他動詞の世界
自動詞と他動詞について考えてみたいと思います。
日本の文法を勉強しても自動詞と他動詞の理解などはできません。ところが英語を勉強すると他動詞を徹底的に学ばなければならないのです。他動詞の文例が頻繁に出てきて、「目的語 1」と「目的語 2」といった文型を学ぶのです。例えば、借りた鉛筆を君に返すというときは、「借りた鉛筆」が目的語 1で「君に」が目的語 2となります。
では自動詞はどういう扱いを受けているのでしょうか。私の個人的な経験で言うと、他動詞より自動詞の方が難しいようです。何故かは後で説明します。西洋の言葉では自動しという独立した呼び名はありません。どう呼んでいるのかというと「他動詞ではない動詞」と言うのが自動詞のことなのです。ずいぶん失礼な言い方だと思います。なぜ彼らは自動詞と真正面から向き合わないのでしょうか。しかも他動詞でない、という言い方で、実は他動詞だけが本当の動詞で、自動詞は本当のどうしてはないといって以下のようです。わたしたちが日本語で自動詞と名付けているものは不完全な動詞という扱いなのです。
簡単な自動詞の例を見てみようと思います。
みなさんが目の手術をしたとします。手術後は包帯が巻かれて保護されていました。数日後包帯が解かれる日に主治医がきて看護婦さんが包帯を解きます。お医者さんが患者さんに「見えまかすか」と聞きます。患者さんが「見えます」と言えば手術は成功です。さらに目の前に人差し指を示して、何が見えますかと聞かれると「先生の人差し指です」と答えます。
最初の「見えます」が自動詞の世界です。次の「先生の人差し指」といったときは他動詞なのです。
見えますといった時には、ただ目の見る能力が戻ってきたことをいっています。実はこれが自動詞の実態なのです。
他動詞は英語で a transitive verbと言います。運ぶとか結ぶという意味です。私とお医者さんの人差し指を結んだということです。それを目的と理解して目的語という文法用語に収めます。自動詞は an intrasitive verbで、他動詞でない動詞ということです。ですから結び付けるものがなくぼんやりしているのです。
お店に入ったとき、Can I help youと聞かれて、ぼんやりお店を見て歩きたいだけなので、No thank you, I’m just lookingと答えます。lookは自動詞ですから目的語を取らないのです。lookというのは周りをぼんやりみるということなのです。lookと同じような意味でseeがありますが、seeは他動詞ですから目的語が必要になります。何かを見ているのです。あるいは何かを理解したのです。
夏目漱石が訳したI love youの役はいつか紹介しました。月が綺麗ですね、というものでした。これは言語学的には間違いでしょう。テストでこのように訳したらXです。しかしここには他動詞的文化の愛の告白と、自動詞的文化の愛の告白の違いがあります。ですから日本語という自動詞的な言語に置き換えて訳すとなると、夏目漱石の訳が正しくて「私はあなたを愛します」は日本語になっていないので、Xということになります。ちなみに、私も愛してますという漱石的な訳は「あなたと見る月は美しいです」という感じだったと思います。
日本文化は自動詞的だと言いましたが、言語学の世界がそれを認めているかどうかは知りません。ただ私がドイツで半世紀に渡り生活してみて、そう感じているだけです。よく耳にする、日本人は何を考えているのかよく分からないと言われるのは、日本語が自動詞で非揚言しているからで、西洋人が他動詞で、目的をはっきりさせながら話すのとは、同じテーブルの上で語っても通じないものなのです。
シュタイナーの高学年の生徒のため朝の言葉があります。Ich schaue in die Weltと始まります。このschauenは自動詞なので、訳が難しいです。世界を見ると訳すのは他動詞の訳なので間違いです。何かを見ているのではなくぼんやりみているというより感じているのです。あるいは見ているということも保証されていません。とにかくぼんやり見ている自動詞なのですが日本語にない感覚です。訳す時に思い切って受身的に訳すのもありだと思います。見ているのですが見ていないので、このニュアンスが微妙なのです。
日本語の特徴は自動詞的世界から生まれた言葉だということです。






