これからも講演会を続けて行きます

2019年7月19日

講演会だけをしていると、セミナー的なことへの希望が出てくることがあります。最近は富に増えているかもしれません。

講演会で話を聞いてもそれを具体的に役立たせることがないので、セミナーのようなものでノウハウ、ハウツーを学びたいという気持ちからなのでしょう。わかるような気がするのですが、私自身の経験を申し上げますと、実用性のあるセミナーに参加し(もう三十年以上も前の話ですが)、そこでノウハウを教えられて家に帰って学んだことを思い出そうとしても、表面的なことしかおもいだせないことがしばしばあったのです。二、三度あしを運んだ程度で、それ以来セミナーには参加していません。

講演会なんて話を聞いてくるだけという言い方もできます。確かに私の話などは実用性に乏しいものです。役に立たないものです。しかし人の話を聞くということについていえば、すぐに役に立つかどうかは別にして、そもそも価値のあるものだと考えています。

私は講演会で聞いた話が長く残っている人間で、繰り返し聞いた話、特に言葉を考えたりするタイプです。それに人の話を聞くというのは楽しいだけでなくインスピレーションを受け取ります。話の内容からというよりも、講演者の人となりや人生観が、声の中に、使う言葉の中に、息づかいの中に、なによりもその話し手の動きの中に生きているからです。テーマが興味深い、有名人だからと出かけた講演会からはインスピレーションをもらえないだけでなく、内容も意外と失望することが多かったと記憶しています。インスピレーションというのは目的意識の強い合理的で即物的なな環境には降りてこないもののようです。

 

講演をする人を目の前にして話を聞くというのは、話している人が聞き手の中に入り込んで来るのでしょぅ、本で読んだり、テレビで見たのとは違い、なまなましい体験です。言葉一つをとっても、講演者の人生観、世界観からの雫ですから存在感があります。話し手と聞き手との間の内的なやりとりからうまれるのがインスピレーションです。講演会に足を運ぶというのは、インスピレーションのためだと言えます。「今日はどんなインスピレーションが降りてくるのか」、そんな楽しみが、話を聞くときの醍醐味と言っていいと思います。わたしがワクワクするのは人間の価値についてインスピレーションを貰える時です。生きていることへの価値観です。価値観ですから、具体的なものではなく、役に立つかどうかはわからない抽象的なものですが、わたしの思考は必ず刺激してくれるのです。

 

今は目的のはっきりしたセミナーの時代ですから、ぼんやりした講演会など時代遅れかもしれません。しかしこんな学びもあっていいのではないか、いや、学びとはもともとのんびりしたものだったのではないのか、私はそう考えていますから、これからもお呼びがかかれば講演会は続けて行こうと考えています。

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