詩の心

2025年11月10日

名古屋でお世話になったやまさと保育園の園長であり理事長であった後藤淳子先生は七十を過ぎてから毎日のように短歌を読んでいらっしゃいました。生涯で二万首以上を残されています。

先生の読まれた歌は私たちに馴染みのある和歌として優れたものかというと必ずしもそうではないものなのですが、読むものに先生の心の中か見えてくるような直接的伝達の力がある、後藤流な短歌と言えるものでした。とはいえ詩心からの発露ですから短歌をまとめたものをありがたく読みました。

先生はことあるこどに職員の方達にも和歌を読むことを薦められてましたが、やはり和歌を読むというのは簡単なことではなかった様です。さらに日々の連絡帳は短歌で綴れなどと、私からすれば暴言とも言える様なことをおっしゃっては職員を困らせていました。もし実際にそれが実現していれば連絡帳革命として保育の世界に衝撃をもたらしたかもしれません。

連絡帳が詩の形で綴られるなんてまさに夢の様な話です。

歴史に残る和歌の言葉には情緒以上の重みがあります。言葉以上の言葉の奥にあるところから歌に託されたものでした。言葉と言葉の間に深い情感が込められているものです。心を和歌のような詩に綴るというのは今日のように頭で物事を整理する時代では難しいものです。というのは詩の世界というのは理屈や論理とは別のもので、頭を空っぽにしないと出てこないからです。私たちの時代は論文にしろ、新聞記事にしろ散文で書かないと意味が伝わらないので、理屈っぽい文章が溢れています。しかもネットの時代になってからは、散文といえないほど省略された文章が目立ち、さらに拍車をかけているのは絵文字での会話のやり取りです。そこまでくると言語的自殺と言ってもいいもので、これから先の人間の言語生活が思いやられます。

詩で気持ちを表す習慣は、日本にはそれでも俳句や和歌を通してまだ息づいていて、数千万人の人が俳句や和歌に接していることが報告されています。もちろんその出来はただ形を整えただけのものから優れた作品まで大変な幅があるわけですが、ピラミッドの様なもので底辺が広ければ頂点が高く聳えるわけですから、多くの人が詩を綴る気持ちで言葉に接するというのは喜ばしいことです。日本の言葉というのは論理的な傾向よりも情感に傾いているのが、詩心が生き延びているのかもしれません。

詩というのは頭で考えて作るものではなく、頭を空っぽにして、歌いたい事柄と向かい合い一つになる時に生まれるものなので、言葉選びに繊細になります。歌にして読むというのは散文を書くのとは違い、決断のような勇気のいることだとも思っています。潔い言葉ともいえます。俳句の芭蕉が、何度も推敲を重ねて俳句として仕上げたと聞くと、頭で考え抜いて作ったと思われがちですが、そこは芭蕉のことです、頭で推敲したのではなく、心眼で推敲していたのだと思います。まずは俳句として読まれたものを、いかに俳句の精神、俳句の神様が宿るようなものに近づけられるのかという切磋琢磨であったということです。助詞一つを変えるだけでガラリと世界の風景が変わってしまうのが俳句の世界ですから、知的に整理し意味を伝えることに専念するだげてはなく、言葉がどう連なるのか、言葉と言葉の間のバランス、言葉の響き、動きが吟味され、その配置も意識するとなると、考えて辻褄を合わせるだけではなく直感以外には仕事を進めてゆく力にはならないのです。さらに単語の選び方は意味だけでない、独特の距離感、バランスを持ったものです。散文に慣れてしまうと意味を伝えることに専念してしまいますから、言葉としてはのっぺらぼうなものになってしまい、詩の世界が遠くなってしまいます。まずは詩の心を養うところから始めなければならないのです。たくさん良い詩、和歌、俳句を読むことですが、普通に勉強するだけでは足りないことは想像がつきます。今日の様に教育が知的養成を目指しているところでは、意味の解釈でおわっしまい、詩の言葉のセンスを磨いて詩をを作ろうという様な余裕は無視されがちです。詩というのはわからない人にはチンプンカンプンなものだからです。詩は余韻が命ですから、意味のように直接的でないところが、多くの人の苦手とするところなのです。意味のつながらない二つの言葉を詩の心は繋ぐことができるのです。

詩や和歌や俳句は沢山作ると上手になるのですが、上手に作られたものが読み手の心を鬱かというとそんなことはないのです。技術は家を建てる時の足場の様なもので、なくてはならないのですが、足場だでは完成した家は建ないのです。もちろん沢山作ることで言葉のセンスは磨かれてゆきますが、詩というのは意味で綴るのではなく、心の品性、格、尊厳で対象が綴られる時に輝くもので、意表をついたりして奇抜な言葉で詩を作っても、目新しいだけのものでしかないのです。平常心の賜物なのです。心静かに大将に向かう時に、向こうから降りてくるものなのかもしれません。

色々な形に収めて綴ることもできますが、散文的に詩情を綴ることもできるはずです。その時の散文は、学術論文に使われるような散文ではなく、意味よりも言葉の響きと言葉のセンスと言葉の意志によって貫かれているものです。詩になることによって言葉は自らの意志を表しているということではないかと考えています。言葉の意志は詩(うた)いたいものへの畏敬の念から生まれるもので、そこから品格が備わるのです。さらに詩にすると物事がよく見えてくるものなのです。詩の世界に馴染むと、散文とは意外と見えにくいもの、見にくいもの、醜いものであることを感じる様になります。

もし保育の連絡帳が和歌や俳句や詩で綴られるようになれば、保育そのものの質が変わる様な気がするのですが。先生は子どものいいところがどんどん見える様になるのかもしれません。

日本語の目的語は時々必要です

2025年11月3日

今日は少し込み入った文法という観点からの話をしてみようと思っています。

日本語の動詞は他動詞なのに目的語なしで使われることがあることです。話の中で目的語をはっきり言わなくてもことが足りてしまうのが日本語です。

お昼時になって、近くにいる同僚に「食べにゆく?」と聞くと「行こうか」という返事が返ってきます。これで通じてしまうのです。時間帯はお昼時です。西洋の言葉だったらお昼を食べに行こうとしているのですからどこかに「昼食」と言う事柄が入っていないといけないのでしょうが、日本語では少し違います。もちろん目的語である「昼食」があるに越したことはないのでしょうが、なくても状況から判断できるので絶対に必要ということはないのです。なくて済んでしまうのです。誰が誰とというのも状況の中に含まれていて自明のことなので、言葉にする必要がありません。つまり目的語は空気の中にあると言うことです。みんな空気を読んでいるのです。

「食べにゆく?」をみると、主語も目的語もないのです。それで通じてしまうのですから、日本語を外国語としている人は慣れるまで大変な苦労をされたのではないかと想像します。ドイツ語で「行こうか」と言っても実際に現実味が感じられません。宙に浮いた感じです。どこに、なんのために、誰がという方向性というのか、要素が欠けているため、不正確な会話ということになってしまいます。簡単にいうと何も言っていないに等しいので、相手に通じないのです。空気を読むのではなく、言葉を読むからです。

この違いは文法的な問題なのですが、実はもっと深いところに原因があると思っています。

ここまでは前置きで、本題はオイリュトミーされる方ならよくご存知の、ドイツ語で言うと、Ich denke  die Redeというものをもう一度取り上げてみます。

この文章、ドイツ人に尋ねても「よくわかりまん」という答えしか返ってきません。ドイツ人がわからないのですから、日本人にわかるはずがないのです。しかし日本でオイリュトミーをする場合ドイツ語をそのまま使ってしまっては、オイリュトミーをやっている人がチンプンカンプンということになってしまい、ことが進みません。そこで日本語に訳して日本の人たちがわかる様にしなければならないのですが、ドイツ人もわからないものを日本語にすることはできないのです。そこで苦肉の策というのか、誤訳という手法を使うことになります。そこで「私は話すことを考える」という文章を編み出します。しかしこれはドイツ語に治すとよく似ているのですがIch denke an die Redeの訳ですからそもそものIch denke die Redeとは別物なのです。本当を言うと困ったことなのですが、そもそものところがドイツ人にもわからないので訳しようがないので、間違っていてもそれが罷り通ってしまっているのです。

Denkenの意味は、現代ドイツ語では「思考する、考える」ですが、時代を遡ると「思い出す、想い出す」という意味合いが強く、さらに遡るとこの言葉が使われることは少なくなって、その代わりにGedenkenという言葉が主流になります。この言葉は現在も使われるものなのですが、使われ方が特殊で、亡くなった人のこと、死者のことを「偲んだり、思い出したり」というときにのみ使われます。ということは目の前にないものに思いを巡らしているということです。

こうしてみるとDenken、思考する、考えるという言葉にはもともと「目の前にないもの」に対して思いを巡らせていたということになります。それが時代を経て段々と目の前にあるものを考えるというふうに変化したのですが、ここで文法的な変化が起こります。たかが文法とは言えないのです。それは文法にはその言語の潜在意識、意志が生きているからです。

Denkenでこの変遷を見てみると、もともとは目の前にないものを、たとえば亡くなった方、死者に思いを巡らせるということでした。現代人の意識からすると、非現実的とも言えますが、当時は見えないものも現実だったということです。なぜかというと、Gedenkenははっきりと目的語を持っていたからです。つまりGedenkenという行為には、それが目の前になくとも、目的対象としてはっきりと対象があったということだからです。当時は見えない世界も現実だったのです。Gedenkenは目的語をもつ他動詞だったのです。

ところが現代のDenkenは自動詞なのです。ただ他動詞として使われることもあります。その時は非常に特殊で、対象が目的語として登場できるのです。その対象が何かというと自分自身です。そしてこの時の目的語は三格になります。英語で説明すると、私が彼女に誕生プレゼントをあげた、という文章に見られる、彼女にという、人称目的という形です。Denken Sie sich,というと「考えても見なさい。お考えになってみてください」ということになります。具体的に「何をどのように」考えたらいいのか、よくわからないのです。「あなた自身を考えてください」ということですから目的となるものがある様なない様なです。とにかく自分というのは一番わからないものなので、「よくわかっていないものを考えろ」ということですから、目の前にないものというかつての意味がここに残っています。目的語を持っているのでこのDenkenは他動詞です。

ところが今日では一般的にはDenkenは自動詞であるため目的語を持たないのです。日本語では自動詞と他動詞を曖昧にしています。そのため二つを区別するのは至難の業です。文頭で見たように、日本語では目的語を言わなくてもいいことが多いですから、他動詞なのに目的語がない、目的語が言葉にされないという奇妙な文法が存在するのです。だから全てが自動詞かというとそうでもないのです。

現代ドイツ語ではDenkenは目的語を取らないので自動詞扱いになります。ですから目的となる対象を持たない自己完結型となりますから、思考するというのは外に向かう行為ではなく、瞑想的なものということになります。しかし現代人の思考は瞑想のためではなく、科学の道具です。目の前にあるものしか信じていないのです。外にあるもの、つまり物質的なものに対して思考を巡らせるということです。しかしそもそもが自動詞なために対象に焦点を合わせなければなりません。そのために方向を指示するための前置詞という接着剤が必要になります。「何々について考える」とか「何々のことを考える」となって、擬似目的語が使われます。体裁だけは他動詞の様になるのです。

さて、Denkenは他動詞であることもあるのは見た通りですが、その時の目的格は三格でした。今日ではほとんど使われなくなってしまった格です。私たちが扱っているIch denke die Redeのdie Redeは格でいうと四格ですから、今日のドイツ語では何をどう考えているのかが全く検討がつきかねる、説明がつかない謎なのです。ということで、ここで一旦は行き止まりです。

ヘルマン・パウルという言語学者の著したドイツ語辞典に興味深い例が記されています。Denkenが物事の「内容」を表すときには四格を用いることかできというのです。たとえば無、悪、善、あることといったものです。真理もその中に含まれます。そのとき「内容」と「現象的に見えている対象」との境がどこにあるのかは明確には言えないと断っています。ということはdie Redeという、発言する、演説する、話をするという現象的な事柄ではなく、その中身つまり「語るということの本質、意味」に向かって思考を向けるときには四格か使えるということになります。つまりIch denke die Redeは「私は人間が語ることの意味に思考を向けている」というのが直訳になるかと思います。これでは堅苦しいのでもっと砕けた言い回しがあると思います。また状況に相応しい訳もあるに違いありません。

月への思い出話し

2025年10月29日

おととい、夕方西の空を見上げると雲の合間からくっきりとした三日月が美しく見とれてしまいました。夕闇までの僅かの間のお月見ですからありがたみも加わっていました。ここ一週間は雨模様で夜空の星とはご無沙汰していて、最後に見た月は確か夜明け前の西の空に係る下弦の三日月だったと記憶しています。新月を挟み再び現れた月は夕方の西の空に係る上弦の三日月になっていました。月は生き物のように欠けたり満ちたりしながら夜空を旅して私たちを見守っている様です。

月はラテン系の言葉ではluna、ルナで、ゲルマン系は英語ではmoon、ムーン、ドイツ語ではMond、モーントと言われそれぞれに違った捉え方がされています。共通したところでは自然現象、特に潮の満ち引きや女性の生理と結び付けられていますが、ルナの方は人間の気分を司る存在と見られているので、狼男の話などはそこ辺りに原因しているのかも知れません。ゲルマン系の月は時間を測るためのものということになる様です。昔は時間というのは天体の動きの中から読み取っていたわけで、月はその中でも身近に感じられる時間の変化を示してくれるありがたい存在だったに違いありません。

月は毎日少しづつ西から東に向けて移動します。子どもの時に近所のおじさんから、月を見ながら「拳を作って思いっきり手を夜空に向けて伸ばしてみろ」と言われてやったことがあります。それだけではなんのことかわからなかったのですが、確かに月は拳一つ分空を移動しているので、次の日は教えられた通り拳一つ分東の方に月が浮かんでいました。月の移動が、延ばした手の先の拳で測れるということを知り、ますます月が身近に感じられる様になったのを思い出します。

その月にアポロが着陸したのは高校生の頃でした。科学技術の推を集めた偉業に興奮してテレビにしがみついていました。その偉業によりいみじくも今までの月のイメージが粉々になってしまって、その日から月は全然違ったものに変わり、今までのような親しみとは違って、近くて遠いい交錯した存在になった様です。何年か続いたアポロ計画がなくなってからは、また昔の月が帰ってきました。アポロが着陸したということで近くなったのかというと逆で、月が心の中の夢から消えてかえって遠くの存在になってしまっただけでなく、色褪せた存在になってしまっていたのです。その頃には月の裏側の写真を見ても感じるものは何もなくなっていましたし、それが新月の時の反対側の満月だと分かっていてもなんだか虚しく白々しいだけでした。月の裏側には宇宙からの別の存在がすでに基地を持っているという話しも、心の中でどの様に整理していいのかわからずにいます。都市伝説という作り話ではないかと思ったりもします。

最後のアポロが月に行ってからもうずいぶん時間が経ちました。その間月面着陸の話しは観測機が頑張っているだけで、人間はいかなくなっている様です。そのおかけげで月の持つ本来の姿が心の中に蘇ってきたのは幸いでした。最近では月を見て、拳を握った腕を伸ばして、明日の月はあそこら辺りだなぁと子ども騙しのような天文観察をして楽しんでいます。