遊びの本質 その二

2013年1月10日

子どもは喜々として端切れで変装し、変身します。大人たちは「何に変わったか」ばかり見ているものですが、それではあまりに鈍感過ぎます。子どもの心の中で何が変わったのか、子どもがその瞬間に何を感じているのか、そこが大事なところですが、そこにはなかなか目が行かないのです。

変装の、変身の一番の醍醐味は、その瞬間に子どもは別の存在になっているわけだから子どもの成長を語る者にとってはそこの微妙な心の変化を知ることではないのだろうか、そう思うのです。

 

子どもの心の中で何が起こっているのか。

これを知る手掛かりは、意外と大人の世界にあります。大人も変装が好きだということです。変装というと大掛かりなイメージですが、毎日の服装を変えるだけでも変装の一部は体験しているといえるはずです。

たとえばいつも自分に合うものばかり買い求めたとします。そのうち洋服ダンスには同じ様なものばかりがかかっているに違いないのです。

似合わないものを買うというのはお金をどぶに捨てる様なもので、相当の勇気がいるのでそこまで行く必要はないのですが、いつもとすこし違うものを買うくらいは歯を食いしばればなんとかなる世界ですから一度やってみるといいと思います。

鏡の前の自分がいつもの自分とは違って見えます。

 

その時の気分というか感触は結構私たちを刺激していて、その刺激の中で元気になるものです。髪形を変えることも同じ意味合いのものと解釈しています。今までのこだわりを捨てることもできますし、息詰まった考えを変えることもあります。結構生きる姿勢の本質的なところまで影響しているものです。

こんな些細なことで人間というのは変わることができるのです。

 

子どもも同じです。子どもはその瞬間、確実に変わったのです。とにかく変わったところに目を持って行くべきです。遊びという特殊な空間の中のことです、実生活に直接影響することが無いので無責任に何でもできます。王様になることも、御姫様になることも、宇宙人になることも自由で、誰も何も言いません。子どもの持っている世界の中で思いが無限に広がっています。

だからと言ってそのための大掛かりな衣装は遊びの中では必ずしも必要なく、布一枚で宇宙人でも、御姫様でも変幻自在です。

 

この変化を子どもは説明しませんが、子どもは確実に自分の中に変化を感じています。生まれ変わっていると私は思うのです。子どもの表情を見れば解ります。もちろんこともは真剣です。真剣そのものです。遊びなどは言えない厳粛な世界です。

成長の本質は生まれ変わることです。今年の干支はへびですからへびに例えれば脱皮です。

 

日常という毎日は一見同じ様に繰り返されていますが、朝起きて夜寝るという繰り返しの中では意識していないですが、いや意識できないですが、生まれ変わりが起きていると言えるのです。眠るというのはそう言う神秘的なことです。死を永遠の眠りというのは偶然ではなく、古代の人々の意識の中にはそう言うことを感じる繊細さがまだ生きていたのです。

 

昼と夜を繰り返すことで、人間に毎日小さな生まれ変わりがあり、その中で人間は成長しているということです。生まれ変わっている時、過去を切り捨てるのです。切り捨てるだけでなく、未来を作っているのです。

 

子ども程成長の著しい存在はなく、子どもは日に日に生まれ変わっています。大きくなったねぇ、と体の成長は目に見えますが、心の成長に目が行く様になると、そこに子どもとの対話が生まれます。

子どもは成長している自分を見ていてくれる人の方を向くからです。

変装、変身というのは子どもの成長を上手く刺激している大切なものなのです。何かになる、何かになった瞬間に子どもはまた一つ今までを過去に追いやったのです。そして今新たな未来を見ているのです。

 

今日は少し難しい話しになってしまいました。

 

 

 

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