凹道や山登りで岩がゴツゴツしているところや根っこで歩きづらくなっているところを歩かせる方が子どもは喜んだのです。初めは文句を言っていてもしばらくするとイキイキしてきます。器具を使ったときにはつまらなそうにやっているのに、凸凹の道は子どもが楽しそうに歩きます。平衡感覚がいい刺激を受けているのでしょう。感覚というのは刺激を受けると活発化するだけでなく心も明るくするものです。そんなことを私の仕事の経験から思い出していました。
女将さんは「健康靴というのは、足を保護してくれるので、足を悪くしている人には保護してくれるから必要なのかもしれないけど、普通の人は使っちゃダメ」と言うのです。「過保護なんだ」というのです。歩くときの足の感覚が弱ってしまうので、できるなら鼻緒のついた草鞋とか下駄が健康な人の足向きだというのです。今の若い人に言っても本気にしてもらえないと笑っていました。
靴が西洋から日本に輸入され普及する前、たとえば江戸時代まではもっぱら草履と草履、下駄が中心の履き物でした。移動は歩くしかなかったので毎日、しかも結構長い距離を歩いていたはずです。足を悪くしたという記録はないようで、かえって靴などよりも足を健康にしていたのかもしれません。特に、草鞋や草履や下駄は鼻緒を足の指でしっかりと挟んで歩いていました。足の指にはたくさんの神経が集まっていますから、鼻緒から元気をもらっていということになります。ドイツの知り合いの靴職人に聞いたときにも健康靴は必ずしも薦めないと言っていました。それより自分の足に合った靴を履く様にした方が健康にはづっといのだそうです。
私がお邪魔した山口の小郡幼稚園では、子どもたちが一本歯の下駄を履いて園庭を巧みに歩いていました。三歳児、四歳児がまるで現代版忍者のような足取りでした。毎日一本歯の下駄で歩き回り、バランスを崩しそうになりながら、バランスを取る戻す中で、しっかりとした平衡感覚が培われているのだと思いますした。
下駄なんて不便極まりない履き物です。しかしその不便さが私たちのそもそもの健康を支えるものだという、きつねにつままれたようなことに驚きを隠せません。