もちろんAIは人間の記憶能力を超えています
コンピューターはますます日常生活の中に入り込んできて、わたしたちのちからとなっています。元々は道具として開発されたものですから、どんなに優秀に見えたとしても人間の生活を楽にするためのものと認識しておくことは大切なことです。
クレーンやブルドーザーは人間には運べないほどの重いものを運ぶことができます。人間の能力を遥かに超えています。新幹線は人間の誰よりも早く走ります。このことを悲しく思っている人はいないはずです。かえって技術の進化と感じているはずです。江戸時代はカゴに揺られて東海道五十三次を旅行していたわけです。新幹線がなければ今でも人力で旅行していると考えると何か滑稽な感じがします。
コンピュータはかつて電気計算機と呼ばれていました。今でも計算機という枠から外れているものではありません。得意なのは記憶の分野ですが記憶を計算にかけているとも言えます。記憶する量、それを処理する速さは人間よりはるかに優れていることはそもそもそのためのものとして作られたのですから当然です。さまざまな研究がその能力を活用して想像もつかない勢いで研究が進んでいるようです。
歴史的には何世代にもわたって機械が人間の仕事を奪って来たことは見てわかることです。馬車は電車や自動車に取って代わられました。今でも遊園地などで馬車を走られていますがそれはかつてを懐かしむノスタルギーです。
現代のコンピューターに抱く脅威はホワイトカラーのエリート層の人たちの仕事が奪われてゆくことです。今まで労働力を機械が肩代わりして来ただけでしたが、AIの出現は知識層の仕事を奪うものなのです。しかしそこで浮き彫りになっている問題は、人間が楽をするために作り出してきた道具や機械の別の姿に過ぎないということです。
ここで考えたいのはAIがそうした仕事をどこまで肩代わりできるのかということと、そうなった時に人間の生活がどのように変わるのかということです。なんでも機械やロボットに任せて、人間様は仕事をしなくて済むようになる時代が来るのでしょうか。なくなる仕事となくならない仕事があるのでしょうが、なくならない仕事にぜひ注目してみてください。
人間の想像力を代行できるような能力が備われば、人間は壊滅的にすことがなくなるでしょう。しかしです、想像力がある限りAIに屈することはないと私は確信しています。ただその想像力ですが、過去にあったものを手がかりにしているようなものであるのであればAIに対抗すことはできないのです。本物の想像力というと脅迫的に見えますが、無からの創造を実現している想像力のことなのです。そのような創造力を鍛える必要が今の時代に課せられてものだと思います。これからの教育を考えるときに一番の中核をなすものだと思います。
想像力というと特別なものを思い浮かべてしまいがちですが、特殊な人にだけある能力と考えるのは古い考え方です。特定の天才たちのことが思い浮かびますが、これからはみんなが天才だというふうに考え方を改めてゆくことになるでしょう。未来の想像力はもっと日常に根ざしたものというとき、課題は私たちが日常をアクリに知らなさ過ぎているということです。簡単な日常が深い意味を持っている、しかもそれについて今まで考えることすらなかったようなものです。そしてそれは私たちの生活を楽にするという目的からのものでなく、もっと無邪気な、ワクワクするもののような気がします。遊び心に満ちた創造力です。
生きることを楽にしてくれるという目的に沿っているわけではないので、もしかすると真っ当な大人たちから見れば馬鹿げたことに映るのかもしれません。






