沈黙から言葉へ、言葉から沈黙へ  その一

2014年9月19日

今日は言葉を突き詰めていきます。

あまり耳にしないフレーズですから何を考えているのかを先ずお話ししておきます。

私たちは言葉を何気なしに使っています。ところがその言葉だけが言葉ではないのです。実は私たちの想像をはるかに超えた言葉という宇宙があって、私たちの言葉はその一かけらなのです。

太陽系が銀河系の中の一つに過ぎないことはみんな知っています。更に言えば銀河系ですら大宇宙の中の一かけらということもです。それと似ているかもしれません。

私たちが使っている言葉は、何語でもいいのですが、言葉の宇宙から見ればごく一部でしかないのです。

 

私たちの自然界もその言葉の宇宙の一つです。

 

言葉を突き詰めると言いましたが、どうやったら突き詰められるのでしょうか。言語学の力を借りて、たとえば文法的に分析すれば言葉を突き詰めたことになるのでしょうか。違います。それでは今使っている言語の中に閉じ込められたままの状態が続くだけです。

 

言葉を突き詰めていったら沈黙に辿り着きます。言語としての言葉は消えてしまいますが、沈黙となった言葉も言葉で、しかも本来の意味からすれば私たちの使う言葉よりも生き生きと真実を伝えるのです。

沈黙は何も言わない状態のことを言うのではなく、沈黙り中には言いたいことがぎっしり詰まっています。ですから言葉を突き詰めると沈黙の世界に辿り着くのです。

 

話しを更に進めます。

沈黙を突き詰めたらどうなるでしょう。沈黙の沈黙です。悲しいかな私たちはこの先を突き詰めて行っても、ただ沈黙という言葉を連ねるしか脳がないのです。沈黙の沈黙、沈黙の沈黙の沈黙という具合にです。

私たちは言葉の本来の広がりである沈黙の入り口しか知らないということです。その先は想像すらつかないので、それを言いあらわす単語がないのです。でも私たちの言語で説明できないものを「存在しない」ということは僭越です。現代の望遠鏡で見えない星は「存在しない」のかと言うとそんなことはなくて、ただ見えないだけなのです。沈黙の先は更に沈黙?が無限にひろがっているのです。

 

 

私たちは自然が人間の様に語らないことを知っています。花や木と話しをするには人間の言葉では無理で、彼らの言葉を知らなければなりません。石も同じです。動物だけが少々私たちの言葉を理解しているようですが、それも飼われている犬とか猫までの話しで、野生のライオンや、クマと話しはできません。

キリスト教で言う天使の様な、人間以上のレベルにいる存在者とも話せません。しかし彼らが言葉を持っていないのかと言うと、そうではなく、彼らは私たちが沈黙と呼んでいる向こうの世界の言葉で話しをしているのです。

空海が言いたかった真言も沈黙のことです。

宗教は沈黙を説いているのです。そうでない宗教は似非宗教です。

 

私たちの言葉、人類の言語は遠いい昔この沈黙から生まれたものです。

初めに言葉ありきは沈黙の世界から言葉の世界に降りてきたときのことを言っているのです。神的な世界は全ったき沈黙の世界なのです。

 

私がかつて好んで用いた「言葉は沈黙のしずく」はそう言う意味です。ドイツの哲学者ハイデガーは、「言葉は沈黙の響き」と言っています。

 

 

これまた私の勝手な解釈ですが、今人類は言葉の一番発達した所を少し過ぎて、沈黙の世界に向かいつつある様な気がします。現在言葉は解体しはじめているように思えて仕方がないのです。沈黙から生まれた言葉を最高度に発展させた後、次の発展の課題は沈黙にどのように向かうのかです。沈黙から生まれて再び沈黙に帰って行くのです。現代人間たちはその模索の段階に入っているのかもしません。

 

 

私たちがある日沈黙に辿り着いたとします。その時一体何が具体的に起こるのでしょうか。

リアルな以心伝心が実現するかもしれません。

あるはいは自然の言葉が理解できるようになるかもしれません。

いずれにしろ神的な世界に一歩近づくことは確かです。

 

霊的な修行をみると全て沈黙行が根底にあります。霊的世界、神的な世界と饒舌とはかみ合わないのです。

老子曰く「知るものは語らず」。

そういうことのように私には思えます。

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