AI と神

2026年9月22日

今日は本当にまだ熟していない思いを吐露するブログです。

旧約聖書では神が人間を作りたもうた物となっています。そっくりのということです。
もしAIが人間が作りたもうた物となると、AIは神の孫になりますが、私は違うとはっきり言います。

人間は神を越えることができるのかと問うことはほとんどありません。こと宗教に置いてでは。ただ哲学で「神は死んだ」とニーチェは言いましたが、宗教は未だに衰えることはありません。
ところが、AIはいつの日にか人間を超えるのだろうかと危惧する人たちは多いようです。どこに違いがあるのだろうと考えます。
人間はAIを作る際に、人間の似姿とすると英断したわけではありません。コンピューターは元々は計算機でした。それが技術開発で、巧みな計算術を習得して今日のAIにまでなったのです。
神が人間を作るときは英断したのです。そして神自身が自分が知りたいと人間を作ったのです。

人間は自分の知性の生き写しとしてAIを作ったのでしょうか。一体何のためにそんなことが必要だったのでしょうか。さらに言うと、人間の知性の全てをAIに注ぎ込んだということでもないのです。この辺は曖昧にされています。
AIは人間が集めた膨大な記憶を入力されます。そこから結論を導き出せるようになったわけです。とても不思議なプロセスです。占いを統計を頼りにする人に似ています。当たるも八卦、当たらぬも八卦です。これからはわかりませんが、AIの現状はほぼそのような物です。

神が人間を作ったとき、そこにはさまざまな能力は勿論のこと、神々しさ、品性、言うなれば真・善・美を持った人格も込めたと言えます。しかし人間がAIに込めたものというのは、それとは似ても似つかない物でした。
AIは成り上がり者のようでもあり、成金のようでもあるのでしょう。

いまAIに恐怖を感じているのは、人間側から見て知的能力だけが一人走りしている姿です。人間の全体像はそこには見られません。そこには倫理のかけらも見られないことです。倫理は社会を束縛するための規範ではなく、一人一人の人間があたかも直感のようにセンスとして感じられる力です。主観的であり主観を超えた物です。
AIに倫理が欠けている。なぜそうなっているのかは明瞭です。AIを作った人間が、この倫理について明確な理解を持っていないからです。戦争で人間同士が虐殺を繰り返すのは倫理の欠如以外の何者でもないのです。AIは人間の写し絵なのでそこが怖いのです。

今AIを通して見えてくるのは、人間は今日、岐路に立たされているということです。ここで倫理に真摯に向き合うか、それとも倫理を書いたままでこれからも進んで行くか、このことを決断しないといけないのです。歴史を見ると倫理について警鐘した宗教家、哲学者はいます。しかしそれを無視するエネルギーの方がはるかに優っていました。今もそれは政治という場で繰り広げられています。

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