意味ありげ
あまりにも立派なこと、意味がありそうなものは眉唾ですから、少し疑ってかかったほうがいいと思っています。
意味ありげ、というのは意味がありそうな雰囲気を醸し出しているということです。意味があるように見せ振る舞っているわけで、本物ならばそのまま放っておけばいいわけで、見せびらかしたり、ショウ的なことはしないで済むものなのです。
プロパガンダがうまく機能する心理構造は、意味ありげの方が本物よりも食いつきやすい民衆の心理をついているからで、巧みな味付けの方が興味をそそるからで、基本的にはフェイクという嘘と根っこを同じくしたものだと感じています。嘘というのは丸々嘘というのはなく少しは本当が混ざっているというところが曲者です。全くの悪人というのがいないのと同じです。私たちはそれを見分けなければならないというわけです。
なぜ今日こんなことをいうのかというと、最近YouTubeの動画配信をみていると、本当を感じることがないからなのです。どこかに誇張を感じる、意味ありげなものが多いのです。
昔からニュースや新聞で得たニュースはすぐに信じない様にしていました。知り合いに新聞記者がいたりしたので、新聞の世界に近くにいたためか新聞が書いている記事をどう読むのかを、小さい頃から教えられていたのかもしれません。記事がテーマにしていることより、そのテーマをどういう道筋で報告しているかを読める様にならないと、新聞を読んだことにはならないということだと、大人になってからわかったのでした。
テレビのニュースなどでも、しゃべっている人の声、使っている言葉、その時の表情の方が判断の基準としてはよっぽど正確なのです。その基準はそのままYouTubeの動画配信にも当てはまります。最近すっかり増えたAI音声は信憑性を裏付ける力がないので聞きません。声の中に息遣いがないものは信じるに値しないと思っています。特に大事なのはその口調にリスペクトがあるかどうかです。人をベタ褒めにしていたり、あるいは貶めるような言い方をしているニュースはほとんどが正しい観点から言葉を発していない証です。嘘と言ってしまうと言い過ぎかもしれませんが、ある程度は嘘です。怖いのはその嘘がニュースとして世の中に広まってしまうことです。メディアというのはしっかりした倫理観を持つものに飲み許された本当は高貴なもので、嘘をばら撒く様になれば政治的、社会的な洗脳の道具に成り下がってしまいかねません。
これから情報が複雑になって行く中、情報を選択す能力を磨かなければなりません。他人が教えてくれものではなく自分で磨く以外に方法がないのです。骨董をお仕事にしている人が、「いつも本物をみていれば偽物を見抜く力がそこで養えているものだ」という言い方が参考になると思います。本物にたくさん出会う機会を作ることです。嘘を見抜くと力むのではなく、本物を見つけ出すことに努力すべきなのかもしれません。
最近のニュース、動画の配信などを見ていて、つまらない世界に向かっているのではと感じてしまい、老婆心から独り言を言ってしまいました。






