散髪体験
散髪という言い方はノスタルジックな言い方です。そして散髪をしてもらう床屋さんももうほとんど死語に近いです。ヘアースタイル、ヘアーアトリエ、とかいう横文字の言い方が昨今では普通の様です。
髪の毛が伸びたと感じたら散髪しに床屋さんにゆくと、子どもの頃から決まっていました。しかし小学校に上がる前までは父が安物のバリカンで散髪をしてくれていました。虎刈りもよくありました。今はそんな言葉を知らない人の方が多いのでしょうが。
子どもの頃は床屋さんが苦手でした。これといった理由は思いつかないのですが、床屋さんで順番を待っているあのどうしようもない退屈な雰囲気が苦手だった様です。今は飲み物のサービスなどがありますが、昔は黙って漫画を読んで時間潰しをしているのでした。
床屋さんで髪を切ってもらって、「はい」と言われて鏡を見るのですが、大抵は納得がいっていないのです。ただ短くしただけじゃないかと家に帰って母親に文句をいったこともありました。大人になってからもいろいろな床屋さんを渡り歩いたのですが、大抵終わった後の不思議な不満足感は、どこの床屋さんに行っても大体同じ様なものでした。その経験がある種のトラウマの様なものになっていて、床屋には足繁く通うことはありませんでした。
ところが、今通っている床屋さんの散髪は気に入っているのです。まず初めっから終わりまでずっとハサミを使って私の頭を苅ってくれるのです。バリカンは使わずハサミだけです。切っている間中「チョキ、チョキ」という心地よい音が耳元で鳴っているのです。この音を聴いているだけで気持ちが軽くなってゆきます。
この床屋さんは偶然に見つけた床屋さんだったのです。よくあるのは友達が通っている床屋さんに行くというものですが、人に紹介されたわけでもなく、ましてや何かの宣伝で知ったというのでもないのです。その床屋さんはトルコの方です。しかも日本でも色々と問題を起こしているクルドなのです。ある時人と待ち合わせをした後家路に着こうとした時に、「明日会議があるから頭でもさっぱりさせたい」と思った矢先に目の前に床屋があったのです。これは天の思し召しと思い、入ったら、待っている人が一人いるだけで、「どのくらいかかりますか」と聞くと小一時間ということで、近くのスーパーで買い物をして床屋さんに戻ってきて、散髪が始まったのです。頭を洗ってもらい、散髪の開始です。その時にすでに終始ハサミだけで頭を刈っているのが嬉しかったのを思い出します。
ただ座っている姿勢を少しでも崩すと「深く座って、しっかり前を向いて」と指導が入るのです。深く座らないと、床屋さんが姿勢を崩さないといけなくなるので、お客さんは姿勢を正して、微動だにしない状態でカモの毛を切ってもらうのです。初めての時にすでに、終わった後のの自分の頭を見て満足していました。
床屋さんで髪の毛を切ってもらった後の自分の頭に満足するというのは、私の場合実に稀なことだったのです。ほとんどなかったのではないかと思います。「短くすればいいってもんじゃないんだ」と胸糞を悪くしていたこともあります。そのトルコの床屋さんが刈った後の頭は、本当に素敵なんです。誤解しないでください。私が素敵なんではないのです。散髪が素敵なんです。自分でも惚れ惚れするほどのできないのです。毎回ですから、彼の腕は相当のものだと確信しています。
今日は散髪をしてもらった後に、そのことを床屋さんに言ったのですが、床屋さんはもちろんプロですからそういうお客さんの反応は熟知しているのですが、私が本当に気に入っているというと、照れながら喜んでいました。






