意識とは
意識を語る際に登場するのが無意識です。意識と無意識とは本当に心理分析の人たちが考えているように対立したものなのでしょうか。私には対立よりレベルの違いのように感じられます。
意識と無意識と二つ並べてみるということですが、それによって何が明らかにされるのか、はっきり言える人はいないでしょう。
意識と無意識と並べて考察するというのは二元論の延長ですから西洋の思考方法が得意としている方法です。得意かどうかは別として、彼らの癖で習慣と言えます。
昼と夜を並べて考察して何が明らかになるのでしょうか。
善と悪、愛と憎しみも同じです。二つは並べても意味をなさないものです。マリア・テレジアは愛の反対は憎しみではない。あえて言えば無関心だと言っています。やはり対立ではなく次元の差、レベルの差のようです。
昼と夜、両方とも一日に属しているのです。半分が昼でもう半分が夜です。
しかも一瞬にして代わるのではなく、段々と夜が明けてゆき、昼が暮れてゆきます。
無意識は暗闇の中にあります。研究対象とするためには意識の元に引っ張ってこなければならず、そうなるともう無意識とは言えないような気がします。無意識を無意識として観察するためにはどうしたらいいのでしょう。何千メートルの深海に潜るようなもののような気がします。
私たちにはわからないという状況がしばしばあります。わかる、わからないもよく似ています。科学の時代ですから、わからないことはよくないことで、わかるようにすなければならないと考えるのですが、わからないことがわかるに代わるところはどこなのでしょうか。どうなるとわかったになるのでしょうか。
わからないままでいることはそれほど恥ずかしいことなのでしょうか。
よく耳にする無意識、やはり一種の意識のような気がします。
西洋的でない無意識に出会いたいものです。
もしかしたら宇宙そのものくらい深いものかも知れません。






