バッハとヘンデル

2024年5月15日

この二人を比較すると何かが見えてくるような気がしてならないので、いつか試みてみたいとは思っていたのですが、相手があまりにも大きすぎるので、いつも怯んでしまつて、書きたいことが思う存分かけないでいました。この二人の周りには高尚で難しい言葉が取り巻いています。

今も同じくらい怯んでいるのですが、書きたいという希望がまさっているので、どうなるか予想がつかないまま始めたいと思います。大衆的な観点から書いてみます。長くなるかもしれませんがよろしくお付き合いください。

この二人は同じ年にドイツの結構近いところで生まれています。1685年のザクセン州でのことでした。バッハはあまり旅行をする人ではなかったようですがヘンデルの方はイタリアに武者修行のような旅行をしています。イタリアではザクセンのチェンバロの魔術師と言われていたようで楽しいイタリア旅行だったようです。

バッハもヘンデルもドイツ生まれですが、ヘンデルの方はイギリスに帰化してイギリスで亡くなります。ここが複雑なところで、ドイツ人はヘンデルをドイツ人と見做していますが、イギリス人にとってヘンデルはイギリスに帰化したイギリス人なのです。ウェストミンスターに立派なお墓があります。

二人に共通したこととして、まるで冗談のような逸話があります。二人は晩年目を患っていました。夜は今と違って暗い中を蝋燭一本の弱い光のもとて作曲していたので、当然目に負担がかかったのでしょう。二人のかかりつけの目医者さんが同じお医者さんだったのです。

 

共通しているところはこのくらいで、音楽を聴いているとまるで反対の方を向いて音楽が響いているような感じがします。バッハは内に向かって、ヘンデルは外に向かって響くとよく言われます。バッハの内面性とヘンデル社交性のようにいう人もいます。人によってはヘンデルは過去の音楽にあこがれ、バッハは未来に向かっているという人もいます。そう言われると確かにそのように聞こえてきます。

バッハの音楽はドイツ人が大好きです。ドイツ人好みの作曲家は他にベートーヴェンとブラームスです。モーツァルト、シューベルト、ショパンなどはお上手ね程度のなくとです。それぞれの頭文字をとって三大「B」と呼んで親しまれています。

ドイツに長年住んでドイツ人を肌で感じてみると、バッハの音楽とドイツ人とは瓜二つだと思います。ドイツ人にとってはバッハの音楽の味わい、感触は自分そのものなのです。まるで自分の血や肉のようなものなのでしょう。バッハの音楽の語り口などはドイツ丸出しです。ドイツ人は話す時、よくない癖が一つあります。難しそうに話したがるという癖です。簡単に誰でもがわかるように話したりしたすると幼稚だと馬鹿にされます。難しく、多少複雑に込み入っていることの方が知的に満足できて、それが彼らのステータスなのです。講演などはなるべく難しく話すわけですから、日本人の私には、「この人随分意地悪な人だ」と感じてしまうのですが、ドイツ時にはこのように話さないと馬鹿にされてしまうのです。

私は日本語で講演する時には、なるたけ分かりやすく誰が聴いてもわかるように努めています。誤解されないように、誰もが確実にわかる言葉を選んだりするのです。ドイツ的に見れば幼稚な話し方と言えるかもしれません。

同じ私がドイツ語で話す時には、当然です、色々と難しい言葉を使ったり、わざわざ複雑に組み合わせたりして話します。ただそのような精神構造が私には備わっていないので、そのための準備は並大抵ではありませんし、講演を終えると汗だくです。易しく喋るより難しいそうに話すと受けるのです。なんという人たちだといつも思って講演していました。

バッハのフーガには八声のフーガが絡み合っているのだと自慢げに友人のピアニストが話してくれた時に、それが音楽とどういう関係があるのかがわかりませんでした。機械が複雑になっているのと同じではないかと思ったりしたのです。人間がだんだん機械に近づいているということなのかもしれません。

バッハの音楽の喜びはどこにあるのでしょう。バッハはいつもお説教をしているようで、しかも顰めっ面をしてます。二つの受難曲が代表作です。バッハ好きにはたまらないのです。そんなことよりもっと大切なのは知的な音楽ということです。知的であるバッハに傾倒しているのです。大切なのは知的であることのようです。そして機械の仕組みのように複雑であるということです。

ヘンデルの音楽からは知的な印象は受けません。幼稚で無垢でお人好しです。だからイギリスで受け入れられたのでしょう。魂の喜びが溢れているのがヘンデルの音楽の特徴です。ハイドンの音楽ほどシンブルにはならないのですが、彼の音楽と一緒に安らかな世界に入って行けるのです。何かに包まれているような安心感です。

ヘンデルのコンサートに行った時のことです。聞いているうちに、目の前に大きな鳥籠が見えてきたのです。そして音楽が続けて奏でられると、その中にいた鳥たちがその鳥籠から解放されて外に向かって飛んでいってしまったのです。

私もその鳥たちと一緒に狭苦しい鳥籠から抜け出したような気がしました。

毎年暮れになるとドイツではヘンデルのメサイヤが演奏されます。必ず聞きにゆきます。そして鳥籠から解放される快感を味わっています。

 

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