ピアニッシモ第10号ができました。

2011年5月2日

巻頭言を紹介させていただきます。

 

雨ニモマケズ

 

3月11日の東日本大震災。正直、いつか大地震が日本のどこかに来るとは思っていました。それでも1000年に一度となると...。今が、その時となるとは全く想像しませんでした。それに10mを超す津波が押し寄せてこようとは...。言葉もありません。

私たちは、1995年 の阪神淡路大震災を乗り越えてきました。何が来ても大丈夫。乗り越えて行ける。そう思っていました。ところが、規模が大きすぎます。範囲が広すぎます。お まけに原発災害まで発生しています。今の私は、何も出来ずに、ただ、おろおろとしているだけです。何も出来ない自分が悔しいです。

 

それでも、被災地の人々は、互いを気遣いながら生きています。東北を支援する思いは世界中から届いています。復興に向けた一歩を踏み出そうとありったけの力を出している人々もいます。震災1カ 月、海水に浸かった仙台空港も復活しました。日々の生活をするために、生きるために、泣いてばかりは居られません。道路は引き裂かれ、家は流されました。 しかし、それでも生きていかねばなりません。何という非情なことでしょう。しかし、これが現実世界であり、その非情な世界を生きていかねばならないのが私 たちの宿命でもあるのでしょう。

 

そうであるなら、私も日常を取り戻し、日常の中で被災地の人々の生活とかかわっていきたいものだと思いを新たにしています。支援の寄付も大事、支援のボラ ンティアも大事です。しかし、被害にあわれた人々が、日常の生活を取り戻すには、これまでと同じように東北の人々とかかわっていくこと、繋がりを一日も早 く再開することが、未曾有の災害にあった人々の支援になるのではないかと思うのです。

 

福島も、宮城も岩手もうまい酒の産地です。どうせ飲むなら「やっていてくれて、ありがとう」の一言を添えて、飲みたいものです。福島空港にはウルトラマン がいた。牛タンを食べたいがために、わざわざ仙台空港で降りた。気仙沼の船ひしめく漁港で、うまい魚を大学の先輩に御馳走してもらった。そういう想い出を 精いっぱい膨らませて、これからも付き合っていこうと思います。

 

頑張ってとは言えません。これからも付き合って下さい。心を込めて、そう言わせていただきます。

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