ユーモアを生きましょう
笑っている時が幸せです。ユーモアに包まれているからです。
ユーモアを持って生きたいと願っている人は多いと思いますが、いつも笑顔でいられたらいいのではないかとお勧めします。常に笑いを絶やさないでいられたらユーモアと一緒にいられます。
学問は大事なものですが、やりすぎると理屈っぽくなってしまいます。もちろんユーモアを学問してもユーモアは見つかりませんから、ひとまず学問を置いて心を開いて仲のいい友達と楽しい話をしながら笑ってみたらどうでしょうか。ユーモアの風がそっと頬を撫でてくれるかも知れません。ユーモアをまとっているというのは心強いものです。
知識でユーモアが何かを知っても意味がない訳で、生きたユーモアに近づきたいのなら笑顔の研究でもした方がいいのです。それよりもっといいのは笑顔で笑い続けることです。
私が生きているドイツという国のお国柄なのでしょうが、堅苦しいことが大好きな国ですから、私のようにいつも笑顔で笑ってばかりいると「あいつは頭がおかしいのではないか」と思われているのかも知れませんが、それでも笑顔で笑っていると幸せを感じます。何よりも安心して生きてゆけます。
ユーモアを生きるている人とユーモアを知らずに生きている人の間には決定的な違いが見られます。肌の艶の色でわかります。笑顔でいると血行が良くなりますから、お肌はツヤツヤです。高い化粧品を買っている女性には、笑顔がおすすめです。何よりも安上がりです。今風にいうとコスプレがいいです。この言葉知らなくて姪っ子に聞いたらコストパフォーマンスよと笑われてしまいました。外国の言葉を日本風に略した言葉は、外国人泣かせです。パソコンも長いこと分からなかったです。
笑えばいい、と言うと吉本のお笑い芸人のやっているようなことが思い出されるかもしれませんが、ユーモアのある笑いとお笑い芸人の笑いには大きな差があります。雲泥の差と言います。他人を貶したり貶めたりすることで笑いを取ろうとしたり、ブックユーモアのような皮肉った笑は、私が思っているユーモアとは故郷が違うようです。ユーモアの笑いの中は愛情があります。人を敬う気持で溢れていますから気品のある笑いと言えるものです。この気品は人格を高めてくれますが、ユーモアを持って生きているということは本当にいいことだらけです。しかもユーモアから余裕も生まれますから、ますますお得な買い物をしたようなものです。
ユーモアを持っている人に感じる余裕というのは、他人を敬える姿勢から生まれるものだと知っておくと、ユーモアの方から歩み寄ってきます。そうなると心がゆったりしてきて、他人に向かって笑顔が絶えなくなります。苦虫を噛み潰したような暗い表情の人にユーモアは寄り添ってこようとはしないでしょうし、たとえ来たとしても当の本人が踏み潰してしまうでしょう。そういう人のそばに居るだけで生きる力が吸い取られてゆくようです。
現代はどうもユーモアが欠乏している時代のようです。どこに行ってしまったのでしょうか。文化全体がユーモア欠乏症に罹っているので、世の中には自然な笑いが少なくなり、笑いはお笑い芸人のような特殊な、不自然な、人によって作られた人工的なものになってしまいました。ユーモアには早くまた帰ってきてほしいものです。
現代は笑うことがセラピーに数えられている時代です。しかし本来笑いというのは日常生活の中にこそなければならないものだと思うのですが、日常生活が疲れ切ってしまって壊れる寸前の状況の中にあるので、ユーモアがいられる場所がなくなってしまったのかもしれません。しかも人々は孤立してしまって、心を開いて笑って話ができる友達もいなくなってしまったようです。隣の人と話すことすらなく、信じられなくなった時代はお財布の中身だけが頼りになる時代なのかも知れません。