北斎とシューベルトの純粋さ
この二人に共通するものというと、国こそ違いますが生きた時代が重なっていることくらいで、他にはない様です。絵描きさんと作曲家でした。北斎は1760年生まれ、シューベルトは37歳年下ですが早くに亡くなっているのいで、89歳まで生きた北斎が亡くなったのはシューベルト没後21年でした。シューベルトは早逝の天才児でした。北斎は晩成型で70歳過ぎてからもどんどん素晴らしい作品を残し89歳まで生きました。
二人に共通しているものの中で興味深いのは生まれた故郷をほとんど離れていにいことです。シューベルトはウィーンで生まれウィーンをほとんど離れることなくウィーンで亡くなっています。北斎は引っ越し魔でした。93回も引っ越しをしたそうですが、江戸の町から離れることはなかったのです。今とは時代が違うのでヨーロッパでさえ外国は遠かったのですが、それでも芸術家たちは当時でも外国への憧れは強く、多くの外国からの影響に自らを晒していたのです。日本でも故郷を離れた芸術家は多くいました。
もう一つ共通しているのが、出世欲がなかったことです。シューベルトは親しい友人たちを集め定期的にシューベルティアーデと名付けられた音楽の会で彼の歌を披露していました。それなのにシューベルトの歌は、彼の存命中にすでにヨーロッパ各地に広がってゆき、ウィーン以外の土地でも彼の楽譜が印刷される様になっていたのです。シューベルトは死後、彼の音楽は国境を越えて世界に広まってゆき、高い評価を獲得するのです。ドイツのデュッセルドルフにいたロベルト・シューマンがシューベルトの歌に魅了され指導を仰ぎたいと思い立ったときには、シューベルトはすでに亡くなっていたのです。
北斎も似ていて、彼の作品が海を渡って多くの人に愛されるものになるとは考えもしなかったのです。富嶽三十六景の初版というのか初刷りは、今のお金にして200円程だったと言われています。しかし瞬く間に版を重ね、世界見本市に出展する瀬戸物ゆ伊万里焼などの包装紙として海を渡りバリにまで行くことになり、そこでパリの有識者たちの目に触れ、ついにはゴッホの目に止まる様になります。二人とも世界的名声を目指しての創作活動ではなく自分に忠実に作品を作っていったのでした。
今日のように全てが経済という嵐の渦中に放り込まれている時代には芸術も例外ではないわけで、芸術り世界も商品価値という津波に飲み込まれてしまっています。作品が経済効果を生み、芸術家たちの生活が保障されるのは間違ってはいないとは思う反面、天は今でも芸術家を通して自らの心に忠実に生きる生き方を課している様に思えることもあります。芸術というあり方が、物質中心の考え方が限界を迎えるこれからの社会を支えてゆく力になるように思えて仕方がないのです。純粋と自らの心に忠実であるということがこれからの精神修養の要になる様な気がします。






