子どもの成長は変容です

2026年5月19日

遊びに来る私の孫たちの遊びで最近一番目立つのは、木の実を簡単なおろし器で粉にすることです。おろし器とは言ってもいろいろなタイプのものがあり、子ども用の台所道具では物足りないのか、我が家の台所からもそれらしきものを持ち出して、一生懸命おろしています。
粉になった木の実から何を感じているのかは分かりかねるのですが、それをお鍋に集めています。まだ料理をするというところまではゆかないのですが、硬かった木の実が粉になるプロセスが面白いことだけは確かです。木の実の種類はハーゼルナッツ、胡桃、銀杏などです。
木の実が粉になる様子を見ていて、以前にバラの葉などに虫がついて,それを退治しながら「この虫はそのうち蛾になるんだよ」と話したのですが、どうやって蛾になるのかはチンプンカンプンだったことを思い出しました。
毛虫が蛹になり蝶になるというのはよく変容というテーマで話される時に使われる例です。成人した人たちに話すときは確かに生物学的にはそのプロセスで間違いではないのですが、子どもの理解力では、虫が蛹になることも理解の範疇ではなく、ましてや蛹の時にどうなっているのかは想像すらできないもので、そこからきれいな蝶になるなんてことは信じ難いのです。
子どもには変容するということなど理解できないのだと早合点してしまいがちですが、
しかし粉々になった木の実を見ていると、「子どもの中に一つの状態を別の状態に移行させようとする衝動というものがあるのだ」ということに気付かされます。そのためにある状態は破壊されなければならないことも子どもは、本能的になのでしょうが知っているということなのです。子どもはその破壊作業に喜びを感じているのです。それはままごとあそびということで片付けてしまえばそれまでですが、確実に破壊行為です。壊すことである状態が終了して、次の状態になるところに喜びを感じているのです。
シュタイナーが自我のことを言っている中に、自我の行為の一つは壊すことだというのがあります。自我というのは壊しつつまた再生させるということにも繋がるのでしょうが、貴重な指摘だと思っています。この自我が、子どもの木の実を粉にする行為の中に密かに感じてしまうのです。孫たちは七つと八つになったところです。最近は単に孫だから可愛いというところから抜け出して、一人の人格の持ち主だと感じさせる言動が見らるようになっています。もしかすると懸命に幼児という自分を破壊して新しい自分を作り出そうとしているのではないかと勘繰ってしまうのです。変容、メタモルフォーゼなどいう難しい言葉で説明する以前に、彼らの中に潜在している力で彼らは自らを変容させている様です。

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