笑顔の奥に品格
人間の表情の中ではやはりなんと言っても笑顔が一番です。笑顔に勝るものはありません。笑顔に魅力のある人といると何故か安心できます。逆に作り笑顔を振りまいている人は固く不自然で信頼を預けられないものですから一緒にいるとこちらの体調が悪くなってしまいます。笑顔に見られるいくつかの種類を見分けられるようになると、その人の奥に潜んでいる品性を窺えるようになるとこの歳になるとわかります。品性が人の輪の中で和みを担っているのでしょう。人格者と言われている人たちが集まっても和やかな雰囲気は生まれないのに、品性のある人たちが集まるところには和みがあります。
いつも自然な笑顔で世界に向かっていたいと思うのですが、難しいです。真面目を装って難しい顔をしたりする方がずっと楽です。そう言う人が多いのも事実です。そうしていると周囲から偉く思われたりしているのかもしれませんが、真面目は装うことができても、笑顔はそうはいきません。心の底から湧いてきたものでないとかえって不自然で気持ち悪いものです。真面目とか正しいというのは、そのものとして価値のあるものだとは思いますが、決して上等な部類に属するものではなく、正しいというものを武器に安っぽさをカバーしているだけのことが多いようです。
本物はいつも淡々としています。そして本物の笑顔もやはり淡々としているものなのです。
笑う角には福来る、とは昔から言われていますが、この諺を聞いてそんなことはないなんていう人はいないと思います。いつもブーブーと文句を言ってる人のところにこそ福はくるのだ、なんていう人がいたら、本当のことがわかっていない人です。笑いというのは福とも関係があるものなのですね。残りの人生づつと笑っていたいと思うことがあります。ただドイツではいつもニコニコしていたら、あいつは馬鹿ではないかと疑る人が必ずいます。ドイツでは苦虫を噛み潰したような顔をしている方が幸せそうに笑っているより、社会的に通りがいいのです。
花が咲いたと言うのが今日では当たり前ですが、かつては咲くではなく笑うと言ったものだそうです。鼻も咲っているのです。それを知ると植物の世界の花開くプロセスを調べたくなります。花が咲くといのは植物的には何を意味しているのでしょうか。ご存知の方がいらっしゃいましたら是非教えていただきたいと思います。お願いします。
日本庭園に興味があって日本で有名な庭園を見ていらした方から、なぜ日本の庭園には緑は大切にされるのに花をモチーフにしたお庭が少ないのはなぜかと聞かれ、簡単には答えられませんでした。五月には、池に菖蒲が咲き乱れる明治神宮のお庭もあります、六月には奈良の矢田寺の紫陽花がうつくしてお庭もあります。しかし有名な日本庭園、桂離宮には色とりどりの花は植えられていません。日本の庭は瞑想のためにふさわしい世界観に基づいているのです。瞑想に必要な静けさの表現ということのようです。






