毎日が日曜日

2025年5月13日

人間はいろいろなリズムを刻みながら生きている存在なのです。

リズムというと早計に音楽のことかと思いきや、実は一週間というリズムや一年を四つに分けて四季というリズム、一日も昼と夜というリズムというふうに生活の至る所にリズムがあるので、私たちはリズミカルに生きている存在だったのです。と言うことは、生活とはそれ自身がもうすでに音楽的と言ってもいいくらいのものなのです。

色の世界には何千、何万と無数の色が存在しています。人間はそれらの間のニュアンスを相当厳密に識別できるのだそうです。それなのに虹には七色しかないというのはいとも不思議です。七が色の持つリズムなのでしょうか。

このように周囲にいろいろなリズムを感じられたら、人生が変わるかもしれません。

リズムというのはそれだけでなく、生活に流れを作っているものなので、生活を楽にしてくれているものでもあるのです。昔は男たちが力仕事をする時には掛け声を合わせ、リズムを整えとやったものでした。さらにこのリズム、実は私たちの生きる力を支えてくれているのだと言うことを最近ではすっかり忘れてしまったのです。

 

このような考え方がある一方で、先日とても心に残る言葉を耳にしました。「毎日がお正月」という、何とも嬉しくなるような捉え方でした。毎日がお正月だったら一年のリズは台無しになってしまうと言う人もいるかもしれませんが、観点が違うので矛盾しているようで、矛盾していないのだと思います。

最近お粥が食べたくなることがあり、お粥の作り方をYouTubeで探していたら、ジュディオングという懐かしい名前に遭遇して、それをみていました。中華風ではなく台湾風のお粥の作り方で、しかもジュディオング家に伝わるおばあちゃんのお粥でした。出来上がって盛り付けをするときに彼女が「毎日がお正月」と言いながら、お母さんがいただいたという一番好きな器にできたお粥を注いだのです。何気ない言葉でしたが私には意外とインパクトがあって、「そうか、そういう風に考えたら人生また一つ楽しくなるなぁー」と感心したのです。

そうしたら誕生日の日に久しぶりの友人から電話があって、電話口でしばらく話をしていたら、突然「毎日が誕生日」と考えてもいいんだよなぁーと、いうのです。どこかで聞いた話だと心でニヤリとしていたら、彼のお母さんはもっとすごくて「毎日が日曜日」と言っていたというのです。そのお母さんは敬虔なカソリック教徒でした。カソリックというのはプロテスタントとは違い、キリストが復活した日曜日が元旦を意味する日に当たります。ですからイエス誕生のクリスマス同様、復活祭は大事な祝日なのです。もしかすると復活した日曜日の方が大事だと思っている人の方が多いかもしれません。カソリック教徒だった彼のお母さんはそんなつもりで毎日を祝福していたのでしょう。

日本語では今日と書いて「きょう」と読ませます。実は逆で万葉の昔から「きょう、けふ」という言葉があったので、今日という漢字は当て字だと思います。英語で今日というのはTodayです。みんな知っている単語ですが、これは二つの言葉からなっていて、toとdayが組み合わさったものなのです。前置詞のtoは意外と複雑な意味を持っているのです。どどこへ、というふうに方向を示すことが多いですが、複雑な使い方で外国人を悩ませる前置詞です。ドイツ語でも今日というheuteは二つの言葉が合わさっていて、heuとteからなっています。teは英語のdayです。

どちらの言葉も、この日のためにとか、この日にとってとか、この日を通してといった意味を持っていた言葉だったのです。今日では記号のようにtoday、heuteと使っているのですが、実はtoday、heuteには重い意味が備わっていたのです。ですから当然考えを変えてみると、今日は特別な日なのです。ということは毎日が日曜日と考えるの当然なのです。。

毎日がお正月、毎日が日曜日。何だか体が芯から暖まるような考え方です。そんなふうに生きてみたいものです。

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