誕生日
四分の三世紀ほど生きてきました。
今日の日を迎えて思うことというのは、今までどうだったかより、漠然とですがこれからどうしようとということです。今朝起きて、ほぽ南の空に半月がかかり、東の空が色づいてきた時に思ったことです。
こうした思いが湧いてくるとは正直我ながら驚いています。
特に強く思うのはこれからはもっと感じながら生きてゆきたいということです。正しいとか正義とかいうことに振り回されることなく、感じることに裏打ちされた人生です。emotionという出来上がった心の状態ではなくFeelingの方で、感性豊かに感じながらという人生です。かといってただ感覚的にというわけでもないのです。私が言いたい感情というのは意外と言葉にするのが難しいもののようです。
人間の感情という部分にはずっと関心があったのですが、感情というのは、情に流されることでもあるので、実に曖昧なものとして扱われ、軽んじられ過小評価されています。真剣に取り組んでいる人が少なく、理性、真実、倫理というある程度形をとるものが優先する中、消えてなくなる様なものですから置き去りにされてきた部分のようです。
感情は主観的なので客観を重んじる科学の世界とは疎遠です。数学も感情を排除します。今日の常識からすると客観というのは魔法の杖の様なもので、みんな客観の魔法にかかっていますから、その魔法にかからない感情は除け者にされ、部外者なのです。
しかし私は魔法にかかって立派なことをいう人ほど当てにならない人はいないと思っています。特に人を見る時には感情の部分が安定しているかどうかをいの一番にみます。感情というのは普通は心と同一のもののように見られています。心に根を張っている様なもなのです。感情が根付いている心は安定しているため、そのような人がまずは信じられる人となります。知的な人、行動力に優れている人などは時代の趨勢に乗っているので見栄えはいいですが、実は心の中には根っこがなく心配なものを含んでいるものです。
感情を培っているのは美と言われている世界だと思っています。実は真実の中にも美は生きていますし、倫理の中にも美は生きています。何事にも美しいと感じられるものが生きているのです。耽美的な美に溺れるのは病的な傾向にあるものなので、それは健全な美とは別物だと思っています。美は過ぎ去ってゆくものでもあります。感情も過ぎ去ってゆくものです。もちろん優れた芸術作品や工芸品などは観賞用として大切に保存されます。しかし美は誕生の瞬間に生まれるインスピレーションです。インスピレーションの様に常に生まれ、常に消えてゆくところに美の本質があるのです。美は理屈ではないので、今日のような知性の優った状況で美は学問の対象となってしまっていてどうしても知性に振り回されているのです。情報というのは知的な社会の中の知性の副産物と見ていいものです。あるいはびは作品として商品となり、価値がつけられて取引されるものになってしまったのです。
美を生きるというのは、今を、一瞬一瞬を生きるということで、常に新鮮な自分でいなければならなけばいけないということです。
感情で生きたいということはこれからはもう歳を取らないということでもあるのかもしれません。






