自由と無と美と

2019年1月24日

もし自由がなかったらさぞ不自由だろうというレベルでは自由のことは語れないものです。

さてこの自由ですがよく質問されるのでその時に備えでいい答えはないものかと考えていて思いついたのは自由は無と同じだということでした。

西洋思想では自由と言って東洋思想では無と言うことになります、というのはどうでしょう。

どちらも全てであり同時に何も無いことであって、さらに共通しているのは探してもみつからないものだからです。どちらも永遠に見つからないわけですが、西洋生まれの(西洋語の翻訳語という意味です)自由という言葉はインテリの間では好んで乱用されていて、宗教家が使う愛と同じくらいよく目にします。

日本は開国150年経っても未だに西洋に憧れている国ですから、西洋の思想的シンボルである自由はいつまでもブランドの人気商品さながら高級舶来品で、自分の考えをこの言葉を使いながら報告すれば箔が付くと思っているのでしょうが、そんな文章を読んでいるとそこで使われている自由という言葉はとても居心地がわるそうにしています。

 

ヤングセミナーなるものを始めた人たちが広告のパンフレットに「ここには自由があります」と書いていたのを見てショックでした。何をしたらいいのか悩んでいる、それでもやる気のある若者を集めてのセミナーです。ある時、あのセミナーをどう思われますかと聞かれたのですが迷わず、止めたほうがいいでしょうと答えておきました。

自由に憧れる気持ちはわかります。自由は人々を魅了する言葉なので使いたくなりますが実際には間違って使われることが多く誤解や人騒がせの原因になっています。

利き酒をする人と話していて、利き酒の世界にも自由はあるのでしょうかと聞いてきたので、あると思いますと答えました。当然のことで、いつ自由になるのですか聞き返されました。すぐには答えられずしばらく話をしながら閃いたのは、「どのお酒も美味しいと感じられる様になったら利き酒師として自由になったと言えるのでは」と答えました。その利き酒師はいつも一番美味しい酒を見つけようとしていて苦しかったりしたので利き酒の仕事をやめようかと思ったことが何度もあるということでしたが、私の話を聞かれてほっとされたようで、また仕事が楽しくなりそうですと笑顔で別れました。

 

芸術という言葉は古めかしくなっているのでしょうか、最近はその代わりにアートがよく使われます。私は古い人間の方なので芸術の方を使います。芸術も自由と縁の深いものです。ある作品に接している時に自分の中でわだかまっていたものがはじけるように解放される瞬間があります。その時の感覚は「わかった」です。それを「美」と言うのかもしれません。それはその作品にとっての解答などではなく、私が持った主観的な感覚で正しいのかどうかは問題にならなくて、思いのままの「わかった」がその作品と私とを繋いでくれるのです。勝手な思い込みだと言われれば、そうですねと答えます。しかし私にとっては一つの真実に出会えたような確かなピュアな手応えなのです。

例えばゴッホの絵について芸術史の先生が言うものや、美学の教授が言うものや、芸術評論家が言うもや、画廊の人が言うことなどを聞いていても、私が感じている絵そのものとは距離があったりして(中には共感できるものもあるのですが)話を聞いていてもワクワクするものがなかったりします。ところが主観的な思い込みで「わかった」と言うのは誰かに何かを言われてわかったのとは違い、永遠に私の心の中にその時の印象として生き続け、確実に私の財産、宝となるでしょう。しかし知識と違い記憶に残るのではなく生きる力に還元されるので消えてしまうこともある儚いものです。それでいいのです。

 

自由と無と美と三つを並べてみました。私には三つ巴になった一つにみえるのです。

 

 

 

 

 

性について

2019年1月24日

性にどのような切り口から入って行くか、それによって見えてくるものは違ってきます。高尚な性談義にもなれば猥談や下ネタ話にもなるし、性で傷ついた人の悲惨な経験談にもなるしと私たちの人生全般を覆っているものそれが性だからです。

社会現象としてみれば、宗教の違いによるところが大きく、性をタブー視する流れ、つまり性を汚らわしいもの、下品なわいせつなものとする流れと、おおらかに性に向き合う流れの二つの流れがみられます。

今日は幸いタブー視する風潮が解かれつつあって、性は陰湿なものから解放されオープンな空気の中で語られる様になっていて、今までは日の目を見ることのなかった性のあり方、性欲の位置付けが積極的に試みられています。

 

今日文化として継承されているものの多くには性が深く関わっています。そのことに気がついた時その事実を多くの人にも知ってもらいたいと思ったものです。そこにはおおらかな性の健全な姿と言っていいものがあり、タブー視され隠蔽された風潮の中の後ろめたい性の姿になれた目には驚き以外の何物でもありませんでした。

オリンピックを例にとってみましょう。パラリンピックも含め今日スポーツの祭典として世界規模で花開き世界中のスポーツ愛好家にとって憧れの目標になっていますが、これは1896年にクーベルタンによって提唱された古代ギリシャのオリンピックを復興させたものだということはだんだん忘れ去られています。近代オリンピックと古代ギリシャはのオリンピクは共にスポーツの祭典ということで共通しているのですが、支えとなっている考え方には違うところがあり、その中でも特に大きな違いは古代オリンピックは性の要素、もっとはっきり言えば性的刺激を積極的に取り入れていたことです。ただそれを表面的に今日の性に抱く考え方と比べると誤解を招くことになります。

古代オリンピツクでは男性は素っ裸で競技に向かっていたのです。その様子を女性が見物したという記録が残っていて特に印象的なのは陸上競技場の特等席は未婚の若い女性のための席として設けられていて若い逞しい男たちの品評がなされていたということです。当時は女性が逞しい男性を選ぶものだったのです。

古代ギリシャの彫刻にはその名残が伺え、男性の彫刻は多くが裸という今日女性の裸が商業的には主流を占めている常識から見ると真反対の現象です。ちなみに当時の女性はどうだったかというと、美しい流れる様な襞の重なり合ったドレス姿がほとんどで裸体の女性は極めて稀です。

インドに伝わるカーマストラは性典として普及しただけでなく、そこから影響を受け多くの人の目に止まる彫刻として残されてもいます。性、しかも性行為そのものを表現したものが公衆の目にさらされているので、性をタブー視した世界からは「はしたないもの」に見え蔑まされましたが、文化の基盤、宗教の違いを鑑みない浅薄な判断です。

日本でもお祭りの時にお神輿を担ぐ若い衆は本来は褌一丁でするもので、娘さんたちが若い男たちを品評するため裸で褌だけの姿が一番だったのです。今日では法被を着たりバンツを履いたりする様になっていますが、お祭りに参加する昔の若い衆はその日だけは特別に輝くのだと聞いたことがあり、若い娘さんたちはといえば顔を赤らめワクワクしながら見ていたのでしょう。神聖なお祭りを性が支えている一つの例です。日本文化には、例えば東北地方に残る金勢(こんせい)様として親しまれている男性のシンボルを御神体とするものなどもあり、性は生活空間に見えるものとしてあったのです。

 

歴史としてまた地域文化として見ると性に対しておおらかだったり偏見があったりと様々ですが、性のそもそものあり方からすると土地柄、時代性を超えて普遍的なものが貫いています。

性というのは人間としては一つで全体であるものが女性・男性という性によって分けられていることで人間として存在する他に女性である人間、男性である人間という新たな状態が生まれたということです。つまり性の根っこに人間の存在形態としてみた時女性と男性という二極の間に「緊張関係」が生まれたのです。この緊張はそもそもはニュートラルなもので、そこから先ほどの文化となるものが生まれたのですが、宗教観からのモラル的な干渉が介入したことで、性によって生まれるこの緊張に「好ましからざるもの」というレッテルが貼られ、性についての表現は蔑視され、禁止され、人間の種としての存続のための生殖行為、男女の肉体的交わりすら認めないものになってしまったのです。

 

私たちは今日性についてオープンに語れる環境にいます。ということはこの緊張関係から生まれる多様性にも関心が生まれてます。とは言え未だ過渡期であり、千年二千年と続いたタブー視する習慣からはなかなか抜けがたいというのも事実で、オープンな性がしっかりと市民権を得たとは言い難い状況です。

LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェーダー)は今日では認められた性的表現方法で、ヨーロッパではすでにいくつかの国で同性同士の結婚が法的レベルでも認められていてますし、性転換も今日では異常なこととしては語られなくなっています。

個人的な話ですが息子のクラスに活発な女のお子さんがいて、いつも男の子と遊んでいて我が家にも遊びに来て親しくしていました。思春期が近づくにつれて彼女はだんだん憂鬱な気分になってゆくのを息子から聞いていて、その原因が「自分が女の体を持っていることに納得できない」ということだと知ったときは初めての身近な経験で正直驚いたものです。胸が大きくならない様に、少なくともはじめはそう見えない様にする努力をしたり、生理がくる年頃にはホルモンで調節できないかと真剣に考えていたそうです。しかし日1日と女性の体の特徴が彼女の現実となるとますます暗い悲惨な日々を過ごしていたようです。彼女は転校してしまいその後のことはわからないのですが、彼女が苦しんでいる姿を目の当たりにしたことで、この問題が深刻な問題で、単なる興味レベルのものでないことを身をもって知らされました。その経験があって少なからずそうした性を生きる人たちと共存できるのですが、何分にも自分にない要求であるため、どこまでいっても表面的な理解にとどまっているのかもしれません。

 

私は人間に性があることは「生命活動に緊張をもたらすものだ」と言いました。緊張というのは抽象的な言い方で、知的に冷ややかに解釈して済ましている様に見られるかもしれませんが、私には性を別の言い方です言いあらわそうとしたときにいちばん相応しい言い方だと思って「緊張」という言葉を使っています。緊張は磁石の様に引き合ったり反発したりしながら人生を実りあるものにしたり、人生に波乱を巻き起こしたりします。私たちは感情の動物です。感情的に常に共感反感があり、好きな人が前に現れれば肉体的に性欲が刺激され結ばれる幸せに満たされるのです。それは二つに分かれた性が一つを体験する瞬間とも言えるし、あるいはその瞬間にインスピレーションや霊的体験が降りてくることもあり、性は聖と同一視されたりすることもあるのです。神を語る宗教が性を避け忌み嫌ったのは性に伴う霊性で、性行為はある種の霊体験によく似ているのです。

実は性欲の解釈も様々で、20世紀になりフロイトが女性にも性欲があるという言い方をした時には、女性の性欲など認められていなかった時代でしたから周囲は驚いたそうです。今日では女性にも性欲が在るというのは常識です。しかも女性の方にむしろ強い性欲があり、それによって男性を誘発しているのだという考えを主張する人たちもいます。女性の化粧、着飾る楽しみはそうした性欲からの影響によって起こる現象だというのです。

 

さて性について語ってきましたが、性というのは一般化して語るとき何か物足りないものを感じます。この文章を書きながら正直そんなことを感じていました。他人の性などには本当は興味がないということかもしれません。では自分の性について語ればいいのかというと、そうしたい一方そこには何かしらの羞恥心が伴いうまく語れないものです。

性とはなんと揺らいでいるものなのでしょうか。つかもうとしてもつかみきれない、姿を持っている様で見えない不思議なものの様です。ただ一つだけ確かなことは、性は私たちの生活に限りない変化をもたらす原動力だということです。そして性は淡い性も濃い性も同じ緊張感で満たされているということです。

 

篠田桃紅さんの細い筆

2019年1月20日

墨で抽象画の世界を描き続けられた今年106歳になられる篠田桃紅さんの使われる筆は筆先の太さは写経で使う筆ほどもなく加えて長さが少なくとも15センチはあろうという箒の柄のようなおよそ筆という常識からは逸脱していて初めてその筆を使ってお仕事をされている姿を動画で目にするまではどのようにして使われているのか、果たして本当にその筆から作品が生まれるのかは想像するのが難しいものでした。

その筆だけでなく太い筆も刷毛のようなものも使われ制作をされていますが印象的な筆はあの細長い筆先でそこにたっぶり含ませた墨から生まれる篠田さんの心の写しとご自身で仰る線はあの筆無くしては生まれることはないまさに琴線です。

自由であることが篠田さんを支えている思想的バックボーンだとインタビューから受け取りました。

書道、前衛書道から墨による抽象画へとスタイルを変えて今に至るのですが作品を作り続けている今も自由であることを追い求めているわけで日々新たな発見の中だとおっしゃいます。

自由であることのほかに謙虚であることを心がけていらっしゃいます。

謙虚は東洋の自我の現れの姿ですから西洋的の自己主張の自我とは正反対の位置にありますが宇宙と人間とを結び付ける篠田さんの謙虚なる自我は宇宙を呼吸し迷いを吹っ切りながら作品に結集します。

「墨は五彩」をとても力強く語っておられました。

東洋の数え方の中で五というのは五行からくるもので宇宙の全てということですから単に五色のことを言っているのではなく篠田さんご自身でも百彩、千彩にも成ると言っておられるように無限のニュワンスが黒の中に見える人には見えるものなのです。

 

篠田さんのお姿を拝見していて感じる一番は何かを貫かれた生き様でそこには強がりや力みのようなものがなく淡々と心と対話しながらそれを作品にし続けた人生が輝いていることです。

好きなことを一身にされ続けた篠田さんですがそもそもそれが天命だったというべきなのかそれとも作り続けたことで天命になったのかと考えながら一つのことを続けることの偉大さ、続けられることの幸せを篠田さんの生き様に感じています。