陰翳礼讃(いんえいらいさん)最近にしゃ真は真は
日本からドイツに帰ってくると、飛行場で少なからず文化ショックの様なものがあります。しかし、そんな中でも一昔前とは状況が少し違っていて、私が日本人だとわかると、どの人も親切に対応してくれるのです。日本に行ったことのある人たちが増えていることが大きい様です。状況次第では「この間日本に行ってきた」と声をかけて来る人もいるほどです。日本で歓迎されたことへのお礼だと言う人もいます。
とは言っても基本的な雰囲気はやはり違います。ヨーロッパと言うのは「ショー文化」つまり「見せる文化」ですから、何でも見える様にすることが大切なのです。間違っても陰徳など言う考えが生まれる余地などないのです。何が何でも、とにかく見せるのです。考えていることも表に出して見せるのです。思っていることを顔に出す人もいるくらいです。表現が豊かと言うのではなく、何でも表現すると言う事だと思っています。空間もキラキラです。お隣の中国ほどではないにしても、これが近代化の象徴だと言わんばかりです。そんな中にいると、侘び寂び人間は疲れます。
谷崎潤一郎の随筆、陰翳礼讃のことがそんなときによく思い出されます。意外や意外ドイツ語にも訳されていて、日本好きな人たちの間では結構読まれていいるだけでなく評価も高い本なのです。とは言ってもこの本を読んだだけで文化が変わるものではありません。理解しているのはごく少数ですから。
谷崎的感性と重るところはありますが、私は私で影というものに関心を持っています。ちなみにライアーの演奏に関しても陰を意識しています。音に陰、とびっくりされる方もあると思いますが、私は音楽の演奏にも陰はあると思っています。少なくとも私は陰の部分を意識して音を作っているつもりです。私の演奏がゆっくりなのはそのことと関係しているのかもしれません。陰のある音は深みを感じます。
話は少し変わりますが、その昔、写真が段々とデジタルに移行してゆくときに、「最近に写真は隅々まで明るく撮れて面白くない」と友人に語ったことがありました。いつもイラストで応援してくれた檜山邦彦さんにです。そうしたら彼があるカメラを紹介してくれたのです。「ペンタックスのDシリーズを使ってみたら」と言うので、早速買って試してみました。確かに陰の部分が生きているのです。こう書いたからといってペンタックスからは何も頂いておりません。ただ陰が撮れることに感動したことをお伝えしたかっただけです。重厚感が感じられる写真です。
言葉は伝えることが大事と言うことにして仕舞えば話は簡単です。言葉はコミニュケーションの道具ですむからです。しかし言葉には含みがあります。それを陰と言ったらどうでしょうか。もしかすると言霊もそこに入るのかもしれません。
詩の言葉は特に陰の部分が大きいです。余韻というのか残響が詩の場合は大切です。使われている言葉の意味よりも、意味以外の諸々の事が大切な気がしています。詩に興味のない人にとって詩は珍紛漢紛なものです。今は言葉離れしていると言われる時代ですから、言葉の意味すらおぼつかない人たちが増えているのでしょうから、詩の言葉のような意味の彼方のような、意味不明の言葉などは想像もつかないのかもしれません。そんな時代の中にあっても、やはり詩を読むことをお勧めします。わからなくても良いので詩を読み続けると何か感じる様になります。習うより慣れろという言葉がありますが、まさにそれです。しかも詩はゆっくり読まなければなりません。ゆっくりからしか感じられないものがあるからです。できれば歌うようにゆっくりが良いと思います。






