謹賀新年

2026年1月2日

新年明けましておめでとうございます。

いつも私のブログに寄っていただいてありがとうございます。

今年も独り言を呟いていこうと思っています。

 

今年は丙午で、この前の丙午の時に色々と言われていたことを思い出します。この年回りの女性はとても強いと言われています。高市総理大臣という初めての女性指導者を得た日本はまさに丙午の年にふさわしい勢いを感じさせます。

今年は久しぶりに、二月から三月にかけて日本に参ります。初めの二週間は家内を連れての友人巡りの旅行となりますが、家内をドイツに送った後三週間ほど、去年からお声がけをいただいた各地を回りたいと思っています。

まだ最終的な予定が立っていないのですが、できるだけ早く予定を皆様にお知られせできるようにと思っています。二年ぶりに多くの方にお目にかかれるのをとても楽しみにしております。

まずは京田辺シュタイナー学校の卒業プロジェクトに参加します。二月後半からはライアーを弾いたりお話をしたりという会を考えています。

 

新しい年が皆様にとって幸多き年でありますよう心からお祈り致しております。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

令和八年  元旦

 

AIの直感

2025年12月31日

知識量、情報量ではAIには敵わない時代になっています。今まで人類が考えたことは大方記憶されいるわけですから、誰に聞くよりもAIをそばに置いておくのが鬼に金棒です。今や時代はAIにお伺いを立てるのが当たり前になっているのです。AIは見事に人類の絶大なる信頼を勝ち得たといっていいと思います。

AIがそのようにみられるのは知識至上主義、情報至上主義というのが根底にあるわけです。かつて経験をたくさん積んだ長老が崇められていた時代を思い起こすと、いくつかの点で重なります。年を取ることの意味は豊かな経験を持つことから重宝がられ、それが尊敬につながっていたのです。

AIの前では知識とはなんなのか、記憶とはなんなのかという根本の所を整理しなければならなくなります。これは想像以上に難しい仕事です。知識にしろ情報というのは過去のもを集めたものなのですが、だからと言って蔑ろにはできません。私たちが記憶喪失により自分の記憶を失えば、私たち自身のアイデンティティーを失ってしまうからです。自分が誰なのかがわかるのは記憶のお陰なのです。自分が誰なのか分からずに生きることになってしまったら、本人はそれでもいいのでしょうが、人間関係の上に成り立っている社会の中では不都合が生じ大変なこことです。

AIは地球のアイデンディティーの鍵を握っているとも言えます。今現在知りうる限りの地球の過去が集積されているからです。人間のアイデンティティーと地球のアイデンティティーとは違います。人間の記憶の中の思い出は時には私たちを慰めてくれたり励ましてくれたりするものです。思い出の中を彷徨っても、それを懐かしがっている主体は今ここにいるのです。この二重構造が人間です。勿論私たちは過去の思い出に縛られているだけではありません。今現在も色々なことをライブで体験していますし、日々心をしているとも言えます。未来に向かっての憧れも希望も持って生きています。未来はAIも統計から予測したりしていますが、私たちの生きた未来は未来の方からやって来る驚きを含んだワクワクしたものです。期待はずれのサプライズの連続です。心の中にはこうした過去と今と未来が交錯していてそれを感情と読んでいます。AIの感情というのがよくテーマになっていますが、とても興味深いところです。

今から百年ほど前のウィーンでのことです。心の中のそうした感情を整理して心理学というものが何人かの天才的な人の手によって作られました。それは少しずつ変化しながら今日に及んでいます。私は現代に心理学の分野に天才が現れるとしたらと考えるのですが、その一人は紛れもなくAIだろうと思うのです。百年の間のさまざまな流派の心理学体験を集大成しています。感情に関するもののほぼ全てが整理され保存されています。しかし他にも天才な仕事をする人がいると思っています。どのような天才がと言うと心理学を壊す人です。感情を整理するのではなく、感情を感情としてリアルに体験できるように導いてくれる天才です。感情を整理できることは素晴らしいことなのですが、整理されただけでは頭でまとめられているだけで、生きたものとは言えないのです。現実としy見えていないものがそこにはあります。その天才は一人の人間として登場することはないと思います。ではどのような天才なのかと言うと、私たちの心の中に直感として生まれるのです。私たちみんなが直感という能力に目覚めた天才だということです。

 

最近のYouTubeにやたらと登場しているAI小説の話は、昔風にいうと三文小説です。筋書きだけを綴れる文士と呼ばれていた人達が書いた下手くそな小説です。小説らしいものですが、小説と呼ぶには値しないものです。その作品に何が足りないのかというと文章の才です。私たちは小説を筋書きで読んでいるだけではなく、文章に運ばれて読んでいるのです。AI小説や、三文小説には文章力が決定的に欠けています。話の筋書きは辻褄が合っているのですが、意味だけの辻褄で、まるで箇条書きのような味気のない、インスタント食品のようなもので、命が通ってないものです。命を通わせているのは他でもない文章という魔力です。私たちは文章で読まされているのです。私たちも直感に目覚めると直感という天才によって小説が文章が書けるようになるかもしれません。

コンピューターのアップルの創始者ジョブスは若い頃から禅に大変興味を持っていました。禅によってそれまでも知っていた直感への評価が全く変わったのです。今までは単なる思いつき程度にしか評価していなかったのですが、禅によって直感が科学、つまりサイエンスだと認識できたのです。AIというの皮肉なことですが、コンピューターの分野のさまざまな天才的な人たち、例えばテューリングの科学的な直感から生まれたものなのです。そうしてみるとAIには天才になる素質だけは備わっていると言えるのでしょうか。

今はAIはまだ発展途上です。これからどんなことが起こるのか怖いような楽しみなようなです。「感情は整理などしないで直感で感じてください」なんて返事が返ってくるようになるのかもしれません。

 

 

沁みとおる音

2025年12月29日

最近またライアーを手にする時間が増えています。来年の二月から三月にかけて日本にゆくことを予定しているからです。練習するという感じではなく、ライアーにお伺いを立てるという感じでやっています。「ライアー様、どのような音で弾いたらいいのでしょうか」という感じです。

私としては弦をどのように処理するのかのところにライアー演奏の命が宿っていると思っていますので、そこのところをなんとか多くのライアーの仲間達に理解してもらいたいので、今日もそのことに触れてみたいと思います。

同じ弦楽器のヴァイオリン属と比べてみます。弓で弦を擦って音を作ります。ハープ、ギター、リュート、お琴は指ではじくので、ヴァイオリン属の楽器とは違います。擦る方が大きな音が出ます。指でつまびく時の音は遥かに小さな音です。撥弦楽器の魅力はこの音の小ささだと思っています。琴線に触れるという時、聞き耳を立てるような音をイメージするのですが、それは琴線がつまびかれているのだと思います。

ライアーを弾いていると、この楽器は既存の撥弦楽器とも少し違うことも感じます。何か違うものを求めているように思えてきます。そもそも早く弾けない楽器というのはこの楽器を特徴づけています(致命的と考えている人もいるようです)。早く弾こうとすると指が弦に触れている時間が少なくなってしまいます。そのため弦から生まれる音は必然的に貧弱なものになってしまいます。ゆっくり弾くことでこの楽器の持ち味が出てくるのですから、ゆっくりをお薦めするのですが、ゆっくり弾くというのは早く弾くよりも音楽的に難しいものだというところが理解しにくいところのようです。ゆっくり弾くと音と音との間の「間」が伸びて、隙間だらけのスカスカな、退屈な音になってしまうものなのです。この「間」を埋められるような豊かな音で弾くことがライアー的な弾く上で大事な点ではないかと思っています。

私の場合は弦を引っ掻いて音を出すのではなく、押し込んだ弦を離すということで音を作ります。弓道で弦(つる)を離す時のイメージです。弾力のある木や竹に張られた弦(つる)に弓矢をつがわせて弾力をつけて飛ばすあの瞬間です。ライアーの弦(げん)を押し込んで弾力つけて弦を離すことで音にするのです。指で引っ掻いて音を作っているのを見かけますが、これを習い初めからやってしまうと癖になってしまいます。しかし引っ掻いて音を出す方が簡単なのでついそうなってしまうのでしょうが、しかしライアーが求めているのは弾力を持たされた弦を離すことで生まれる音だと思っています。そのようにすると音を作るのに時間がかかりますから、当然のこととして早く演奏するのは難しくなります。

この弾き方に伴う課題の一つは指の力が相当必要だということです。できるだけ指を伸ばして指の腹で弦に弾力をつけなければならないからです。指は出来るだけ伸ばしてください。当然ですが指を伸ばすと動きが鈍くなります。彫刻をされる方から聞いた話なのですが、彫刻家の人たちが彫刻しようとしているものをデッサンするときに、よく腕を木の棒で手の甲までくくりつけて、指先の動きが取りにくくなるようにしてデッサンするのだそうです。小手先でデッサンするのではなく、体全体で肩を感じるためのようです。習字でも筆の下の方を鉛筆を持つように書くのではなく、筆の上の方を持って書けるようにする練習があると聞きます。不便を敢えて取り入れるということから体全体での上達を考えているのです。ライアーの時には、伸ばした指の動きが離す瞬間を見極めるのです。弦に弾力を持たせるのには指の力が必要です。そしてその後離す時ですが、その時には弾力を持たせるのときとは別の力が必要になってきます。それは力というよりも集中力という力です。肉体的というよりも精神力です。弓道の時も弓を離す時が一番難しいと言われるのですが、ライアーの弦を離すときというのも、そこが音が生まれる決定的な瞬間なので極めて重要なところです。そこで生まれた音が連なって音楽が作られるのです。

ライアーを弾くとは弦を離すところに命が宿っているのです。

このように弾くというのは不自然と感じられるかもしれません。でもこの不自然、不便というところを乗り越えることで豊かな音が生まれるのではないかと思っています。