心の静けさとはいうけれど

2011年4月20日

心の静けさとは解っていないものです。

この年になっても本当に解っているのかどうか考えることがあります。

口で言うほどは解っていないかもしれません。

 

心のことは前世紀から随分積極的に言われるようになっています。

心理学、深層心理学といろいろな言葉を駆使して心のことを解釈しています。

でもそれが心だと、あまり思えないことがあります。

随分心は固い物として扱われているような気がするからです。

 

私は、心は動いているものと考えています。

自画像というのが似てはいるけど、やっぱり自分ではないと感じるのとよく似ているかもしれません。

自分というのは動いているので、自画像、あるいは写真で自分を見てもあまりじぶんに感じられないようなものです。

 

心は気楽に動いていて、それで心の健康を保っているのです。

周囲からの刺激が心の動きの原因です。

刺激が強すぎるとショック二なります。

このショックが大きすぎるとそトラウマです。

トラウマは心の中に塊を作ります。

そして、その結果心は動きが止められてしまいます。

心の中の思いが重くなってしまいます。

動けなくなった心は枯渇して、だんだん干からびてしまいます。

心のバランスが崩れます。

心の中の理性と衝動のバランが崩れてしまい、ついには行動の全てが衝動的になってしまいます。

心から生まれる感情生活に異変が生じます。

心は気楽に動きながら、ぼんやりと居るから忘れることができるのですが、固まって干からびた心にはそれができません。

心に塊ができ、心が干からびて行くと心は忘れることができないのです。

何時までもシコリにの様なものが心にある時、心はそこに縛り付けられてしまい、苦しんでいます。

 

静けさは心の自然な中心です。

そこから心の解放がうまれます。

心の中で固まってしまったものを解放することで、心に健康が戻ります。

トラウマとまで行かない塊が心にはいつもあります。

たとえば、皮肉なことに、「静けさを」と力んでしまうと、却って心に塊を作ることになります。

そしてその塊のまわりに想念が沢山集まってしまいます。

それは静けさと錯覚されることもありますが、全く逆のことです。

静けさは調和のとれた穏やかなものです。

穏やかさは心のバランス、他人と自分、周囲と自分の間のバランスがいい時のものです。

静けさの中で心の四頃理は溶けて行きます。

 

ある日、ぼんやりとライアーを弾いていたら、それがとってもライアーでした。

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