六十年前の話

2019年9月28日

私が子どもの頃住んでいた池袋は、昭和二十年代は特に、なかなか風情のあるところで、今では見られなくなったものがたくさん見られました。小学校に上がる前のことです。我が家の前を通るものの後をついてゆくのが楽しみだったことを思い出しています。

金魚屋さんは夏になると必ずやって来て長いリヤカーに金魚鉢をたくさん積んで「金魚ーや、金魚」と言ってゆっくりと所々で止まったりしながら行商していました。風鈴もたくさんつら下がって涼しげな音を立てていました。金魚鉢の水がこぼれないのが不思議で、金魚屋さんについて行った覚えがあります。住宅街にはほとんど車が入って来ない時代でした。冬はもちろん焼き芋屋さんです。「石やきー芋、焼き芋」というよく通る声がして、小石の中でホクホクに出来上がった焼き芋が食べたいのになかなか買ってもらえませんでした。焼き芋屋さんのリヤカーの看板には「栗より甘い十三里」と書かれてあって、大人になって川越が東京から十三里離れていることだと教えられました。川越のお芋は今でいう人気のブランド芋で栗よりずっと甘いということだったのです。天津栗の向こうを張っていたのでしょうか。流石に冬はリヤカーにくっついてゆくことはしませんでした。馬に引かれた荷馬車も時々通りかかり、珍しかったので遊んでいた友達を置いてついて行きました。馬は時々糞をします。荷台の後ろをついてゆくので馬が糞をしたのがそこからは見えなくて知らずに踏んづけて靴についたのを家まで持って帰って叱られたことがありました。紙芝居屋さんも時々現れて、始まる前に飴だか煎餅だかよくわからない駄菓子を買わされたので、お金を持っていない私たちちびはいつも追い返されてしまい、近くで見ることができませんでした。それでもおじさんの口上はなんとなく耳に残っています。

当時の池袋はまだ水洗便所ではなく、汲み取り式で、しかも幼い頃の思い出には、二つの桶を前と後ろに肩掛けして汲み取る人もまだいて、我が家では「おわん屋さん」と呼んでいましたが、この呼び名は調べても見つかりませんから、我が家独特の言い方だったのかもしれません。しかしすぐにバキュームカーに変わってしまいました。新品の近代的なバキューカーが我が家の前に止まって汚物を吸い取っている様子は画期的だったのを今でもよく覚えています。それまでの汲み取り式と違ってあっという間に仕事が終わってすぐに次の家に移ってしまいます。次の家とは言っても予約制ですから隣の家でないことが多く、しかも車ですから追いかけてついてゆくことはできませんでした。それでもバキュームカーが来るとすぐに外に出て汲み取り屋さんの仕事を固唾を飲んで眺めていました。ホースの動きが面白かったのとホースの先にいつもテニスボールが付いているのが不思議で、必ず近くまで行って観察していました。運悪く母親が通りかかると、あまり近くに行っちゃダメよとたしなめられたものです。

なぜあんなに執拗なまでについて行ったのか今思い出すと苦笑いが出て来ます。大抵は私一人だったようです。姉も一緒に遊んでいた子どもたちもついて行きませんでした。金魚屋さんについて行った時に知らない住宅街まで来てしまい家に帰れなくなって、親切な銀魚屋さんのおじさんに泣きながら連れて帰ってもらったこともありました。おじさんは怒ることもなく行商しながら送ってくれたのです。思い出すたびになんとものんびりした生活空間だったのだろうとまるで別世界に思いを馳せるような感じです。

あれから六十年以上の歳月が流れました。しばらくするとソ連の人工衛星スプートニクスが飛んで、二階の窓から夜空を眺めていました。昭和三十三年には三百三十三メートルの東京タワーができて(三月三日のことです)、テレビ放送が始まったころです。隣のうちにはテレビがあり、金曜日の夜八時にはプロレスを見る人たちが庭にあふれていました。

 

善悪の判断に見せかけの知性は無力

2019年9月23日

優秀な人というのはいまだに知的な知性派と相場が決まっているようです。

しかし知性というのは思いの外実生活には役に立たないものだということはぜひ知っておいてもらいたいことです。特に善悪の判断に関してはほとんど無力なものなのです。

今年死刑が執行されたオーム真理教のサリン事件の実行犯のほとんどが世間的には優秀な学歴の持ち主だったことは当時も注目を集めました。「あんな優秀な人がどうしてあんなことになってしまったのか」と巷で口々に言い合ったものです。当時からああした行動に走ることと知性とは無関係だとは予感していましたが、学歴に弱い日本社会全体は「信じがたい」の一辺倒でした。

知性は善をパフォーマンスするのが上手です。もしかすると政治というものはここに話が落ちるのかもしれません。しかし知らないうちに忍び寄ってくる悪に対しは無力なものなのです。そこを考えてみたいと思います。

 

悪というのは実に巧妙な形で人間に忍び寄ってきます。悪ズラをしてやってくることはありません。絶対にないのです。ここが落とし穴です。むしろ善ズラを仮装しています。知性派は見栄っ張りなので善ズラに弱く、この善ズラをしたものの正体を見抜けないのです。ですからすぐに飛びついて善のパフォーマンスに取り掛かります。

知性派というものの中身に目を向けると、その実態は危なっかしいもので、知性的とみられようとすることがそもそも弱さを裏返した見栄だったり、パフォーマンスであったりするのですから、知性派の善行というのは二重の意味で「パフォーマンス人生」をやっていることになるわけです。彼らの行動は危険に満ちたものなのです。

知性には二た種類あると指摘したいと思います。本物の知性とパフォーマンスの知性があるという風に言えるのです。本物の知性は魂、心に根っこを張っていて、意外と思われるかもしれませんが感情的な一面を持っています。知性と感情が同居しているなんて純粋知性派(パフォーマンス型)には受け入れがたいものなのでしょうが、知性も魂、心の表れの一つの姿だとすれば、知性と感情が深いところで分かちがたいものだということは当然のこととなります。却って知性を心から切り離し上っ面な、無感情なものとする方が不自然なものです。それでは血の通っていない冷たい知性です。

猛勉強をしてテストで良い点を取りその延長でいい大学まで行くことだけで知性は本物にはならないのです。そうではなく、魂、心を育てることの延長に本物の知性が作られてゆくという風に考えて欲しいのです。勉強ができる、成績優秀というのは多くの場合、仮装をした知性で、本当は自分に自信のない知性で、その裏返しとして自己中心というエゴイストへと導かれます。ひいては自分は優秀という錯覚に惑わされ結局は自分音痴という悲しい結果になるのです。自分音痴は他人音痴でもあり、社会音痴でもあるのです。

 

さて本物の知性です。どのように育てるのかということですが、魂、心を育てることに尽きると思います。自分音痴、他人音痴、社会音痴の反対を考えれば、そのための道が見えてくるかもしれません。つまり自分に対し、他人に対し、社会に対して関心を持つことから始まるのです。

俳人松尾芭蕉が「松のことは松にならえ」といっていますが、見せかけの知性は松をコメントするところで終わってしまいますが、本物の知性は松と永遠に対話し続けているかもしれません。そうして初めて俳句に心が宿り、ひいては人生そのものを豊かにする知性が目覚めるのです。

物事を見たり、聞いたり、味わったりするときには感覚という通り道を通って入ってきます。それは例えて言えば心の窓で、その窓を先入観で曇らせないことで心は常に新しく生まれ変わって、心に安定をもたらし、それが知性の成長につながると私は考えています。

直感と主観

2019年9月3日

直感は私を始め多くの日本人の、もしかすると日本、東洋を超え人間にとっての自分自身への命綱のようなもので、精神性を語る際の一番の要にあたるものと考えていいと思います。そうした理由からこのところ直感のことに何回か触れています。

直感なんて主観の塊のようなものに過ぎないと考える人もいると思います。論理性がないものだし、しかも根拠らしいものもないしと言うわけですが、そのように考えるのは客観性、客観的であることが優れたものだという罠にかかっているのではないのでしょうか。

私はそうではないと考えています。

自分を自分以外の者が支えきれないという状況を想定してみてください。主観とか直感というものがそこで本領を発揮していることが理解していただけると思います。理解は遠いいかもしれませんがきっと何かを予感できるのではないかと思います。自分を支えるのは主観以外にないのです。主観、特に直感というのは具体的に力になるものなのです。オリンピックで金メダルをとる様な選手を例にとれば、彼らが技術面で優れていることはもちろんなのですが、試合に臨む時に気持ちが本人を支えているということはもっと大事なことなのです。そうでないとせっかく磨き上げた技術が発揮できないという事態に陥ります。絶対に避けなければならない事態です。そのためそれほどのレベルにいる選手にとって心のケアーは技術的訓練と同じくらい重要なものになってきます。対戦相手と比較して「お前は強いのだ」などと周囲の人から言われても、本当の意味でその人を支える力にはなりません。データーから見てお前が勝つのは当たり前だとか、「大丈夫だ」と自己暗示にかけることも同じで竹光で真剣と戦う様なものです。

大事なのは周囲から作られた自分という虚像ではなく、つまり客観的に見た自分ではなく、直感から得た自分像です。主観の中で作った自分像しか自分を支えてはくれないのです。

田中ウルヴェ京さんがバドミントン男子シングルの世界選手権を連覇した桃田賢斗さんについて次のように語っておられます。とても興味深く聞きました。

「金メダリストがもう一度金メダルに向かう時、大切なのは勝つことに興味をなくすことなのです。それよりも大事なことは、本当にバドミントンが自分にとってどういう意味を持つのかということです。もちろんそれを他人に言う必要はないのです。自分にとってバドミントンは大切な理由があると感じられれば、変化し続ける原動力になります。勝とうが負けようがひたすら進化し続けると言うこのエネルギーがあると怖いですよね。誰も寄せ付けさせないのです」

こんな極限の状況は普通の人には滅多に訪れることがないものですが、この考え方はもっと知られていいものだと思います。基本的なことは自分を支えているエネルギーです。自分にとって自分という存在は意味があるのだと思える瞬間です。それは紛れもなく生きて行くためのエネルギーなのです。これは主観の中からしか生まれないものです。しかも直感がもたらしてくれる特別なものです。簡単に言えぱ、今やっていることが本当に好きなことかどうかなのです。

こんなふうに考えたらどうでしょうか。子どもの時は主観という道をよちよちの不安定な足取りで歩いて、その後、本を読んだり、人生経験を重ねながら客観という視界の開けた地点にたどり着きます。理性のある考えができるようになるのです。大人になるということです。しかし人生はそれで終わることはなく再び主観という険しい道を選ぶのです。子どもは自分中心の主観で生きています。成人すると分別がつき、物分りが良くなり、周囲が見えてきます。しかし自分の人生を生きようと目覚めた時再び主観の世界の中に放り込まれるのです。その主観は直感とともにある冴えた、子どもの自分中心とは違った自分との命綱の直感から生まれた主観です。

 

言葉をこの観点から見てみます。

言葉と言うのは自分と他人との間にあってコミュニケーションに華を添えています。だから理解を助けるために、あるいは誤解を避けるために辞書の様な客観的なものが作られ便利に機能しているわけです。グリム童話で知られているグリム兄弟はドイツ語学者で、百科事典の様な大きさで全31冊の辞書を作っています。仕事は弟子たちに受け継がれ、完成までに100年を要しました。その辞書を読むためにさらに他の辞書が必要なと言う厄介な辞書ですが、その辞書を暗記するほど読み込んだからといって言葉の達人になるわけではなく、またお話し上手になるかと言うとそんなことはなく、お話し上手な人の中にはその人の「主観的な辞書」と呼べるものがあって、それに従って言葉を選らんでいるのです。その主観的な辞書とグリムのドイツ辞書は比べようがない似ても似つかないものです。

私の主観的な辞書の発行部数はどのくらいかというと、一冊で十分です。この辞書は他の人が使うには適していません。私の経験と、私が理解したことがぎっしり詰まっているのに、他の人には役立たずの不思議な辞書なのです。この主観的な辞書というのは私だけの専売特許などではなく、みんなが一人一人個人用の主観的な辞書を持っているのです。