外国語習得の道、AIの言語能力
成人してから新しい言葉を学んだことのある人はみんなそれがどれだけ大変かを知っています。その大変さがどんなものなのか、それはAIを機能させるために大量の電力を消費するのに似ているように思えるのです。
AIに外国語を学ばせるにはまず大量の辞書を覚えさせます。そして言葉の意味だけでなく使い方を教え込みます。もちろん大量の文法も例文も覚えさせますから、その言葉の専門家が歯が立たないほどの語彙数と例文を知っている、言語的天才のようになります。
そんな怪物のようなAIの言語力を持ってしても、叶わぬことがあります。母国語という次元の言語体験は持っていないのです。AIの言語はどこまで行っても悲しかな外国語なのです。
私はドイツで何人か母国語体験のない人に出会ったことがあります。その一人は父親が航空会社に勤めていて、しかも特殊なポストについていたため、二年か三年かには必ず引っ越しがあり、住む国が変わって、その度に新しく言葉を学んだという人です。その人は七カ国後を流暢に話すことができるのですが、本人曰く「私には母国語がない」という現実に苦しんでいるのです。七つのうち三つはネイティブの人と同じに話せると言っていましたが、残りは自分でも外国語をしゃべっているという意識があると言っていました。三つのネイティブレベルの言葉にしても、みんなが母国語と言っているものとは違うようだと言っていました。読み書きになるとその三つにしても、しどろもどろで、どの言葉も難しい文章になると読めなくて、そのために猛勉強をしたと言っていました。今は英語とドイツ語が話して読めて書ける言葉だと言っていましたが、その言葉を代表する古典的な文学は歯が立たないことがあるそうです。
母国語を持たない人がいるという現実感覚は日本では語られることのないテーマです。まずそんな人がほとんどないからです。そして日本人ならみんな日本語を喋るからです。日本語しか喋れなくてもなんら問題がないのです。日本人がアジア、アフリカ諸国の中でダントツにノーベル受賞者が多いのは、日本人は専門の勉強ができる最高学府まで日本語で、つまり母国語で勉強ができるからだと言われています。他の国は自国に留まっていては専門の勉強ができないため英語に堪能になるしかその道に進むことができないのです。しかしそこには外国語という壁が立ちはだかっています。一般に想像力と言われる、イマジネーション、インスピレーションの降りてくる絶対量が違うのだそうです。
母国語を定義したいのですがどのように定義したらいいのでしょうか。この文章を読み進める前に一度立ち止まって考えてみてください。
考えましたか。
私は母国語というのは「考えることなく話せる言葉」と定義したいと思います。
私は縁があってドイツ語と日本語で講演をしてきました。量的には日本語での講演が百倍くらいになりますが、それでもドイツ語で百回はしました。1番最初にした講演がドイツ語ででしたから、講演というのはある程度準備してからしか話せないと思っていところ、日本から招聘を受けて日本語で講演をするようになったとき、そこで初めてドイツ語の時のように準備しなくても話すことができることに気づいたのです。さらに、考えることをしなくても、その場でインスピレーションのようなものが働いて、私の中からというより向こうから話すことが降りてくるのです。私は母国語の偉大さをそこではっきりと認識したのです。
女性たちが話している輪の中に入ってみて気付くのは、女性というのは母国語を信じ切っているということです。男性と話をしていると思考され、選ばれた言葉が並ぶものなのですが、女性というのは、あれよあれよという間に、あっちに行ったりこっちに来たりと話が展開して、しかもトドメもなく話すことができ、あっという間に何時間も経過してしまうのです。まさに母国語の典型で、そこは思考が入り込まなくても成立する魔法の空間なのです。
母国語というのは魚と水のような関係で、生まれてからずっと水の中で生きてきた魚にとって泳ぐことは自然のことなのです。水と一緒になって戯れているだけで成立してしまう、当の本人にしてみれば簡単なことなのです。ところが成人してから泳ぎを覚えるというのは別で、それはそれは大変な苦労がいるものなのです。金槌という例えがあるように、浮かぶことすらできないのです。ところが水の中で育った魚を水から取り出してしまうと今度は大変です。魚は全身で飛び跳ね掬いを求めます。その姿はいろいろなところで目にします。私たちも日本語から放り出されて別の言葉の世界に入れられたら、あの水揚げされた魚と同じような状態にいるのです。
しかし人間には外から入ってくる異質物を同化する能力が備わっています。それによって新しい言葉を、母国語で培った言語のセンスで、苦労は伴いますが学び取ってゆくのです。こうして学んだ新しい言葉を外国語と言います。外国語は母国語とはおりにレベルに並べることができない全く別のものなのです。私個人の経験でいうと、外国語がどんなにできるようになっても、外国語は外国語だということです。間違っても母国語と並ぶものにはならないのです。ただヨーロッパの言語のように一つの幹から派生した親戚言語の間では、その人の持つ才能によっては母国語のようになることもあるようです。しかしそのように外国語をマスターした人でも、数を数えるときには一つの言葉で数えるのです。アルベルト・シュヴァイツァーというアフリカ医療で有名なフランスのアルザス地方の生まれの人はドイツ語とフランス語が戦争の度に入れ替わった地域で育ったため、両方の言葉が同じくらいできるのですが、本人は「母国語というところには一つの言葉しか入れない」と言うのです。彼は自分の母国語はドイツ語だと言っています。そして数を数えること、日常で使う道具は必ず一つの言葉、母国語になってしまうというのです。
AIの言語能力は日に日に進化しています。しかしやはり外国語を学ぶようにというところからは逸脱することはないと思います。母国語を持つのは人間だけの特権だと思っています。もしAIの危機というものが訪れるとしたら、AIが母国語を持った時かもしれません。






