空間と時間のこと

2012年8月24日

この夏、スイスの山で久しぶりに流れ星を見ました。久しぶりということで、数年分を取り換えすかのかように沢山の流れ星が飛び交っていました。

月の移行は新月に向かう時で、月明かりに遮られることなく空には沢山の星が輝いて、夏の風物詩である天の川がうっすらとした雲の様に掛っていました。その中を流れ星が走るのですから、最高の舞台設定でした。

 北極星は千光年です。ということは今見ている光は千年前に北極星を旅立ったということですから日本では紫式部が源氏物語を綴っている頃でしょうか。千年の間、光が宇宙空間を飛び続けているのです。私の想像力では解決がつかない世界です。しかしこれなどは近い方で、アンドロメダ星雲は230万光年ですから気が遠くなるだけです。なにをどう計算をしたらいいのか、そこからどういう答が出てくるのか全く見当がつきません。

 

前置きが長くなりました。時間と空間のことです。

天文学だけでなく近代・現代は時間を空間的に捉えています。

こんなことを言っても、たぶん理解してくれる人の方が少ないと思うので補足します。

時間を空間に置き換えて理解しているわけです。一秒で地球を七周半し、太陽までは光で八分程、そして100メートルの世界記録は9.58秒という具合にです。私たちはこうした時間の扱い方に慣らされてしまいました。

 

時間本来は測れないのかもしれない、と考えたらどうでしょうか。

空間的に見ればそれはずっと止まっている様に見えます。静止した時間です。

しかし時間の方から見たらきっと違います。

測定する時間に慣れている私たちには発想の転換が必要です。コペルニクス的発想の転換です。

 

先ず言えることは、時間というのはいつも満ち満ちているものということです。海の水、太平洋の様なものでしょう。

「いつも」と「いま」が同じで、昨日も今日も明日も同じということになります。ここがコペルニクス的発想の転換のキーポイントです。

プールで泳ぐのと、太平洋の真ん中で泳ぐのとの違いの様なものです。

「いま」が主体です。ずっと「いま」ということです。

太平洋の真ん中では人間の泳ぎではどこまで泳いでもいつまでも太平洋の真ん中です。

時間というのは「いま」しか知らない様な気がします。

 

時間はいつしか空間の支配に屈してしまいました。

プールで泳ぐことしか知らなくなってしまった様なものです。

空間を感じる様に時間を感じ、空間を考える様に時間を考える様になったのです。

 

時間が空間的になって、人間の思考に変化が生まれます。論理的思考です。理屈で考えるということです。

それは自我的思考と言えるものに符合している様に思えるのです。自我的思考は空間的に思考しているのではないかということです。

 

勿論時間的に思考することもできるはずです。それは論理、理屈ではない思考です。

直観的思考、あるいは無の思考、無的思考かもしれません。

 

現代は時間と新たな関係が必要な時代ではないかと思っています。

そこで始まるのは直観的思考です。無の世界の新しい位置づけです。

論理を超えた説明が始まろうとしているのかもしれません。

 

この問題には近いうちにもう一度立ち帰ってみたいと思います。

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