ファンタジーと嘘とを比べてみると

2019年7月24日

ファクタジー豊かに生きたいと多くの人が願っていると思います。ファンタジーは魔法、魔力のような魅力で私たちを引きつけます。何も無いところから何かを生み出す能力で想像力という訳語が当て買われていますが創造力でもいいと思っています。

このファンタジーですが、油断のならないものです。普段は別物と思っているものが、同種どころか起源を同じにしているからです。実は私たちが忌み嫌う嘘もその一つだったのです。

倫理的、道徳的に見ればファンタジーは歓迎され、嘘はご法度です。ファンタジーの世界へ旅に出たいと思いますが、嘘とはできるなら付き合いたくないと誰しもが思っています。嘘つきは嫌われます。法的には詐欺にまで発展しかねません。ところがこの道徳的な枠を外してみると、ファンタジーと嘘との境界線は曖昧になってしまいます。

 

ファンタジーと嘘を見分ける手段はあるのでしょうか。小説を例にとってみましょう。社会小説のような実際にあった事件を題材にしたものでもどこかに作り話が盛り込まれています。嘘をついているわけです。ドキュメンタリーにしても、映像は確かに写されたものですが、編集されたことで映像に別の意味をつけることもできます。改竄はいくらでも可能です。そうなるとドキュメンタリーも嘘をついていることになり、映像の事実はどこかに消えてしまいドキュメンタリーとは名ばかりのものになってしまいます。ファンタジー小説に至っては全てが作り話で、まさに嘘から出た誠というものの見本です。

ファンタジーと嘘。まるで二卵性の双生児のようだと直感して、じわじわと実感が湧いてくると、嘘をついついて生きてきた自分が許せるようになり、嘘そのものにも愛着が持てるようになったのです。いたずら心でつく嘘というのもあります。エイプリルフールの時の嘘のようなものです。わずか何秒かの命しかない嘘ですが、それでもやはり立派な嘘です。小さな子どものつく嘘は、すぐに嘘とわかってしまう可愛い嘘です。親にしてみると「うちの子が嘘をついた」と落胆するかもしれませんが、嘘とはそもそもファンタジーの変種とわかってしまえば気が楽になります。嘘は人生にあって薬味であり、香辛料のようなものなのかもしれません。

それにしても私たちの生きる社会は実にたくさん嘘をつきます。昔はなんでこんなに嘘に満ちているのか、嘘など本当は無いものなのにと考えたのですが、ファンタジーと関係していることに気づいてからは嘘に対して寛容になりました。私たちがファンタジーに憧れれば憧れるほど嘘への要求も増すのかもしれません。ファンタジーへの憧れに比例して嘘が横行するとも言えそうです。

 

政治というのは嘘で満ちていると愛想をつかしたくなりますが、そもそも政治というのはファンタジーと嘘が力を合わせて作ったものだという風に考えを切り替えたらどうでしょう。政(まつりごと)として政治が行われたのは遠いい昔の話です。ある時からファンタジーと嘘が作ったものに変わりました。その時期はおそらくお金という、やはりファンタジーと嘘から作られたものが力をつけてきた頃だと思います。そして権力という妄想が政治を支配したのです。

政治の世界の嘘を見ていると嘘と真実の駆け引きの妙技が見えてきます。政治の世界では、嘘は時の権力によって正当化され大義名分の付いた真実に化けて登場する厄介者です。力づくで真実として祭り上げられたものは真実とは違います。嘘が化けて真実になってしまうのです。

マスコミ、マスメディアにしても今日では政治の渦に巻き込まれてしまっているので、本来の事実を仲介し伝えるものという姿はなく、今では事実の仲介どころか嘘をまじえたフェイク情報を垂れ流し、民衆を洗脳するための道具として大活躍しています。インターネット上でもフェイク、嘘が横行していますし、学問すら、特に歴史などは、権力を掌握している人たちが自分に都合のいいように勝手に書いている物語という体たらくです。歴史のhistoryという言葉はhis storyの詰まった言葉だったのです。

 

そんなこんなの嘘ですが、ファンタジーに支えられているものだとわかってみるとなかなか付き合いがいのある奴かもしれません。もちろん噓が金欲、名誉欲、支配欲と行った力の道具になってしまうとエゴの落とし穴に落ちてしまい、せっかくの嘘といえども格を落としてしまいます。でも嘘をもみ消そうとすると、人間はファンタジーも一緒に失ってしまいますから気をつけなければなりません。

最後に芸術と嘘について触れてみます。芸術はそもそもファンタジーから生まれたもので、皮肉な言い方ですが、初めっから「嘘だ」と言い切って存在しているものです。私たちは芸術という名の下に嘘に身を委ね安心して騙されていたいのです。そこで嘘は力づくではなく、ファンタジーに援助され真実として私たちの心の中で生まれ変わるのです。

これからも講演会を続けて行きます

2019年7月19日

講演会だけをしていると、セミナー的なことへの希望が出てくることがあります。最近は富に増えているかもしれません。

講演会で話を聞いてもそれを具体的に役立たせることがないので、セミナーのようなものでノウハウ、ハウツーを学びたいという気持ちからなのでしょう。わかるような気がするのですが、私自身の経験を申し上げますと、実用性のあるセミナーに参加し(もう三十年以上も前の話ですが)、そこでノウハウを教えられて家に帰って学んだことを思い出そうとしても、表面的なことしかおもいだせないことがしばしばあったのです。二、三度あしを運んだ程度で、それ以来セミナーには参加していません。

講演会なんて話を聞いてくるだけという言い方もできます。確かに私の話などは実用性に乏しいものです。役に立たないものです。しかし人の話を聞くということについていえば、すぐに役に立つかどうかは別にして、そもそも価値のあるものだと考えています。

私は講演会で聞いた話が長く残っている人間で、繰り返し聞いた話、特に言葉を考えたりするタイプです。それに人の話を聞くというのは楽しいだけでなくインスピレーションを受け取ります。話の内容からというよりも、講演者の人となりや人生観が、声の中に、使う言葉の中に、息づかいの中に、なによりもその話し手の動きの中に生きているからです。テーマが興味深い、有名人だからと出かけた講演会からはインスピレーションをもらえないだけでなく、内容も意外と失望することが多かったと記憶しています。インスピレーションというのは目的意識の強い合理的で即物的なな環境には降りてこないもののようです。

 

講演をする人を目の前にして話を聞くというのは、話している人が聞き手の中に入り込んで来るのでしょぅ、本で読んだり、テレビで見たのとは違い、なまなましい体験です。言葉一つをとっても、講演者の人生観、世界観からの雫ですから存在感があります。話し手と聞き手との間の内的なやりとりからうまれるのがインスピレーションです。講演会に足を運ぶというのは、インスピレーションのためだと言えます。「今日はどんなインスピレーションが降りてくるのか」、そんな楽しみが、話を聞くときの醍醐味と言っていいと思います。わたしがワクワクするのは人間の価値についてインスピレーションを貰える時です。生きていることへの価値観です。価値観ですから、具体的なものではなく、役に立つかどうかはわからない抽象的なものですが、わたしの思考は必ず刺激してくれるのです。

 

今は目的のはっきりしたセミナーの時代ですから、ぼんやりした講演会など時代遅れかもしれません。しかしこんな学びもあっていいのではないか、いや、学びとはもともとのんびりしたものだったのではないのか、私はそう考えていますから、これからもお呼びがかかれば講演会は続けて行こうと考えています。

2019年秋の講演ツアーの日程調節

2019年7月14日

仲正雄講演会、並びにワークショップ、コンサートの主催者の皆さま

 

今のところ昨年に比べ気温が低く凌ぎゃすくなってぃますが、九州、西日本では局部的な集中豪雨が報道されており、油断の許せない七月半ばです。

豪雨の災害に見舞われた方々には心からお見舞い申し上げます。

 

今日は秋のツアーの日程調節を皆様と一緒に組んで行きたいと思いここにメールを差し上げている次第です。

 

期間は10月1日から11月15日とさせて頂きます。

申し込みの方法として次の二点を明記して頂けると、こちら側の日程調節がスムーズになりますのでよろしくお願いいたします。

1. 希望される日、あるいは時期と、

2. この日だけは、あるいはこの時期だけは無理

を明記していただいて、わたしのメール宛にお返事いただけますと、先着を優先しながら日程調節に入りたいと思います。

メールアドレスは

nakamasao511@outlook.jp

です。

 

申し込みは、8月15日までとさせていただきます。

9月1日には日程報告ができるようにしたいと考えております。

夏休みという時期を挟んでおりますが、みなさまのご協力をお願いする次第でございます。

 

最後にテーマについてです。

今まではみなさまの方から出されたテーマで講演をし、私の方から出すことはありませんでしたが、今回は私の方から二つほど提案として出してみたいと思います。あくまで提案ですので、みなさまの会の中で話し合われ決められたテーマを優先させていただいて一向に構いません。

1. 「治療と治癒」というテーマを考えています。私のブログをお読みになってくださっていらしゃる方は、先日このテーマで書いたものを思い出されていると思いますが(2019.7.10のもの)、治療と治癒には微妙な違いがあるのですが、普段混同されていて、区別なく使われているのが現状です。

私の講演ツアーもことしで30年になり、そろそろ締めくくりの時期と考えています。今まであまり触れずにいたテーマでもあり、私がドイツに行くきっかけになったテーマでもあるので、今年はこのテーマをみなさんと一緒に考えてみたいと思っています。

2.もう一つのテーマは「性」についてです。性については表立って話すのが憚れるものですが、今年の春に、京田辺シュタイナー学校の講演会でこのテーマを出されお話しをする機会がありました。そこで、実はこのテーマは思春期だけでなく人間の成長にとって大きな位置を占めていることを感じ、機会を設けていただけるのなら今後の講演会でも積極的に取り上げたいと、ここに提案させていただきます。わたしのブログでは、2019.1.24と2019.1.30にこの問題を扱っています。

 

以上が私からのお願いと報告でした。

 

これから本格的な夏がやってまいります。

どうぞお元気お過ごしください。

7月14日、シュトゥットガルトにて

仲正雄