しみじみとした時間

2013年6月1日

時間のことをいろいろな人に聞いてみたいと思ったことがあります。いろいろ聞いてみました。今も聞きたいのですが、なかなか質問しにくいことであまり進んでいません。

「あなたにとって時間とはなんですか」と聞かれてすぐに答えられる人はいませんでした。

案外行けるのではと思ったのですが、「時間を大切にしていますか」も駄目でした。

「一番好きな時間は」と出したら何人かの人が答えてくれました。

でもそれは時間とは関係なく、あなたの好きなことはなんですかに置き換えられてしまいましたから、結局時間のことは質問できないという結論です。

 

普通の人に比べて哲学者たちは時間のことを話したり考えたりするのが好きです。大好きと言ってもいいかもしれません。

と言うか、哲学そのものが時間のことを考えることと共に始まったといえるのかも知れないのです。

古代エジプトの人たちは星の動きを正確に把握していましたから、そこから時間を正確に計る技術を持っていました。しかしそれは外を流れている宇宙の時間で、個人の時間では無かったのです。

ローマになってからアウグスティヌスが時間を個人の中のものとして捉えることから、新しい時間の世界が開けたのです。時間は星の運行や、時計で計る一般的なものであると同時に、個人のものであるという観点です。個人化した時間です。なんだかゾクゾクします。時間が個人の所有物になったのです。

 個の誕生は個の時間の誕生とともにあるのです。

 

時間を生きるとはどう言うことか友考えるのです。

生きることがそもそも時間の中を流れていることなので、生きていればそれは時間を生きているということになるのですが、それ以上のことがありそうで、考えてみようと思ったのです。

 

本当においしいものになかなか出会わない様に、本当にしみじみした時間もなかなか持てないものです。

時間は夢中になると消えてしまうこともあり、消える寸前あたりのしみじみした時間をどう持ったらいいのかと考えているのです。きっとそれはとっても豊かなものなのでしょうね。

そんな時間を持った方がいたらお話しを伺ってみたいものです。

 

釣りをやる人が友人に何人かいて彼らの話しを聞いていると、釣りをしている間の時間、釣りざおを投げてから魚が食いつくまでの時間というのはなかなか味のある時間ではないかと思ったりします。でも今まで釣り堀で一回やっただけで、本当の釣りをしたことが無いのです。だから憧れる様な気持で釣人の時間のことを考えているのかも取れません。

 

ぼっーと夢を見る様に過ごす時間は案外充実した時間です。

現代生活にはあまりぼっーとする時間が組み込まれていない様な気がします。

個人的な経験ですが、大事なことは案外ぼっーと考えている時に整理されたりします。

私の一番好きな時間は、朝目が覚めて、そして布団から出るまでの僅かの時間です。その僅かの間に、今日一日にすること、今日の講演の内容を整理したりしていることが随分あります。

 

今日はぼんやりした時間の中でブログに向かいました。

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