嘘の正しさ
嘘でしか言えない本当かある、というのは長い間の私の口癖でした。私の言うことなどまずは自分で疑ってから聞いてください、ということの遠回しの言い方でした。しかし少々意地の悪いい言い方だったかもしれません。
講演会のようなところでは、聞いた話をいつも、いい話を聞いたと正しいものとして受け取られます。私にはそれは危ないものとして写っていたのです。多くの講師の方達り中には正しいと信じきってお話しされていらっしゃる方もいましたから、なおさら「これではいけない」と、嘘でしか言えない本当があると少しおちょくってみたのです。
社会でうまくやって行くには、その時代が「正しい」と思い込まされていることをアピールしたり、その内容を行動したりすることが一番なのです。そうしていれば周囲からはよく見られ、立派な実践者として敬われること間違いないでしょう。賛同者も増えて、その人たちとその正しいことをアピールし続ければいいのです。事実そうして生きている人は多いものです。一番多く見受けられるのが、政治的な活動をしている政治家で、その人たちの発言は、今の時代の中で正しいとされていることをうまく自分の意見としてまとめることの様です。そういうことに長けている人が政治家を目指しているとも言えます。正しいことをしていれば周囲から批判の対象になることはなく、しかも内容が立派なので良い人、立派な人として敬われることになるのです。怖いのはこれを巧みに活用することです。
これは立派な詐欺行為です。しかし政治の渦の中に巻き込まれてしまうと、それが悪いことだと感じる神経がなくなってしまう様です。それが詐欺的行為だと言う感覚が擦り切れてしまうのか、元々持っていないのかは人によって様々なのでしょうが、政治の世界ではこの戦略が必要の様です。
正しいことというのは不思議に時代と共に変わります。元を正せば、正しいというのは思い込みでしかないのかも知れません。ここをはっきりとわきまえていれば、世の中に出回っている正しいことに惑わされずにすみます。さらに正しいというのがいかに作術できで馬鹿げていることなのかもわかってきます。
もう一つ。正しいということを言いすぎている人たちは、裏にまやかしいものを隠していることが多いということです。正しいはカモフラージュするにはもってこいなのです。そのため世の中は正しいことで満ち溢れているのかも知れません。まずは正しいというものに振り回されることをいち早く卒業することです。
嘘でしか言えない本当、というのは、親鸞聖人の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」を心しての言葉なのですが、自分を善人だと思い込んでいる人間が立派に往生するのなら、自分を悪人と見做して良心の呵責を感じ反省している人間が往生できないわけがない、ということです。
正しいことを言っていると思い込んでいる人たちをいち早く見抜いてください、そこから世の中が良くなる道が見出せると思います。
正しいことなど言わなくていいのではないか、そう思います。






