富士山とアルプス

2026年2月17日

日本に滞在している間の楽しみの一つに富士山があります。富士登山、富士詣でと言うほどではないのですが、子どもの頃から親しんだ富士山は大好きな山という以上の特別な何かの象徴だった様で、滞在の間に一度は見ないと気が収まらないという存在です。ドイツで生活しながら年に二度三度と日本に帰って来る様になってからは、富士山の存在が日本にいた時以上の存在になっています。

ほとんどが東海道新幹線を使って東京から西に向かうか、東京に帰って来るときの数分の出会いなのですが、雲に邪魔されずに富士山の全景が見えるかどうかは、その日の新幹線移動の思い出に大きく左右してきます。ただいつも残念に思うのが立ち並ぶ煙突です。富士山からの豊富な水を利用する製紙工場が乱立していて、景観を妨げています。日本は自然を大切にするとか言いつつも、工場の設立を許してしまう軟弱な政治体質が何とも不思議です。

 

コロナ騒動が終結してから静岡にいる友人を訪ねるたびに、静岡が誇る富士の名所にいつも連れて行ってもらっています。それまでは友人の家族を訪ねていたのですが、独り身になってからは二人でドライブを楽しんでいます、知る人ぞ知るの浜石岳からの富士山、あまりに有名な日本平からの富士山と印象に残る富士山を見てきたのですが、今回は三保の松原からの富士山を堪能しました。三保の松原からの富士山は堪能したと言うレベルのものではなかったのでそのことを書き留めておきたく思いブログに向かっています。

三保の松原を体験した今、ここからの富士山に勝るものはない様な気がしています。まだあるかも知れないし、こうした印象は主観的なものなので断定は避けますが、私には間違いなく頂点でした。夕方になり少しづつ色づいてゆく雄大な冨士の姿が素晴らしい自然環境に包まれる中に浮かび上がって来るのです。左に防風林の分厚い、樹齢を重ねた松並木、手前は駿河湾、そして右側には大きく伸びた海岸、その向こうには伊豆半島のシルエット。全く人工的なものが目に入ってこない環境の中の富士山はそれだけでありがたいものなのですが、富士山の形もとてもバランが取れていて、多くの日本画の大家が描いた富士山はここからのものではないかと想像できるものでした。

三保の松原には羽衣伝説があります。天女が舞い降りたということですが、この浜にはそうした伝説が生まれるにふさわしい道具立てが揃っていました。形のいい浜辺、そこに打ち寄せる力強い波に加えて、富士川によって運ばれてきた石の群です。大きさは五センチから三十センチのもので、浜辺は砂ではなくこの石が敷き詰められているのです。波打ち際から離れるに従って石はまばらになるのですが、それでも石の絶対数は想像を遥かに超える相当なものです。

その石混じりの浜に天女が降り立ったと言うことがはっきりとイメージできたのが今回の大きな収穫でした。

実はスイスのライン川が、深いアルプスの奥からラインの川となって流れ込んでくるところに、この三保の松原の浜辺のような岩の集積された場所があるのです。そこはアルプスの少女ハイジの話の舞台になったところと隣接しています。作者のヨハナ・シュピーリがこの場所を選んだのは彼女の直感なのでしょうが、それは偶然というには的確すぎる場所選びだった様な気がします。ゴロゴロと大きな力が集まって作り出す雰囲気は静岡の三保の松原に本当によく似ています。

今回の美穂の松原体験で、富士山とスイスのアルプスの山々がどこかでつながった様な気がしたのです。深い幸せを感じつつ富士山が夕闇に姿を消してゆくのを見送っていました。

願はくは花の下にて春死なむ

2026年2月3日

明日、二月三日、二年ぶりに日本に向かいます。節分の日ということで、二年を跨いでの大旅行となります。しかも如月の満月にです。

西行法師の辞世の句と言われるこのうたの下句は、そのきさらぎの望月のころ、となっています。今風にいうと、二月の満月にということです。

ここで読まれている花は梅ではなく桜の花だというのは少々驚きです。きさらぎは如月ですから二月を指し、仏陀が亡くなった二月十五日を暗示しています。二月の満月の煌々と照る桜が満開の二月(できれば十五日)に死にたいものだと西行法師は願ったのです。そして一日遅れの二月十六日に七十三歳で亡くなっています。

死ぬと言うことは民族、宗教によって随分違いのあるものです。現代人の生死観は民族性でもなく、宗教でもなく、科学によって裏打ちされています。人類史的に見た時には特殊なものと言えるのではないかと思っています。安楽死のような、いわば合理的な発想はかつてなかったことです。良い悪いではなく、なかったのです。あり得ないことだったのです。今はそれも合理的に見てありということになっています。死んで仕舞えば何もないという考え方が基本にあるのかもしれません。死んだ後のことは万人にとって同じで、わからないことです。そのため様々な発言がなされているのですが、いまだに結論は出ておらず、死をどのように整理したらいいのかは、わからないのです。だからといって何もないと決めるのは早とちりです。わからないというところから、ないと結論づけるのは強引すぎます。なぜ保留できないのでしょうか。簡単です、保留する力がないからなのです。結論を出さずに置いておくといのは実は難しいことなのだと最近思う様になりました。これは魂の力からくると思っています。とは言ってもどっちかに結論づけないと治らないように教育されてしまったので仕方がないのかもしれません。

西行の歌に戻りましょう。こんなにたくさんの自然を纏って死を迎えようと願う人は今の時代にはどこを探しても見つからないでしよう。自然と共にあり、自然に包まれて生きていた人と現代の人は自然の意味づけが変わってしまったからです。今や自然は環境という、政治的、経済的な対象になっていて、宗教とは全く関係のない方便の対象になっています。自然を口実に儲けている人がいると言ったら言い過ぎでしょうか。自然をうまく使うと巨額の富が舞い込んでくるのです。自然は目的化され、純粋に愛でるものではなくなってしまったのです。かつてのカールソンの「沈黙の春」は痛烈な警告でした。そこには純粋な自然への願いが生きていました。しかし何十年後には自然保護は全く別のものになってしまいました。

西行法師はこの歌に、これ以上詰め込めないほどの自然を盛り込んでいるのに、歌そのものは静かな調和が保たれています。俳句では季語として一つだけしか許されていませんし、和歌にしても一つの自然を歌い切るだけで大変な集中力が必要とされるのに、花、春、如月、望月と四つがひしめき合うという妙技を見せる歌です。パンクしそうなのに、西行法師のこの歌は不思議なことに静けさがあるのです。決め手は歌出の「願はくは」にあると思っています。歌う気持ちの方向が明確に示されているからです。西行法師の目標は死です。もがき続けた人生が手袋を裏返したように多種多様な自然を盛り込んで辞世の句を歌い上げているのでしょう。

西行は日本中を旅した旅人でもありました。当時の旅は今の旅からは想像もつかない過酷なものだったはずで、歩いて日本中をめぐるというのは考えられないことです。それなのになぜ旅に出たのでしょう。行楽に週末どこかに出かけるのとは全然違うのです。

一生を旅に費やした芭蕉の辞世の句は、旅に病んで夢は枯れ野を駆け巡る、です。

二人の詩人は、今の東北から始まり日本中を旅し続けたのです。詩人と旅は深い因果がある、切っても切れない炎を感じます。旅にいるというのは、毎日が崖っぷちにある様なものなのかもしれません。芭蕉は弟子に、「どの句も、それが辞世の句になると思ってよめ」と言っていたそうです。彼らからすると、今は旅と呼べるほどのものではないということになりそうです。一寸先は闇というのは、昔も今も変わっていないのかもしれませんが、今は分からないや病みを払拭しようと保険に入り、色々と保証され、守られすぎているので、人生そのものの捉え方が昔とは違うのです。当然死に対しても同じことが言えると思います。

現代人の生とは随分軽くなってしまった様です。同時に死も軽くなってしまったのでしょうか。

なんだか取り止めのないことを書いてしまいました。

日本のどこかの空の下でお目にかかりましょう。

いい演奏探し

2026年2月1日

今回の日本では何回かライアーのコンサートをすることになっています。そのためにプログラムを作ってみました。初めはその時に流れがあるのでそこで即興的に決めればいいと思っていたのですが、それよりも前もって少しは道筋をつけておいた方がいいものになりそうな気がしたので悩みながら組み立ててみました。

そしてその流れで練習をしていたのですが、やっぱり途中で「演奏ってなんなのだ」という思いが頭を持ち上げてきて、私を睨みつけるのです。

そこでYouTubeで好きな演奏家のものを見ていました。もちろん他の人の演奏にも興味があるので見たのですが、正直がっかりするものがほとんどでした。何が気に入らないのかというと、自己表現的な傾向の強さです。力づくで作り物を作ろうとしているのです。とても人工的な感じでした。人工知能が持て囃やされているので、演奏も人工的なものが好まれるのかもしれないなどと思ってしまいました。

主張ではなく存在が感じられる演奏が聴きたいのですが、驚くほど少ないのにもう一つびっくりでした。今回色々と聞いていて立ち止まったのは、ハンツ・ホッターというドイツのバリトン歌手がジェラルド・ムーアというイギリスの名伴奏者と歌っているシューベルトの冬の旅でした。この歌からは相当インスピレーションをもらいました。

私が勧めるライアー演奏は「弾かないで弾く」と言うものなので、ホッターの歌を聴いていると、手本にしたい要素が満載です。バス・バリトンという低い音域がゆったりとした響きとなり伝わってくるので、聴いていて疲れないのです。逆にもっと聞こうと音源の方に耳が傾いてしまいます。

人の話なども同じで、例えばどこかに旅行をしてきた人が土産話をもって遊びにきてくれるのですが、写真を見ながらの説明が押しつけの様な感じがしてしまうことがよくあります。そういうのは五分聞いたらもうご馳走様という感じになるのです。

きっと演奏というのも同じ様なもので、演奏者が猛練習して上達したものをそのまま会場で聴衆に送り届けてしまうと、聞いてる方は食当たりでも起こしてしまうでしょう。ただ上手なだけだからです。

演奏というのはどこかで修行の様なものだと感じてライアーを弾いています。クラシック音楽は基本的には精神修行で、そのため多くの人にとってハードルが高くなってしまうのでしょう。多くの人が喜ぶというより、精神修行なのです。苦行です。音楽はますます難しくなって、それを演奏するには大変な労力を費やしてようやくものにするのですから、クラシックオタクもいいところです。

以前のブログで、クラシック音楽以外の音楽を「軽音楽」というのなら、クラシック音楽は「重音楽」だといって比べたのですが、クラシック音楽は重いだけでなく深いのです。こんな重くて深いものはいつの日か消えてしまうのではないかと懸念する声をよく耳にします。前途は楽観出来ないのですが、人間は必ずどこかで精神的な存在なので、これからも何らかの形で存続するものと信じています。

話がずれてしまいましたが、自己主張の様なものがパフォーマンスに顔を覗かせるのはクラシックだけでなく、大衆が楽しんで聴く音楽でも起こることなのです。友人がフランク・シナトラの大ファンで、アメリカにまで聞きにゆくほどで、しかもレコード好きで、彼の持ち歌のマイ・ウェイを一緒に聞いたことがあります。シナトラは実にシンブルに歌っているのです。この歌はたくさんカバーされているので他の人のも聞いたのですが、こちらの方が良くも悪くも朗々と歌い上げるのです。一見するとこちらの方が上手に聞こえるのですが、その後御本家の歌声で聞くと至ってシンプルなのに味があるという歌いっぷりに驚かされます。上手に聞かせたいなどという欲が出ると、歌のいいところが影に隠れてしまうのです。上手に歌おうも一種の自己主張と言っていいのだと思います。

クラシック音楽にもポピュラー音楽にも自己主張はつきまとっている様です。もちろんライアーの演奏にもよく見られます。ライフーだから神聖だなんて屁理屈は通らないのです。

いい演奏は聞き手がとろけてしまい、音楽と一つになって夢の世界を彷徨うものなのです。そうして初めていい演奏だったといえるのです。いい演奏は上手な演奏とは違うもので、その間には越えられない溝が横たわっている様です。

先ほどのホッターの歌を聴いていると、ちっとも上手に聞こえないので、これくらいなら私にだって歌えそうだと思わせるのですが、そこが名人の名人たる所以なのです。難しく聞こえないだけなので、本当は雲の上の存在なのです。素人はすぐに罠にかかってしまうのです。