続・パン屋さん

2020年12月31日

パン屋さんのブログには珍しく反応がありました。息抜きに書いたものだったので、皆さんも読みながら肩の力を抜いてくださっていたのかもしれません。

 

ベイカリーが消えてゆく悲しい姿は、ドイツの物作り気質が変わったからと言っていいのかもしれません。

もう二十年以上も前のことですが、「ドイツ人は優等生で、しかもみんなお巡りさんみたいな国ですね」と日本から来た方が私に言ったことがあります。その通りだと思ったのですが、それでも「職人の国でもありますよ」と付け加えることができたのですが、最近は物作りが衰退していますから、もう「職人の国ドイツ」なんて言えなくなっています。

私がドイツに渡った頃は(四十三年前です)「母親が子どものために服を縫わなくなった」とよく言われていました。そして二十年前頃からは「食事を作らないドイツの人たち」が結構取り沙汰されるようになりました。台所は汚れないように使うものです、と言って憚らないのが今のドイツの平均的感覚ですから、今もあまり変わっていないようです。

ところが不思議な現象が目につくのです。このところ料理のレシピ本がよく売れるのだそうです。日本食の作り方(和食は世界遺産だということからです)、おいしいスープの作り方、手軽なフランス料理、イタリアのおばあちゃんの台所と言ったモチーフで、実におしゃれな装丁本が書店にならなでいます。クリスマスプレゼントにみんなが何か珍しい、しかも有意義なものをと白羽の矢を立てたのが料理のレシピ本なのでしょう。料理を作らなくなった人たちの間でベストセラーになる料理のレシピ本、なんだかブラックユーモアのようです。

ドイツ人の実情を知っている私としては、いったい何人の人がそのレシピの中の料理を実際に作れるようになるのか疑っています。何人か人が集まったところで面白がってワイワイ言いながら和食に挑戦することはあるかもしれませんが、他文化の食べ物に対して興味はない人たちですから、真面目に和風料理の味付けに取り組むなんて信じられないのです。単なる料理本ブームというものです。

 

パン屋さんのところで書き忘れたことがあります。昔はパンはオーブンから出てきたままの形が売られていました。お店で買って食べる前に切るのですが、最近はどのパン屋さんに行っても、「切りますか」と必ず聞かれます。ほとんどのパン屋さんにパン切りの機械が置いてあるのです。「いや切らないでそのままください」というと不思議な顔をされてしまいます。私には機械で切って買ってきたパンは食事用ではなくエサみたいな感じで、できれば食卓には並べたくないのです。食事の前に食べる分だけ切られたパンは幸せそうです。

パンを切るというのは大事な嫁入り修行の一つだったそうです。ですから昔は「パンがちゃんと切れるようになったらお嫁に行ける」ということが言われていました。今日の意識の中ではセクハラ、パワハラと言われ、下手するとお縄をかけられてしまうかもしれません。

 

言葉と音楽の違い、または思考と意志の違い

2020年12月30日

全ての芸術は音楽の状態に憧れる。こんなふうに音楽を捉えた人がいたんです。ドイツの哲学者ヘーゲルの言葉です。説得力のある言葉です。

若いときにこの言葉と出会ったのですが、その後も音楽のことを考えるときに座右の名のようにあったものです。音楽の本質が言い尽くされています。

 

音楽を英語ではmusic、ドイツ語ではMusikといいます。そもそもはギリシャ語のmousike、ムシケ、からきています。ムシケは音楽だけを表す言葉ではなく、詩の朗唱、舞踏、と言った時間芸術に関わるもの全般のことでした。そこから音楽が独立して行ったわけです。つまり音楽と言葉とはそもそもは同じ穴のムジナだったわけです。一体いつどのようにしてこの二つは別の道を歩き始めたのでしょう。

最近とは言ってももう一年以上も前のことですが、言葉と音楽の違いをしきりに考えていました。

一年間考えた末、今はこんな風に整理できています。言葉と音楽の違いは「意味を定義するか、しないかの違いだ」という具合です。

 

言葉の主な働きは定義することです。言葉によって意味は定義され具体的になりますから、意味を定義するために言葉は使われるのです。言葉にすることで意味が明瞭になるのです。言葉で定義して意味として生き始めるという流れです。

音楽と言葉の違いは、音楽では意味を定義できないところにあります。音楽を理解するということを考えてみると、音楽は理解という範囲にはないことがわかると思います。例えばベートーヴェンの交響曲五番ですが、運命と呼ばれています。それはあくまであだ名、ニックネームのようなもので、運命を感じさせると思った人がそう発言したものが広まって今日では交響曲第五番と呼ばず、運命と呼ばれているだけのことなのです。

ということは音楽は言葉より劣るものだと考えがちですが、そう言うことではないと思っています。定義づけをすることが優先する文化(これを知的文化と言っていいと思うのです)では言葉の方が音楽より上に位置すると言うことになるのでしょうが、音楽のように意味を定義づけようとしているプロセスにあるものを、定義付けできたものと同じに評価できる文化では、言葉も音楽も同等のものということになります。

 

シュタイナーは音楽は唯一意志からなる芸術と言う言い方をしています。つまり音楽の本質は意志だと言うことです。音楽を意志の観点から捉えてみると、意志の見えにくい部分が見えてきます。意志は言葉を使っても意味を定義しません。意志は定義づけを未来に預けて遠くを見ています。では意志にあっての言葉はなんなのかということになります。言葉が意志的に扱われるとイメージ的になります。つまりいつか意味になろうとしているという未来を志向したものなのです。

意味が形をなしているのが「定義された意味、言葉にされた意味、言葉となった意味」だとすれば、意志の働きの中で、意味は未だ形に至らないピクチャーのままでいるのです。定義は形となったものですから、定義されていない状態を生きているピクチャー、イメージが意志における言葉という事です。このような無形をどう生きたらいいのか不安にすらなりかねません。意志的な言葉は、もしかすると夢を見ているだけで、実生活の中に入ってこられるのでしょうか。

進学校の高校で先生をされていた方が、学習障害のお子さんの先生になられて、かつての進学校での教育との違いについてお話を伺ったことがあります。

進学校で教えている時は、百点が一番でだんだんと成績的に遜色が失われてゆくのですが、学習障害の子どもたちは零点から始まるので、以前と比べて少しでも良くなることが成長ということなので、評価の基準が全く逆を向いていて戸惑ったのだそうです。学習障害の世界では以前と比べてどれだけ能力が増したのかをみるのです。ところが進学校当時は出来て当たり前という見方が支配している世界ですから、満点からみてどれだけ劣っているかという減点方式で生徒を見ていたことに気づいたのだそうです。これは人生をポジティブにみるかネガティブにみるかの違いだと言っておられました。その先生は、学校が変わってから人生観が変わって、自分自身が生きてゆくのが楽になったということでした。

私はこの先生とお話ししている時、私たちは言葉的に生きているのだということに気づきました。何かを、しっかり、正確に定義することがともかくも大事で、そうすることで実生活が成り立つからです。しかしもしそういう状況だけを毎日生きているとしたら、精神的には窒息してしまうでしょう。人間生活が機能的な面だけを取り上げてうまく行っても、生活全体が枯渇してしまっては人生が台無しです。

 

形となった意味の部分だけを絶対視するのではなく、意味が形になろうとしている状態を認める余裕が必要なのです。この余裕が意志の本質と関係していると思っています。

教育を意志の問題として語るのであれば、何ができるのかを採点するのではなく、子どもがどのような成長をしているのかをみることになります。それをどのように特徴付けられるのかが先生の力量につながるのです。思考的教育に慣れている私たちには不安の材料しか見えないかもしれません。しかし子どもたちは確実に意味を見つけようと努力し始めるのです。

何故音楽には調性があるのか。ハ長調について。

2020年12月29日

音楽と楽譜は切っても切れないもののようです。ところが有名な音楽家の中には、特にジャズの分野に多くみられることですが、楽譜が読めない人が随分います。ちなみに美空ひばりさんも楽譜が読めなかった一人です。

この楽譜ですが、確かに随分古くからあるようです。これがどのように発明され今のようになったのか調べてみると、多分とても面白い音楽の歴史を紐解くことができる思います。いつか時間を作って調べてみたいものです。

そのことについては別の機会に譲るとして、楽譜についているシャープとフラットの話を今日はしたいと思います。

大抵どっちかが、一つだったり、二つだったり、あるいはいくつか付いているのですが、子どもの頃は「なぜ何もついていないハ長調ではいけないのか」と不思議で仕方ありませんでした。子どもの頃なんて言っていますが、実は相当大人になるまで、この不思議が解決したわけではなかったのです。

 

解決したのはプラハに旅行した時でした。

まだ政治的に東西の壁が世界を二つに分けていた1980年、復活祭の休暇の時に、当時のチェコソロバキア(今はチェコ共和国)の首都プラハに出かけました。四月には珍しく汗ばむほどの日に出発して、六泊して、帰りは雪の吹雪く中を帰ってくるという四月ならではの、日々激変する中の旅でした。バスツアーで丸一日プラハの周辺を見て回った以外は、プラハの街を地図を片手に縦横無尽に歩き回りました。おそらく三日間でプラハの市街は網羅したと思います。

チェコソロバキアは1968年に当時のソ連が侵入して共産化するまでは西側との接触がかなりあったので、英語はもちろんドイツ語を話す国でしたから、ドイツ語を話してくれる人がたくさんいて助かりました。

 

さて、くたくたになるまで歩き回って、町の中央広場のあたりに帰ってきて、今回の旅行ですっかり見慣れた景色に囲まれながらぶらついてる時のことです、音楽のようなものが聞こえるのです。どこかで街の音楽師が演奏しているのかと見回してみましたがそれらしき人はいません。気にせずにまた歩き始めたのですが、しばらくするとまた音楽が聞こえるのです。

音楽とは言ってもなんの曲というような具体的な音楽ではなく、響きが連なっているようなだけで、曲として出来上がった音楽ではないのですが、その時の私には十分音楽でした。

しかもそれがニ短調の響きなのです。もしかしたら思い込みで「ニ短調」と言っているだけで、本当にそれがニ短調だったのか調べる術はありませんでした。絶対音階の持ち主ではないのです。ところが、偶然というにはできすぎた話で、しばらくゆくとレコード店に出会わしたのです。お店に入って「視聴できますか」と聞くと二つ返事で「OK」で、早速ニ短調のものが演奏されているレコードを選んで聞きました。シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」とモーツァルトの弦楽四重奏15番ニ短調です。二つを聴き終わって、さっき聞こえていた響きがニ短調だったことを確認できたことはなんとも嬉しい体験でした。嬉しさに満たされ、歩き疲れもあって、お店に長居してしまい、気がついたら六枚ものレコードを買っていたのです。ちなみにLPが一枚300円しない値段だったからです。

さて後日談なのですが、プラハはモーツァルトがオペラ「ドン・ジョバンニ」の初演をしたところだったのです。ちなみにこのオペラの基調はニ短調です。

 

そのとき以来調性というのは偶然のものではなく必然性があって、作曲家はある作品をある特定の調で作曲するんだということを確信したのです。それからは音楽の調性には気を配るようになっています。プラハに感謝です。

 

その後も、旅行すると、いつもではないのですが、街特有の響きが聞こえてくることがありました。その中で一番強烈だったのはイタリアのベニスでした。ベニスには橋がたくさんあって、その橋を登ったり降りたりしながら街を歩いているときにイ長調が聞こえてきました。

 

最近は土地から聞こえてくるものの他に、人とすれ違ったときになんとなく調性を感じたりするようになっています。いろいろな調整に出会うのですが、ハ長調に出会うことがほとんどないのです。シャープもフラットもない一番単純そうに見えるハ長調が現実には一番少ないのにはいささか驚いています。昔は全部ハ長調でいいじゃないのかと思っていたので、実際にハ長調に出会うことが少ないことが不思議をでなりません。