音の外身と中身
弦楽器は弦を擦ったり、叩いたり、爪弾いたり、弦の上を滑らせて音を出したりします。
同じ弦楽器でも音の作り方で違う世界が生まれるので興味深いです。
古い順で言うと、一本一本の弦を指でつまびいたり、引っ掻いて音を出すやり方です。
これは効率が悪い音の作り方ですし、音量も少ないので、次に擦って音を出す技術に取って代わられます。同じ頃に中東でダルシマーと呼ばれる弦を撥で叩くものが生まれます。中東からヨーロッパにかけて広く演奏されました。これが後のピアノになってゆきます。
叩くのがクリアーな音で、擦るのが次で、指で直接引っ掻くのがこもった音です。逆に深い音は引っ掻く音です。ピアノの前身のチェンパロは爪で引っ掻いていますから、ピアノのような音のはばを作れません。そのためすぐにピアノの打弦システムになります。
振動は耳だけで聞いているのではなく、皮膚でも感知しています。耳が聞こえない場合でも皮膚感覚で感じてはいます。水の中は振動が伝わらないと聞いていたのですが、潜水艦の中の厨房はまな板の下に音が消音されるために布を敷いたりして音が外に漏れることを極力阻止していると聞いて、そうすると胎児も母親の中で羊水を通して音体験があると言うことになります。生まれたばかりの赤ちゃんは母親の声をその時点でわかっていると言うことになるのでしょうか。
音は空気の振動として体験されています。鼓膜が破れると空気の振動を感知できなくなり、聞こえない状態になります。
鼓膜を通って中耳にある三つの小さな軟骨の中を通って内耳の蝸牛の中に入り、そこから神経を通って脳に落ち着くと説明されています。
胎児の成長の段階で鼓膜までの外耳と三半規管や蝸牛のある内耳は別の成長プロセスを持っていて、大きくなってから一つの耳というものになります。
音は振動という形で空気中を移動して、音を出した人から受け取る所までを伝わってゆきます。
私たちが聞いている音は音の外側、音を運んでいる媒体としての音なのか、それとも音に中身があると仮定して、物質的なものではない何かを聞いているのか、気になります。
音の中身ということはあまり語られない所です。証明することができないからです。私はあると思っています。音の中には音を作った人の意志が宿っているのではないかと想像します。
意志はどういうものなのかというと、抽象的なものではなく、映像のことと言ってもいいようです。
映像はドイツ語ではBildです。英語のpictureです。
Bildという言葉がそもそもどこから来ているのかを語源的に調べてみると、霧の中に消えてしまいます。手がかりになるのは「bil」という言葉がそもそも魔術的な意味合いで使われたということで、bildは魔法の呪文、合図、記号として使われていたようなのです。またbilはグッドであり、ギリシャ語では愛であったようなのです。語源がわからないとはいえ、ワクワクする要素が満載です。
今日私たちがイメージと呼んでいるものは。bildに深くつながっていますから、やはりそれがどこからくるのかと問われると答えようがないのです。
楽器を練習している時、先生から「しっかりイメージを持って」という指導がされますが、本能的に音楽をする人たちには「音の中身」ということがわかっているのかもしれません。ただ響いている、振動している音だけでなく、音の中身、聞こえてない音が演奏では大事たということをです。






