朝の目覚め
朝の目覚めのひと時は不思議な時間で、日本では「早起きは三文の徳」と言い、ドイツでは「朝のひと時は唇から黄金が溢れでる」と言われます。朝の目覚めはみずみずしいのです。お昼までの午前中を含めることもあります。ドイツの文豪ゲーテは晩年午前中だけ仕事をしていました。作曲家シューベルトも午前中だけ作曲をして、午後は友人とウィーンの森を散歩し、夕方からは飲み友と一杯ひっかけていたと言います。
朝に、なぜそのような力を感じるのでしょうか。
目覚めを観察してみると、自分の意志で起きたのではないことに気づきます。何かに起こされたかのようです。当たり前のように毎朝起きてきますが、この当たり前が不思議と言えば不思議です。目覚まし時計で起こされることもあります。いずれにしろ自分の意志や意識は全く関与していなかったのです。夜寝るときに「明日は6時に起きる」と言い聞かせるように寝た時に、目覚ましの鳴るすぐ前に目が覚めることがありますが、それでも自分の意志で起きてきたのではなく自然に目が開いたのです。やはり何かが私を起こしたのです。そこに普段私たちが私と言っているものは一切関わっていないのです。
こんな魅力的な朝のセレモニーのことが何故長いこと放置されたままだったのでしょうか。理由は簡単です。そこは無意識の世界と言っていいからです。私たちの意志、知性、意識が全く入り込めない無意識の領域だからです。
眠りから覚め、朝食を済ませ日常生活に引き摺り込まれてゆくと、私たちは「考える人、知性の人、意識を持った人」に変わって行きます。寝ている間私たちは考えていなかったのです。意志も働いていませんでした。それなのに起きてこられたのです。と言うことは、考えずにやっていることの中には、なまじ考えてやっていることより偉大なことが含まれているのかもしれません。デカルトは「我思う、故に我あり」と言いましたが、今見たような観察からすると言い換える必要がありそうです。「思わずにいても、我あり」と。デカルトは知性が最高と思われた主知主義の時代の考え方だったのです。起きるという現象を前に、現代に至っても科学は手をこまねいているだけで、なす術もないのです。こんなシンプルなところで科学は立ち往生しているのです。
寝ていた時のことはどうもがいても思い出せませんが、起きている時のことは何年経っても思い出せます。寝ている時は記憶も関わっていないのです。こんなことに人生の三分の一ほどの時間を費やしているのです。かつてアメリカで寝ている時間がもったいないと考えた心理学を専門にしている人たちがいて、人間を何とかして寝ないで済む生き物にしようと研究したようなのですが、成功しませんでした。人間は寝ないでいると寝不足になるどころか狂ってしまうのです。疲労が溜まるといった簡単なことではなく、生死に関わる問題だったのです。
観点を少しずらしてみます。夜寝て昼は起きていと思っていますが、その区別はそれほど簡単なものではなく、起きているときにも寝ていることがあるのです。昼寝のことではありません。講演会で講師の話を聞いているとします。一時間の間ずっと同じ緊張感を維持することはできないのです。実はその一時間の間に他のことを考えていたりしているのです。それを一種の寝ている状態と死むのは考えていました。寝ていると外からはわからないほどの微かな眠りです。しかしその人の意識はそのとき講師の話に向いていないのです。
私の講演会を企画した人たちが講演録を作るために録音をしようとしたのてすが、マイクが私の声を取っていなかったため、後日関係者が集まって、各自がノートしたものを寄せ集めて講演録の下敷きを作ろうとした時のことです、輪になって座り順番にまとめたものを発表したのですが、驚いたことが起こったのです。例えばAさんが発表すると必ず何人かから「仲さんいつそんなことを話されたのですか」という人があらわるのです。Bさんの時もCさんの時もDさんの時も同じパターンで、一時間の話の中で聞いていなかったところが随所にあったことにみんなが気づいたのです。聞いていなかったのは他のことを考えていたこともあるのでしょうが、意識が講師の話から外れてしまっていたのです。それをシュタイナーは寝ていたと捉えていたのです。人間はずっと起き続けてなんかいられないのだそうです。起きている間でも、寝たり起きたりしているのだそうです。
長い時間瞑想をしている時も、寝ているような状態になります。脳波は寝ている時とよく似ているのです。そして瞑想から離れ、日常に戻ってくる時は、朝の目覚めとよく似た状態になります。ただ瞑想から戻ってくる時は人間の意志で決定して戻ってくるので、全く同じではありませんし、それで目覚めの不思議が解けたわけではありません。
しかし瞑想から戻ってきたときに目にする日常の現実はキラキラ輝いているものです。
何故目覚めるのかについては、シュタイナーの興味深い考察がありますが、非常に繊細なもので、それはいずれ独立したブログで後日紹介したいと思います。






