2026年5月22日
文章の書き出しには有名なくだりのものが多く、古典では源氏物語、平家物語、方丈記など、近年では夏目漱石の「草枕」の冒頭の名調子が思い出されます。中でも平家物語は、琵琶法師によって語られるものですが、「諸行無常の鐘の音」に始まる冒頭の部分は琵琶法師が生涯で三回しか人前で語ることが許されていないものだと伺ったことがあります。
古代ギリシャのホメロスの叙事詩「イリアス」は詩神ムーサ(ミューズの神)への祈りから始まります。三千年ほど前の世界では神の国、イデアの世界を近くに感じていたのでしょうか、まずは神様にご挨拶を申し上げずにはことが始まらなかったのだと思います。
少し話がそれますが、私が障がい者施設でセラピストとして働いていた時に、私のところに来る子どもとの最初の時間はとても大切でした。私も緊張していましたが、当の子どもの方は私の何倍も緊張していたはずです。付き添いできていた第三者的なお母さんは、「自分の子どもがどんな人のところにお世話になるのか」を母親として感じ取っていらっしゃったようで、「今回はうまくいきそうだとか、難しそうだ」というのが直感的わかるのだと伺ったことがあります。その最初の時間がうまく行くと、その子どもとはすぐに馴染んだ関係が生まれるもので、そうなるとセラピーでは何をやってもうまく良くものでなのです。人間関係という言葉で括ってしまえばそういうことなのですが、人間の間に流れているものはとても神聖なもので、そこが踏み躙られてしまうとどんな高尚なセラピーも宝の持ち腐れになってしまいます。
詩人や作家が必ずしも第一行から書き始めているのではないことはずいぶん昔に耳にしていたのですが、書き出しがどのくらいの比重を持ったものかは今の方がヒシヒシと感じています。シュバイツァーがほとんど書き上げて、最初の出だしの文章だけがまだ書けていないと編集者を待たせたわけですが、正しくは「最初の言葉が降りてこなかったから」ということかもしれません。他力という言葉が宗教の世界にありますが、彼の本でいうと本文は自力で書いたのでしょうが、冒頭だけは他力にすがらないと書けなかったと理解したらどうでしようか。
2026年5月20日
小説にしろ、論文にしろ、エッセイにしろ書き出しは大事です。全体を牽引するからです。
アフリカ医療で有名でノーベル賞ももらっているアルベルト・シュヴァイツァーは、もともと牧師でさらにパイプオルガンの名手でした。彼は晩年「バッハ」と出された本を書きました。もうほとんど出来上がったあたりから出版社の方が催促をしてきます。ほとんど出来上がったというのは初めの一行がまだ書けていないというだけなのです。編集者が「もう書けましたか」と聞いてくるのですが、「まだです」としばらく続いたそうです。ようやく書き出し文章が書き上がって、編集の方に連絡がきて、原稿が引き取られていったという話を読んで、とても共感してしまったのです。
どんなものを読む時にも、書き出しでそれを読むかどうか決めてしまうこともあります。書き出しが詰まらなければ、その後が期待できないのです。
ミヒャエル・エンデは「はてしなき物語」を最初っから書いたのではなかったと話してくれました。途中から書き始めて、最後に書き出しの部分を詰めていったということでした。きっと他の小説家たちも問い所っから書き進んでいるわけではないと思います。一番最後に書き出しを書く人もいる様です。それほど書き出しは全体を左右しているのです。
2026年5月20日
ヴァイオリンはライアーと同じ弦楽器ですが、弦を弓に張られた動物の尻尾の毛で擦りながら音を作ります。先日Stuttgartの楽団でヴァイオリンを弾いているプロの方とお話をしていて、目から鱗だったことがあり、報告したいと思います。
私はヴァイオリンは弓に張られた毛で弦を擦っているだけだと思っていました。楽器を始めたばかりの子どもが弾くヴァイオリンの音はキーキーと擦れる音ですが、練習を重ねるとのびのびとした音になってゆきます。そこで大切なのは力をどこまで抜けるかということです。力任せで弾いた音は雑音以外の何物でもないのです。
そのかたが言うには、弦を擦るときに引っ掛ける様な感触が必要で、ただ擦っているだけだと深みのないのっぺりとした表情の乏しい音になってしまうのだそうです。と言うことは音を作る瞬間が命だと言うことになります。弓の毛で引っ掛けるように音を出した後は必要な長さだけ弓をーで擦るのだそうです。ヴァイオリンも結局音を出す瞬間で決まると言う点がとても興味深く、以前にお話ししたことがありますが、オルゴールは鍵盤と針の接触が短ければ短いほどいい音になるのです。ライアーも弦が指から離れる瞬間が短けば短いほど澄んだ音になります。ライアーでいい音というのは思い違いで、透明になるといい音になり、よく聞こえる音になるのです。それは聞き手の心にすーっと入ってゆくに違いないのです。よく聞こえるということは遠くまでよく通りということでもあるのです。
私はヴァイオリンの弓で擦っている音が苦手だったのですが、弦を弓の毛で擦るのではないということがわかり、少し楽になりました。
そうは言ってもチェロのフォイアマンの音は、深いことはわからずに好きでした。それは彼の音が、弦を擦る時に生まれる雑音の様なものがない透明な音だったからなのです。いつも彼の演奏を聞いて感じるのは透明感だったのですが、フォイアマンはただ弦を擦っているだけではなかったということだったのです。改めて聞いてみて、確かに音が生まれる瞬間に音が立っているのがわかります。
弦楽器というのはいろいろありますが、結局は音を作る瞬間が大事で、そこをクリアーすれば、いい音作りに一歩近づいたことになるというのはどの弦楽器でも同じだったのです。