日本と俳句

2018年1月5日

新年明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

新しい年が実り多き年でありますよう心からのお祈りいたします。

 

今年最初のブログのテーマに俳句を選びました。

俳句は漫画と並び外国から日本文学、日本文化との接点を求める人たちの中で興味深く、しかも熱く語られているものです。

日本生まれの俳句が他の言語を話す人たちの関心を引いている訳ですが、いったいどのようにして俳句に引かれていったのでしょう。

 

20世紀初頭のイギリスで、中国の漢詩から東洋への目覚めは始まりました。その流れは次に源氏物語の発見へと繋がり、和歌の世界、そして万葉集と日本文学への関心は瞬く間に広がってきます。そこで大きく貢献したのはアーサー・ウェイリー(1889-1966)でした。語学の天才ウェイリーは大学の時にすでにヨーロッパのいくつもの言葉を使いこなす人でしたから、勤めた大英博物館で中国の絵画を整理しているうちに漢字を習得してしまい、ついに漢詩の翻訳をするまでになるのです。次にあてがわられた仕事が日本の絵画の整理で、そこで触れた源氏物語の絵から日本語に接し、源氏物語を日本から取り寄せ、独学で日本語までもマスターして、驚くなかれ源氏物語を翻訳するようになります。ウェイリーは稀有な翻訳の天才でした。彼の翻訳にかかると英語で源氏物語が生き始めるとも言われています。多くの人が彼の翻訳で日本に目覚めたという経緯を知ると、もし彼の翻訳がなかったとすれば、今日に至るまで日本文学は世界に閉ざさたままでいたかも知れないのです。

余談になりますが、天才という存在は歴史の変化には絶対に必要な存在で、時間の流れが一人の天才によって飛躍することもあるのです。

 

日本の俳句が世界の俳句になったのは1950年代のことです。短さが特に注目を引いたわけですが、同時に十七字に込められた詩の深さと広がりが驚きで以って受け入れられたようです。とは言え俳句の理屈ではない、論理性を持たない独特の深みは外国語にとっては手強いものでした。

ここのところは禅の理解に手をこまねくのに似ています。

俳句も英語が皮切りでしたが今では五七五のリズムに乗せて世界中で、様々な言葉で五七五が作られています。世界に類のない短さ、それなのに微妙に複雑なところがあり、そこから生まれる軽みと深みを重ね持つ神秘性の虜になっているのでしょう。

 

外国で俳句に携わる人たちの間でよく持ち出されるのが、かつて国連事務総長を務め(在位1953ー61)不慮の事故で亡くなったスウェーデンのハマーショルドが残した五七五です。もう半世紀も前に書かれたものなのに今でも根強く読者を捉えています。

複雑な社会情勢を全力で生きたハマーショルド事務総長は秘密のノートを持っていてそれを金庫に隠していました。秘書に「自分にもしものことがあった時にだけ開いて読んで良いです」といっていた個人用の金庫です。彼の死後その金庫は開けられた訳ですが、世界の政治に通じていた彼のことですから、何が出て来るのか、数多の政治家たちは興味津々でした。きっとそこには事務総長だけが知っていた世界情勢の秘密が書かれてあるに違いないと誰もが信じていたからです。ところが出てきたノートに書かれてあったのは、彼が丹精込めて作った俳句でした。辛い毎日の生活の中で、押し潰されそうな心を五七五に託し「十七文字に乗って軽やかに飛んでおくれ」と俳句に専念していたのがハマーショルド事務総長だったのでした。それは俳句というより、ハマーショルドの魂に宿った十七文字の神秘と呼ぶ方がふさわしいでしょう。

 

俳句が俳句である所以は、五七五のリズムがあること、季語が含まれていることです。特に季語は四季を持つ日本風土の中で詠われる俳句にとっては殊更重要で、四季を無視しては致命的で、俳句ではなくなってしまいます。

俳句の作者の心の中をめぐる思いがまずあって、そこに周囲の四季、時の流れを融合させるとき俳句は生き物になります。おぞましいまでに絶妙な自他一体感、宇宙との一体感が俳句から感じられるわけです。人間が宇宙に溶ける瞬間です。俳句の詠み手の中に流れている主観的な時間と、四季という形をとりながら流れている客観的な時間とが一つになる場所が俳句なのです。インテリたちは季語などどうでも良いと考え勝ちです。俳句はそもそも詩なのだから心の中に想起する思いを詠めば良いと考える人も沢山いますが、俳句に思想だけを託すのはセンスのない野暮な創作行為で、知らず知らずのうちに自己中心のエゴイズムに振り回されているのです。季語に現れる外を流れる時間を無視することは、厳密に言えば他人を無視することでもあるのです。

俳句は一人の人間と自然とが言葉の綾に支えられ、戯れ一体化する精神の優雅な遊びで、しかもその原点にあるのは、私はもしかしたらユーモアと呼んでいいもののような気がしてならないのです。

 

俳句は日本語というシブラル(アイウエオ、カキクケコというひらがなになっている綴りのことです)がすでに意味を持つ言葉から産まれたものです。一音が意味を持つことで、シブラルの綾が五七五だけで壮大なニュワンスの宇宙を構成できる訳で、ヨーロッバの言語のように単語が中心になり、しかもしっかり文法で構成されていて、さらに論理性に貫かれるものとなると、その言葉はいやが上にも散文向きで、説明中心になってしまい、言葉遊びの俳句からは遠ざかってしまうように思います。

 

小説家、戯曲家たちが熱心に俳句を作っているのは有名です。夏目漱石も俳句の名人でした。随筆の達人寺田寅彦も俳句の世界を謳歌した人ですし、寺山修司も中学の時は俳句作りに専念していたそうです。俳句は言葉を磨く格好の場所であり感性を磨く場所でもあるのです。

日本語にあっても言葉の修練場であるのに、外国語が、汗水流しながら俳句作りに励んでいる姿を見ると、精神の遊びを通して新しい言葉と感性を磨く道場に足繁く通っている姿を見るような気がしてならないのです。いつの日か西洋の散文の中に俳句で鍛えられた言葉が生まれるかもしれません。

もう一つは説明で片付ける文化が、説明ではない片付け方をどのように習得するのか。日本の精神性全体に言えることですが、説明しない訓練の道場、それも俳句です。説明された俳句ほどつまらないものはありません。説明を超えた理解、これは非常に特殊なものです。西洋ぶんかの洗礼を受けたい現代日本人にとっても近づき難いものになってしまいました。しかし俳句は依然と説明を超えたところにあるものなのです。

 

 

健康という謎そして罠

2017年12月20日

病気と健康、どういう関係にあるのでしょう。とかく因果関係のあるもののように扱われがちです。あるいは悪いところがないから健康という具合に一緒くたです。

私は健康と病気とはそもそも全く違うものだと考えています。この違いを説明するのが結構難しいのでこの文章を書くことにしました。

病気はわかりやすいというのか、具体的というのか、現実的にあるものです。痛みがあったり、熱があったり、貧血で倒れたりと、見える形で現れます。

ところが健康は具体的な手応えがなく、ぼんやりしていて、さらに見えないものです。しかも空気のようなもので、あって当たり前ですから気付かずに通り過ぎます。

聞くところによると病気につけられている名前は三万以上あるそうです。病気の種類を三万以上に分けたというのは近代科学による医療の成果と見ていいのかもしれませんが、本音を吐くと、病気を無くすのが医療なのか、病名を増やすのが医療なのかと皮肉りたくなります。ともあれ、悲しむべきかな病名は増え続けているそうです。

 

健康は当たり前にあるものと言って見ましたが、一人一人の人間が健康については知っているとも言えそうです。もちろん知っているとは言っても本能的ですから根拠がないわけです。とは言っても健康は個人的なものですから、健康というのは人の数だけあるという風に言っても差し支えのないものです。ざっと七十億の健康があるということになって、今度は三万という病気の数が子供騙しに見えてきます。

健康と病気の比較は数字に遊んでみるとなんとも奇妙な様相を呈すものです。つまりはお互いに比較しても意味がないということに帰結するようです。

 

 

さて健康ですが、昨今は健康が大変なブームになっていて、健康食品、健康飲料、健康のための器具、健康体操、健康な歩き方というようになんでも健康をつけるとありがたかられるのです。健康という名前に社会が酔っているようにも見えます。

またメンタルな方からも、心のバランスが健康には欠かせないとか、明るい気持ちが健康の源とかいう言い方にも健康をターゲットにするようになっていて、健康ブームは底なし沼というか、複雑怪奇な様相を呈しています。

 

病気、病気と言い過ぎると滅入ってきてしまいます。私が病気になった時入院した病院では、患者同士で病気の話は決してしないようにと患者さんたちは医者から諭されていました。私たちは自分の病気について話すのが大好きなのです。

同様に健康健康と言い過ぎるとこれまた意外な落とし穴に落ちることになります。ドイツという国は何かにつけて「健康にいいものだから」と人に勧めます。しかし健康は個人管理のものであるわけで、一般論としての健康なんかないわけですから、他人なんだから放っておかなければならないのに、ズケズケと「健康にいいから」とは言ってくるのです。放っておいてくれというのが正直な感想です。

これは健康にいいですよくらいまでは穏やかですが、強靭な意志が健康を作る、毎日の生活のリズムが大事であるとか、いつも前向きでいることというところにまで来ると、それははっきり押し付けられているようなものを感じ、人間関係にまで影響し兼ねないのです。こうこうすれば健康になるという押し付けは、病気を裏返したようなところがあり、健康な顔をした病気かもしれないと勘ぐってしまいます。

 

病気も程よく付き合えば健康への道が開かれるものです。

健康はいいことなのでどうしても人に勧めたくなりますが、度を越すと押し付け病です。他人に介入するという落とし穴に落ちてしまいます。

 

さてここまで話を進めましたが、まだ健康とはという問いに答えていません。

私が健康と考えているのは、円の中心のようなものです。

円の点は理屈の上では点として存在していますが、実際には見ることはないわけで無いに等しいのです。様々な、時には想像を絶するようなことも起こる人間生活は言って見れば円周のようなものを形成しています。外の世界との交わりで作られ、病気もそこに位置しています。円の円周と円の中心との関係が一筋縄では行かないように、病気と健康の関係も複雑なものにならざるをえないのです。

シュトレンの季節

2017年11月23日

クリスマスが近づくとお店にはシュトレンが山積みされます。真っ白のお砂糖のパウダーに包まれたシュトレンは日本でも冬の象徴になっていますが何故なのでしょう。情報の行き届いた今日ご存じの方も多いかと思いますが、シュトレンは誕生したイエスキリストが布で巻かれていたことに由来します。

イエスキリストが布に巻かれていたという記述が聖書にあるのかどうかさだかではありませんし、当時の風習で赤ちゃんが布に巻かれたかどうかもわかりません。確かなのは、イエスキリストの誕生が描かれている中世ヨーロッパの絵画の中です。もしかすると絵が描かれた中世のヨーロッパの習慣にしたがったものかもしれません。

いずれにしろ赤ちゃんを布で包む習慣はヨーロッパにあったということです。

ところが色々と調べて行くと、ヨーロッパに限られたことではなく、世界各地に同じように生後間もない赤ちゃんを布でぐるぐる巻く習慣があったことがわかります。しかも現在もその習慣を周到している所があることを知りました。私はペルーでそうされている赤ちゃんがいたのをテレビで見たことがあります。生後一年は布に縛られているということでした。

赤ちゃんをぐるぐる布で縛るわけで、考え方によっては子どもの動きを妨げ、成長の障害になってよくないものに映るのでしょうが、長い間世界各地に見られた習慣なわけですから、そこに何かあると考えた方が自然な気がします。実は私は、赤ちゃんを布で巻くことにヒントを得て、人を救ったことがあるため、個人的には布でぐるぐる巻くことに賛成なのです。

 

交通事故で意識不明になった二十歳過ぎのお嬢さんが、布で体をぐるぐる縛られ、二週間後に意識を回復されたことがあります。その娘さんのおばさんにあたる方を知っていて、その方から電話で呼び出され、岡山から出雲病院に駆けつけました。講演ツアーの途中で夜遅く病院に着きました。ベッドの中のお嬢さんは顔を左右に振り、足をバタバタさせながら、とても苦しそうでした。医者の話では命に別条はないが恐らく意識が回復する可能性はゼロに近く、一生このままでしょうということで身内の方は失意のどん底でした。

足をバタバタさせているお嬢さんを見て、そこから力が抜けているのを感じたので、両石をしっかりと固定するようにお願いしました。突然のことで大きな布はなく、しかも夜で買い物もできなかったので、とりあえずは近くにあったバスタオルでお嬢さんの足をしっかりと巻いて、ばたつかないようにしました。バスタオルはすぐに緩くなるので、腹巻きにする様なサラシの布を10メートルほど用意して、それで腰のあたりから足先までしっかりと固定してくださいと言い残し、秋の講演ツアーの途中の寄り道でしたからその場を去りました。

次の日、医者が猛反対をしているので困っているという電話がありました。医者はそんなことをしたら患者の運動機能が退化してもっと悲惨な状態になるのですぐやめる様に半ば脅迫的勢いで言っていたそうです。身内の方はお嬢さんの顔が一夜にして、落ち着いて来ているのを見て知っていたので、医者に食いついて、二、三日様子を見させてほしいと頑張り、なんとか了解を得たそうです。次の朝にはお嬢さんは顔を左右に振ることをやめていたそうです。そしてそれまで眉間にしわを寄せて苦しそうだった顔がおだやかな表情に変わったのにびっくりしたそうで、次の二、三日で何かが起こることを期待したそうです。

その後の回復は目を見張るもので、まず目が開き、周囲を見はじめ、誰がそばにいるのかがわかる様になり、二週間で意識がしっかりと回復したということでした。もちろん担当医は、そんなことをしなくても注射で医師は回復したはずですと涼しげに言っていたそうです。ほとんどの医者に共通した破廉恥なものの言い方にはいつもながらびっくりさせられます。

この話には後日談があって、お嬢さんの意識が日に日にはっきりして行った頃に、その家族の知り合いの息子さんがボクシングで、打たれ所が悪くその場で気絶してタンカーで病院に運ばれたそうです。今でもまだ意識不明の状態にあると知らされ、迷わずお嬢さんがやった布でぐるぐる巻くことを勧めたのだそうです。その事故は台湾で起きたため、医者を説得するのに時間がかかったそうですが、その息子さんもほぼ二週間でしっかりと意識を取り戻し退院したということです。

まだいくつか珍しい事例がありますが、それはまたいつか。