ものを作らないからゴミになる

2024年5月1日

現代社会は典型的な消費社会です。大量生産という技術による過剰生産、そこから世界中がゴミと化しています。

昔読んだ星新一のショートショートの中の、底なしの穴と思い込んだ深い穴に町中のゴミを捨てていった話を思い出しました。捨てるだけ捨てたある日、ゴミを捨てる前に穴に向かって大きな声を出して深さを試したのですが、その声が空の上から聞こえたのです。

大量生産、消費社会はゴミ問題の前にものづくりの精神を私たちの生活から追い出してしまいました。昔はお母さんが子どもの服を作ったものでした。つぎはぎだらけのすぼんを履いている子どもは当たり前でした。現代社会では以っての外で、食事も家で作るより外食したり、お惣菜を買ってくることで済ませるわけです。食べることを大切にする日本ですらもみられるようになっています。そして余ったものはみんな捨てるのです。恵方巻きだけではないのです。

ものを作るときの素材と格闘する姿を美しいと思います。そこに費やされる時間はある意味愛おし位ものです。それが今は無駄、非合理的という枠組みに入れられてしまうのです。ものづくり、手仕事、職人技には技術がつきものです。しかも特殊技術です。それは長年の訓練によって上達するもので、職人さんは何年もの修行があって初めて一人前になるとかがえるのがかつては当たり前でしたが、そういう熟練した技術も最近ではAIを使ってロボットに学ばせることで、効率よくできるようになると考えるのが普通になっています。

技術の訓練が社会から遠ざかってしまうと、何度も繰り返す姿は現代社会から消えてしまっています。そうなると教育の中でものづくりの重要性が叫ばれるようになります。知力ばかりに焦点が合わされている現代の子どもたちの現実はものを作ることからますます遠ざかっているのです。ものを作るなんて億劫になってしまいます。教育がものづくりを実践している唯一の場所ということになってしまったのてす。ものづくりは教育の中でしか見られなくなってしまうのでしょうか。それにしても、何でもかんでも教育に任せていいものなのかどうかは考えものです。

作るという行為は、買うか作るかの選択の上に置かれるものではないはずです。絶対的な価値を持っているもののはずです。人類はそこに誇りを感じていたのですが、大量生産、大量消費の時代は本当の意味で作ることの喜びから離されてしまったのです。その結果は初めに言いましたがゴミの山です。ゴミのことが問題になっても、大量生産はとどまることがないのは不思議です。ゴミはものを作らなくなった社会の副産物なのだと思っています。

 

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