マイナスとマイナスをかけるとプラスになる。二重否定の謎。

2018年3月29日

クッキーを焼くにはバターが要ります。

これと同じことを、

クッキーはバターがなければ焼けません。

という風に言うこともできます。

 

結果的には同じことを言っているのでしょうが、何となくちがいます。

はじめの言い方をとりあえず普通と言っておきます。ですからこれ以上の説明は必要ないとおもいます。

ところが次の言い方はまあまあ普通ですが少しひねくれています。あるいは大人びていると言えるかもしれません。よく使われる方ですから特別変わった言い方では無いですが、注意してみてください、小さな子どもはこの言い回しができません。

よく使われているので気になりませんが、知的な表現的テクニックが駆使されています。文法用語では修辞法、簡単にいうと二重否定です。否定を二回しますから尋常ではありません。バターがない、と、焼けないとの二回です。バターがいるといえば済むのにバターがないとできないと言うのです。

言語学的な説明に従うと、普通に言うよりも強調されていると言うことになります。ですから、バターは絶対に欠かせませんと言う風になります。つまり、少し回りくどく言って効果を狙うわけです。

しかしです、なんで否定を二回すると肯定に変化するのでしょうか。

小さな子どもには出来ない言い回しだと言いましたが、子どもの成長のなかでこの二重否定は何時頃から登場するのでしょう。子どもの言葉遣いはその子の家庭での会話が大きく影響するものです。ですからいつからとは具体的には言えませんが、子どもの知的能力に関係するであろうあたりまでは言えそうです。

 

これは日本語だけのことでは無くて、英語、ドイツ語といったヨーロッバの言葉も好んで使うテクニックですから、洋の東西を問わず人間に共通した何かがそこにはあるのでしょう。

余談になりますが、数学でも似た現象があります。

マイナス掛けるマイナスはプラスになるという風に定義されています。しかし要注意です。数学のことなのにこの定義は証明されておらず、ただそう言うことだと決められているだけなのです。-4 x -4 =16 と言うことなのですが、私にはどうしても信じられません。もしかしたら言葉の二重否定の真似をしているのかもしれないと勘ぐってしまいます。

 

さて、くどいようですが、二つ否定が重なると強調された肯定に変わるという心理はなんなのでしょう。

ゲーテの西東詩集の中に「死して生まれよ」と言う一節があります。元々は彼が愛読したペルシャの詩人ハーフェズの言葉ですが、この一説は「さもなければ、単なる地上のお客さんに過ぎない」と続きます。

ここに二重否定が強調された肯定へと変化する思想があるのだと睨んでいます。人生に打ちひしがれ、死んでしまいたいと思っている自分を否定するわけです。そしてまた生きてみようとなった時、人生は前より輝くからです。

 

 

 

 

 

 

ライアーで歌いましょう、私流温故知新

2018年3月21日

日本の歌にライアーの伴奏をつけ、それでライアーの教則本的な要素を盛り込んで作ったのが、「ライアーで歌いましょう」です。ライアーのパートは伴奏という体裁を取っていますが、独立して演奏していただける曲だと自負しています。

 

伴奏の面白さはシューベルトの歌曲の伴奏から学びました。シューベルトは六百以上の歌を作りました。そのことから学校の教科書などではシューベルトを歌曲の王と呼ぶわけです。ところがほとんどが歌の旋律の美しさを指していて伴奏には言及していないものです。シューベルトの歌は歌の旋律もさることながら、伴奏に工夫が凝らされているのです。そのことを多くの人に知ってもらいたいと思っていますから、このブログでこれからも取り上げてゆきたいと思っています。

彼の伴奏の芸術性についてはほとんど触れられることがありませんが、伴奏が彼ほど自由自在に作れた作曲家はいません。豊かな想像力で素晴らして伴奏を生み出せたことが膨大な歌を作る支えだったということも見直されて良いところです。またシューベルトは歌のメロディーと伴奏と一緒に作ることが出た稀有な作曲家で、しかもそうして作られた歌と伴奏は渾然一体となっているのです。

そんな伴奏をいつかライアーでできたらと夢のようなことを考えて作り始めた時に、伴奏を出版して見てはとお話しがあったのです。そして話が進むうちに、伴奏で教則本をと言う、新発見が生まれたのです。

もう一人伴奏を作っている時に念頭にあった作曲家はフランスのフランソワ・クープラン(1668-1733)でした。彼の四巻からなるチェンバロの曲は私には魔法の玉手箱のようなもので、そこから音楽の秘密をたくさん学びました。クープランについて書かれたものはフランス語で少々と、その中の一つが英訳されているものがあるだけですが、彼の魅力は音楽を聞けば一目瞭然で、特に装飾音の使い方は多くの人を魅了します。彼の魔法のような装飾音は他の作曲家に見られないある境地にあるもので、一度この装飾音に魅せられてしまうともうそこから抜け出せない不思議な世界です。クープランの装飾音は、一般に言われるように音を装飾するというのではなく、そこに彼の音楽の命が宿っていて、装飾音のつながりから言葉が歌われているような絶妙なメロディーが生まれてくるのです。

余談になりますが、先日バロック時代のチェロで弾かれたバッハの無伴奏チェロ組曲を聞いた折に、今まで耳にしなかった装飾音がふんだんに散りばめられれていて驚きました。今までは装飾音はどちらかといえば邪魔者扱いされていたので、装飾音がつけられたバッハのメロディーはとても軽やかで、新鮮だったので、新しい感性で取り組んでいる人たちの出現を密かに喜んでいました。

 

さて、ライアーの伴奏に話を戻しましょう。「海」の伴奏が一番にできました。その時の喜びは忘れられません。波のイメージをどの様にしたら作れるのかと悶々としていたところに、オクターブの波が押し寄せて来ました。何度も弾いているうちに、歌の方が却って伴奏的だとさえ思ったほどです。その後続いて出来た「ふるさと」もよく似ていて、伴奏が独自の世界を作っています。「月の砂漠」の伴奏をラクダの鈴の音からヒントを得て作ったのですが、その時はクープランの装飾音が念頭にあって、ライアーではチェバロのように軽く装飾音をかけられませんが、装飾音的な伴奏が作れたらと挑戦してみました。

 

伴奏というと、芝居に見られる主役と脇役のように分けて、脇役的と受け取る方もいらっしゃると思います。私は別の考えです。

伴奏に新しい光をあてるには、自分を人間関係の中で改めて見直す必要があります。いままでは自分というものは自分を主張をすることで存在を認めさせる方法が社会的にまかり通っていました。しかし自分というものが自分を主張しているだけでは自分に満足できないと言う意識が生まれているのです。新しい意識です。自分と相手とが関わり合うことで、自分の存在を確認するようになっているのです。

伴奏はそういった新しい意識のもとで捉え直されて良いものです。

実際にピアノを弾く人を見渡して見ても、伴奏が出来る人は少なく、独奏曲をバリバリ弾いている人に伴奏をお願いすると断られるケースはまれでは無いのです。伴奏は、ソロのピアニストに成れなかった人がするものなどではなく(今日でもまだそのように考えている人は多いですが)、伴奏にはソロとは違った、ソロが弾けるだけでは十分でない音楽感性が求められているということを知っていただきたいのです。相手を聴く、相手を慮るという感性です。これは社会意識としてはまだ未来形になるものかもしれませんが、今日すでにそこに気づいて活動している演奏家たちも現れて来ています。

伴奏がしっかり認められ、音楽の世界で花開く時代がこれからやってくるのかと思うと、なんだかワクワクします。

ライアーのためのファンタジア

2018年3月20日

前回の続きです。

ビウェラの曲集の中にファンタジアという作品がいくつもあります。ファンタジアというのは、今から六百年ほど前に生まれた音楽のジャンルで、意味はファンタジーと言う事から想像するほど幻想的なものではなく、ただ自由な形式の音楽という風に理解されたらいいと思います。

中世では音楽といえば宗教音楽か世俗音楽かで、その中の世俗音楽は踊りと切り離すことができないものでした。楽器は踊りの音楽のためのものだったのです。今日ピアノやヴァイオリンやオーケストラで演奏されることのあるメヌエットを始めバラード、マズルカ、シャコンヌ、サラバンド、パバーヌはすべて当時盛んだった踊りの名前です。楽器は踊るための伴奏を受け持っていたのです。

そこに宗教音楽でも無く踊るための音楽でも無いものが登場したのです。それがファンタジアでした。当時としては踊りの伴奏にならない世俗音楽は画期的というより拍子抜けだったはずです。おそらく耳慣れない音楽だったのでしょう。私たち今日時折耳にしている現代音楽のようなものだったかもしれません。

音楽が宗教からも舞曲からも開放されて独自の道を歩き始めたのです。それはまさに当時の人々の時代意識にマッチしていたのでしょう。ファンタジアはすぐに人気者になり、たくさんのファンタジアが作られたのでした。ファンタジアは自由の象徴だったと言えるのかもしれません。

 

さて現代にファンタジアに見合う音楽をどこに見つけたらいいのでしょう。我々の時代は何を解放し自由を得たいと願っているのかということです。歴史というのはいつも何かに囚われ、それを解放しようとする営みの連続でした。現代も例外ではありません。どのように成りたいのかです。音楽を含め芸術というのはそうした意識の変化に常に敏感に反応して来ました。

ただ解放が理屈でなく、喜びでないと芸術に反映する事はないだろうと私は考えています。芸術とは頭の産物ではなく、心の底から湧いて来るものだからです。現実を説明することからではなく、現実が望む方向が反映されるのが芸術だと信じています。