富士山とアルプス
日本に滞在している間の楽しみの一つに富士山があります。富士登山、富士詣でと言うほどではないのですが、子どもの頃から親しんだ富士山は大好きな山という以上の特別な何かの象徴だった様で、滞在の間に一度は見ないと気が収まらないという存在です。ドイツで生活しながら年に二度三度と日本に帰って来る様になってからは、富士山の存在が日本にいた時以上の存在になっています。
ほとんどが東海道新幹線を使って東京から西に向かうか、東京に帰って来るときの数分の出会いなのですが、雲に邪魔されずに富士山の全景が見えるかどうかは、その日の新幹線移動の思い出に大きく左右してきます。ただいつも残念に思うのが立ち並ぶ煙突です。富士山からの豊富な水を利用する製紙工場が乱立していて、景観を妨げています。日本は自然を大切にするとか言いつつも、工場の設立を許してしまう軟弱な政治体質が何とも不思議です。
コロナ騒動が終結してから静岡にいる友人を訪ねるたびに、静岡が誇る富士の名所にいつも連れて行ってもらっています。それまでは友人の家族を訪ねていたのですが、独り身になってからは二人でドライブを楽しんでいます、知る人ぞ知るの浜石岳からの富士山、あまりに有名な日本平からの富士山と印象に残る富士山を見てきたのですが、今回は三保の松原からの富士山を堪能しました。三保の松原からの富士山は堪能したと言うレベルのものではなかったのでそのことを書き留めておきたく思いブログに向かっています。
三保の松原を体験した今、ここからの富士山に勝るものはない様な気がしています。まだあるかも知れないし、こうした印象は主観的なものなので断定は避けますが、私には間違いなく頂点でした。夕方になり少しづつ色づいてゆく雄大な冨士の姿が素晴らしい自然環境に包まれる中に浮かび上がって来るのです。左に防風林の分厚い、樹齢を重ねた松並木、手前は駿河湾、そして右側には大きく伸びた海岸、その向こうには伊豆半島のシルエット。全く人工的なものが目に入ってこない環境の中の富士山はそれだけでありがたいものなのですが、富士山の形もとてもバランが取れていて、多くの日本画の大家が描いた富士山はここからのものではないかと想像できるものでした。
三保の松原には羽衣伝説があります。天女が舞い降りたということですが、この浜にはそうした伝説が生まれるにふさわしい道具立てが揃っていました。形のいい浜辺、そこに打ち寄せる力強い波に加えて、富士川によって運ばれてきた石の群です。大きさは五センチから三十センチのもので、浜辺は砂ではなくこの石が敷き詰められているのです。波打ち際から離れるに従って石はまばらになるのですが、それでも石の絶対数は想像を遥かに超える相当なものです。
その石混じりの浜に天女が降り立ったと言うことがはっきりとイメージできたのが今回の大きな収穫でした。
実はスイスのライン川が、深いアルプスの奥からラインの川となって流れ込んでくるところに、この三保の松原の浜辺のような岩の集積された場所があるのです。そこはアルプスの少女ハイジの話の舞台になったところと隣接しています。作者のヨハナ・シュピーリがこの場所を選んだのは彼女の直感なのでしょうが、それは偶然というには的確すぎる場所選びだった様な気がします。ゴロゴロと大きな力が集まって作り出す雰囲気は静岡の三保の松原に本当によく似ています。
今回の美穂の松原体験で、富士山とスイスのアルプスの山々がどこかでつながった様な気がしたのです。深い幸せを感じつつ富士山が夕闇に姿を消してゆくのを見送っていました。






