一口(ひとくち)でいうと
ドイツのシュタイナーの施設を視察にいらっしゃった方たちの中に「一口(ひとくち)で言うとシュタイナーってなんですか」と聞いてくる方が時々いました。シュタイナーは出版されている本の数で言うと350冊ですから、それを一口でまとめ上げるとなれば相当勉強した人でないとできないことです。ただしシュタイナーという人が提示した人智学の世界は、知れば知るほどわからないことが増えて行くと言うもので、勉強家はかえって知識があり過ぎて戸愚呂を巻いてしまっていて一口にまとめられないのかもしれません。私に俳句の才でもあれば、その時洒落た句の一つでも捻り出せたのでしょうが、句の心得は乏しく、うまく切り返すことができませんでした。
この一口で言うとと言う発想ですが、全くもって失礼にあたるとは考えていません。ある種のウィットとして受け止められていいものと思っています。質問を受けた側として言わせていただくと、このように聞いてくることはかえって勇気があると共感さえしていました。
ところでこの一口でという発想はどこからくるものなのでしょうか。
実は私にもよく似た癖があることは知っていました。講演では一時間半ほど与えられたテーマに沿って話をするのですが、私の話は研究テーマを報告しているものとは違い、雑学の寄せ集めの様なものですから、よく言えば多岐にわたっています。しかしそうして話されたことから最後には、話を聞かれた方が一つのイメージを作っていただけたらと言う願いはいつも持っています。そしてそこで得たイメージを持って帰っていただきたいのです。そのイメージはもしかすると一口で言うとに近いものではないかと思います。イメージですから固まったものではなく流動的なものです。
一口で言うと、と言われた方の気持ちになって考えてみると、シュタイナーが何を言ったのかを彼の本から引用されて聞きたかったのではなく、シュタイナーの全体像の様なものが欲しかったのでしょう。そう思うとこちらの準備が至らなかったことを恥ずかしく思うばかりです。
一度だけ、一口で言うと、という質問に答えられたのではないかと思えたことがありました。新しく入学する子どもさんたちの親御さんへの説明会の席でのことです。「シュタイナー教育って一口で言うとなんですか」と聞かれたのです。その時は「忘れることを教える教育です」と答えたました。一口でと言われたのでこちらも一口で返したのですが、聞かれた方は一口と自分で言いながら、実は一口以上の返事を期待していらっしゃったようで苦笑いされていました。
現代の教育ではいまだに覚えることが主役で、それを中心に展開しています。覚えることに力を注ぐのは理解できますが、忘れることに力を注ぐなんで考えることすらできないことのようです。しかしシュタイナーの考え方からすると、忘れると言うのは実は立派な能力なのです。能力ですから育てなければならないわけです。質問をされた方は意表を突かれたのか次に進むことはできませんでした。少し時間が経ってから、「あの時の忘れるってどう言う意味ですか」と気もそぞろに聞いてこられました。
今でもシュタイナー教育の中心にこの忘れると言うのは位置していると思っています。忘れると言うと物忘れと混同してしまいますが少し違うものです。覚えるときは体がこわばりますが、忘れると言うのは体を解放していることなのです。
忘れるを、思い出すと対にして考えたら少しはわかりやすいかもしれません。よく思い出すためには、理解したものをしっかり忘れなければならないのです。






