願はくは花の下にて春死なむ
明日、二月三日、二年ぶりに日本に向かいます。節分の日ということで、二年を跨いでの大旅行となります。しかも如月の満月にです。
西行法師の辞世の句と言われるこのうたの下句は、そのきさらぎの望月のころ、となっています。今風にいうと、二月の満月にということです。
ここで読まれている花は梅ではなく桜の花だというのは少々驚きです。きさらぎは如月ですから二月を指し、仏陀が亡くなった二月十五日を暗示しています。二月の満月の煌々と照る桜が満開の二月(できれば十五日)に死にたいものだと西行法師は願ったのです。そして一日遅れの二月十六日に七十三歳で亡くなっています。
死ぬと言うことは民族、宗教によって随分違いのあるものです。現代人の生死観は民族性でもなく、宗教でもなく、科学によって裏打ちされています。人類史的に見た時には特殊なものと言えるのではないかと思っています。安楽死のような、いわば合理的な発想はかつてなかったことです。良い悪いではなく、なかったのです。あり得ないことだったのです。今はそれも合理的に見てありということになっています。死んで仕舞えば何もないという考え方が基本にあるのかもしれません。死んだ後のことは万人にとって同じで、わからないことです。そのため様々な発言がなされているのですが、いまだに結論は出ておらず、死をどのように整理したらいいのかは、わからないのです。だからといって何もないと決めるのは早とちりです。わからないというところから、ないと結論づけるのは強引すぎます。なぜ保留できないのでしょうか。簡単です、保留する力がないからなのです。結論を出さずに置いておくといのは実は難しいことなのだと最近思う様になりました。これは魂の力からくると思っています。とは言ってもどっちかに結論づけないと治らないように教育されてしまったので仕方がないのかもしれません。
西行の歌に戻りましょう。こんなにたくさんの自然を纏って死を迎えようと願う人は今の時代にはどこを探しても見つからないでしよう。自然と共にあり、自然に包まれて生きていた人と現代の人は自然の意味づけが変わってしまったからです。今や自然は環境という、政治的、経済的な対象になっていて、宗教とは全く関係のない方便の対象になっています。自然を口実に儲けている人がいると言ったら言い過ぎでしょうか。自然をうまく使うと巨額の富が舞い込んでくるのです。自然は目的化され、純粋に愛でるものではなくなってしまったのです。かつてのカールソンの「沈黙の春」は痛烈な警告でした。そこには純粋な自然への願いが生きていました。しかし何十年後には自然保護は全く別のものになってしまいました。
西行法師はこの歌に、これ以上詰め込めないほどの自然を盛り込んでいるのに、歌そのものは静かな調和が保たれています。俳句では季語として一つだけしか許されていませんし、和歌にしても一つの自然を歌い切るだけで大変な集中力が必要とされるのに、花、春、如月、望月と四つがひしめき合うという妙技を見せる歌です。パンクしそうなのに、西行法師のこの歌は不思議なことに静けさがあるのです。決め手は歌出の「願はくは」にあると思っています。歌う気持ちの方向が明確に示されているからです。西行法師の目標は死です。もがき続けた人生が手袋を裏返したように多種多様な自然を盛り込んで辞世の句を歌い上げているのでしょう。
西行は日本中を旅した旅人でもありました。当時の旅は今の旅からは想像もつかない過酷なものだったはずで、歩いて日本中をめぐるというのは考えられないことです。それなのになぜ旅に出たのでしょう。行楽に週末どこかに出かけるのとは全然違うのです。
一生を旅に費やした芭蕉の辞世の句は、旅に病んで夢は枯れ野を駆け巡る、です。
二人の詩人は、今の東北から始まり日本中を旅し続けたのです。詩人と旅は深い因果がある、切っても切れない炎を感じます。旅にいるというのは、毎日が崖っぷちにある様なものなのかもしれません。芭蕉は弟子に、「どの句も、それが辞世の句になると思ってよめ」と言っていたそうです。彼らからすると、今は旅と呼べるほどのものではないということになりそうです。一寸先は闇というのは、昔も今も変わっていないのかもしれませんが、今は分からないや病みを払拭しようと保険に入り、色々と保証され、守られすぎているので、人生そのものの捉え方が昔とは違うのです。当然死に対しても同じことが言えると思います。
現代人の生とは随分軽くなってしまった様です。同時に死も軽くなってしまったのでしょうか。
なんだか取り止めのないことを書いてしまいました。
日本のどこかの空の下でお目にかかりましょう。






