言葉を学び、言葉に学ぶ
聞く言葉
子どもは言葉を周囲で話されている言葉を聞いています。それだけでなくそこから学びます。言葉を教えるのではなく、大切なのは周囲で言葉が語られているということです。聞かなかった言葉はしゃべれないのです。私たちが聞いたことのない言葉を話せないという簡単な理由からも見て取れます。私たちは言葉を学ばなければならないのですが、最初の言葉は環境から学ぶという、極めて受け身性の強い方になります。
幼児期の言葉の習得には環境が絶大な影響力を持っています。身近な環境は家族です。言葉がしっかり使われている環境で育てば、しっかりした言葉遣いを身につけることができます。しっかりした言葉遣いは聞き手の心に沁みますし、落ち着かせます。社会生活をスムーズに営むために欠かせないものだと思います。
育ちがいいからと言って言葉遣いがしっかりしているのかと言うと必ずしもそうでないようです。同じ家庭で育っても兄弟で違いがあるのは、周りの言葉のどの言葉を選ぶかには個性が働いているからです。同じ言葉が使われている環境でもそこからどのような言葉を選んで身につけて行くのかはその人の個性に関わっています。良い環境でもいい加減な言葉遣いの人を知っています。裕福で育ちが良いと聞いていても、言葉を聞いてがっかりしたことがあります。一人の人間の言葉は環境と個性が混ざったものなのです。
読む言葉
言葉の習得は、聞いた言葉の次に読んだ言葉がきます。活字離れという文化現象は、これからその絵生きようが見えてくると思います。言葉を聞くのは大方受け身です。もちろん聞いた言葉から何を選択するかが加わります。受け身でありながら主体的なものが含まれています。言葉を読んで学ぶというのは、水泳で言えば泳げるようになることに例えていいと思います。ただ水に浮いているのではなく、水の中を自由に動き回れるようになるということです。読むというのは積極的な意志の現れで、その意志によって言葉が引き寄せられているのです。言葉を読むことの中でさらに個性が広がってゆきます。そのようにして成人になって行くのです。
言葉は複雑な意味を含んだものです。言葉を学ぶというのは言葉の持つ意味を知ることです。一つの言葉には幾つかの意味が含まれているものです。子どもの頃は意味を理解しようとしています。初めの頃は意味がわからなかったり、どの意味かを選べなかったりしますが、何度も聞く中で理解にまで進むのです。ここは不思議としか言いようがありません。大きくなってて外国語を学ぶのとは雲泥の差があります。何度も聞いてだんだん意味がわかってくる、恐るべきけ言語能力を人間は持っているのです。言葉の意味を理解して行く中で個性はしっかり働いています。人によって意味の理解は少しずれがあるものなのです。言葉の意味は自分の理解力で解釈しているからなのです。はじめの頃、言葉の意味は辞書に載っているような一般的なもののようなものではないかと想像します。しばらくするとその人の完成、理解力、そして人生までもが反映されているような意味の解釈に変わって行くのです。そこまできて初めて言葉から自由になったと言っていいと思います。自分の言葉を持つようになったのです。社会を見渡すと一人一人同じ言葉を使っていながら少しずつずれがあるのは健全なことなのですが、そこから微妙な誤解という避けられないことも生じてしまいます。
自己教育の言葉
自己教育ということが始まるのは孔子がいう不惑の四十の頃からです。言葉の意味を理解できるようになったことで、今度は言葉の意味から自分の人生を照らすことができるようになるのです。それまで学んできた言葉に今度は自己教育的に自らの人生の舵取りをさせるようになるのです。自分の人生を自分が学んだ言葉に当てはめるのです。






