私の音楽から アルフレッド・デラーについて

2012年4月4日

世の中には知る人ぞ知るものが幾つもあります。

最近の様に情報が溢れ誰もが何でもしている様な時代になっても知らないことは山ほどあるものです。

きっとアルフレッド・デラーという歌い手も知る人ぞ知る世界の住人の一人です。

 

ジャンル分けをしたらカウンターテナーということになります。イギリス人です。

しかしそれでは何も言っていない様なものです。

もう少し掘り下げましょう。

 

今世紀にカウンターテナーを復活させた仕掛け人という大変な人です。

今日のカウンターテナーの全盛はこの人がいなかったら考えられないのです。

これを掲げるだけでも随分評価が変わって来るのではないかと思います。

しかしこれだけでもまだほんのわずかのことしかデラーについて言っていないのです。

 

彼の歌を聞いてほしいのです。

彼は100枚以上のレコードを出していますから何かは今でも手に入ると思います。

できれば独唱しているものを聞いてください。

彼の歌声は表現、パフォーマンス的な表現とは違うものです。

ただそこに声が存在しているという他では得難いものです。

歌がうまいと聞かれれば、私は個人的に「最高です」と答えます。

でもその歌も普通に言う歌唱力の様なものからは相当かけ離れています。

 

彼の歌からは、歌手ではなくて歌が聞こえてきます。

まるで歌が自ら歌っているようにです。

歌を通して全く違う世界に辿り着くのです。

これは受け合います。

そういうところが一般的な評価から遠いいところに置かれてしまうのでしょう。

どうしてこんなに非人称的に歌えるのかとても知りたいです。

こういう人ですから自伝はありません。

一つだけ彼について書かれたものがあるだけです。

 

彼の歌を美しいと聞いていた時期があります。

彼の歌を聞きこんでゆく中で、随分聞きこみました、本当に彼にしかできないことが見えてきました。

そしてついに彼の歌がわたしにとって音楽の現実となったとき彼の歌とひつになりたいほどの憧れに変わりました。

自分を主張しない音楽をその時から私の音楽の目標にしました。

今もそのことはちっとも変っていません。

私のライアーはすべてその観点からのものです。

何も主張しないことが目標です。

音がただ存在しているだけであってほしいのです。

存在していることからだけのメッセージを聞く人に届けたいと思っています。

存在からの音が聞き手の存在に深く入って行くと信じているからです。

それを時には「静けさ」と呼んでいます。

哲学としての存在論よりも私にはデラーの声の存在、静けさの存在の方がずっとリアルで、具体的な生きた存在です。

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