私がライアーで弾くものは弾いていて落ち着くものです。奇を衒ったようなものは弾きません。超絶技巧のようなこともしません。作曲技法的な観点から見て興味深いものがあっても、落ち着きがないものには興味がありません。学問的になったものも興味の対象外です。ゆったりした、のんびりした、どちらかというと眠たくなるようなものです。当然聞いている方たちは睡魔と戦いながら私の演奏を聞くことになると思います。しかし後て聞いてみると寝ているようで寝てはいなかったと言われます。なんとなく瞑想の状態でしたという方もいらっしやいます。どこかに行ってしまいそうでしたという方もいます。こういうのをなんというのでしょうか。音楽を鑑賞しているというのとは全然違うものです。演奏する側のスタンスとしても、音楽を奏でているのですが、音楽を演奏しているという気持ちからは遠いいものです。
ライアーは楽器です。音楽を奏でる楽器です。しかし私は音楽として作曲されたものを音楽としては弾いていないのかもしれません。音楽に失礼をしているのかもしれません。音楽を音楽以前に戻しているのかもしれないと思うこともあります。バッハやヘンデル、シューベルト、グルック、ブラームスなどいった西洋の音楽を弾いているのですが、どうも西洋音楽には聴こえないのだそうです。私の演奏のテンポは遅いのでそれが原因なのではないかとも考えますが、西洋音楽で童謡を歌うように弾いていることは確かです。
私のライアー演奏は音楽鑑賞という点からは遠いものですから、聴きにきていらっしゃる方たちは演奏される音楽よりも演奏そのものに関心を抱いてくださっていると思います。学問的な音楽の解釈というものではなく、ライアーが作る演奏スタイルと言ってもいいのかもしれません。しかしスタイルと言えるほど確立されたものではありません。あえてスタイルと言えるものがあるとしたらゆっくりです。あくまでもゆっくりです。私の弾き方からするとどうしてもゆっくりにならざるを得ないのです。しかしそれが聞いていらっしゃる方たちを気持ちよくさせている様なのです。
私として努めていることが一つあります。一音一音が余韻を持つよう心がけています。ライアーは撥弦楽器ですから心掛けなくても弾いた音は消えてゆくものですから、必然的に余韻があるのですが、その余韻か゜豊かになることを意識して弾いています。弓で擦る弦楽器は撥弦楽器のように弾いた後に音が消えてゆくことはなく、弓で擦っている間中、音がなってています。しかも撥弦楽器の何倍もの音量がありますから、ダイナミックさに於いても大きな会場向きです。
今回の旅行では、短い時には二十分ほど、長い時には四十分ほどを続けて一気に、あたかも一つの曲であるかのようにメドレー仕立てにして弾きました。ヒントになったのは、高知で昔、講演会を主催してくださった女性が「私の主人が那珂さんのCDを聞いて一つの曲を弾いているのかと思った」とおっしゃっていたものです。その時に、それなら思い切ってコンサートの時もそのように構成してみたいと思ったのですが、なかなか勇気のいることで今まで実現しなかったのですが、今回ライヴでやったらどうなるかを実験的にやってみました。年の功と笑っていただいていいのですが、結果はどうだったかというと大好評でした。そしてその方が私の演奏スタイルに合っていると感じました。これからはこれでゆこうと思っていますから、次回どこかの会場で私の演奏に接する機会があるときは、このメドレーとなった三十分なり四十分を楽しんでいただけると思います。
演奏している間はずっとゆっくりのテンポで弾くので、一音一音がしっかりしていないと、退屈でつまらないものになってしまいます。気合を入れて一音を作り出さなければならなりません。ライアーを強弱を作れない楽器と決めて演奏されている方も見受けますが、それでは聞いていらっしゃる方たちを十分も引き付けて置けないと思います。ライアーでも表現というほどのものではないにしても強弱はつけられます。その強弱は呼吸のようなものですからとても大切なものだと思って私は弾いています。
ということで私のライアー演奏のうらがわを少し書いてみました。
2026年3月19日
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仲正雄ブログ






