心のこと その五  心と自我

2014年9月9日

混沌とめちゃくちゃ、同じ様に見えますが、混沌には意思を感じます。

めちゃくちゃは瓦礫の山でしょう。

私の部屋は大変散らかっています。足の踏み場がないので片付けろと家内は煩いですが、散らかっているからと言っても、めちゃくちゃかと言うとそんなことはなく、私なりの秩序に則っています。当然何処に何があるかは把握していますから、「あのCD聞きたいのだけど」と口うるさい方に訊かれても、すぐに「はいどうぞ」と渡せます。「あの本どこかしら」と訊かれても「はいどうぞ」です。片付けようものなら却って分からなくなってしまうのです。勿論私にも羞恥心がありますから、人が遊びに来て、私の部屋に目が行ったりすると恥ずかしい時もあります。

 

心は混沌で底辺に秩序を湛えていまます。しかし心が病気になるとめちゃくちゃになってしまい秩序が脅かされます。

 

心は物質的な世界に向かい合い、同時に精神世界に向かい合っています。理性的であり、また衝動的です。自分中心と、思いやり。冷たさ、温かさ。それらが一堂に、瞬時にして混沌と混ざり合っているところです。幾つもの同価値のものがお互いに対立しあっているのです。それぞれに言い分があって、それぞれに正しいのです。何人かの料理の腕自慢で一緒にちらし寿司を作る様なものです。家を建てようとしている時、建て主と建築家の人との話し合いだけでも大変なのに、そこに大工の棟梁が入って来て、さらに工務店の人が口を挟んだら、家が建つのに何年かかることでしょう。

 

何が心の混沌を司っているのかと言うと、自我です。自我はどんな矛盾をも一つにまとめてしまう魔術師です。守備範囲が広く、一番目につきやすいのは自己主張ですが、それは自我の働きの中では物質的な世界に捕らわれている時に出て来るもので、精神的な世界とのつながりが深くなると、自我は、前回の話しで出た第六感の受け皿になり、気配りと、思いやり、愛にあふれたものになります。

 

心を育てるとは自我を強めることです。

 

矛盾が知性で整理整頓されるものではないように、自我は知的説明の射程距離を超えています。以前、神様というのは神様を信じる人にだけ存在するとブログに書きましたが(2014.7.22)、自我も同じくらい不可思議なもので、物質世界と霊的世界の両方を思いのままに往き来します。自我の働きの姿が愛です。

この自我をどのように強めたらいいのか、私たちに課せられた最大級の課題です。

まずは心を受け身にすることから始め、次に、科学、学問、芸術、宗教を総動員して何とか見つけたいものです。

 

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