祈ることの難しさ

2011年4月26日

祈りたいのです。

今度の地震と津波で亡くなった方たちの冥福をです。

やっとのことで生きている人たちのことをです。

それが今の自分にできる唯一のことだからです。

 

それなのに私は祈ることが上手く出来ないでいます。

どう祈ったらいいのか正直言って解らないのです。

写経をしてみました。般若心経をです。

でも写経は心を集中するにはふさわしいものでしたが、私にはすこし遠い存在でした。

私の本性にもっと近いものがある様な気がします。

 

祈るとは、命を乗りだすことと昔なにかで読んだ記憶があります。

自分という命の枠を乗り越えて初めて祈りがあるということです。

自分という枠を越えなければ、祈りにはならないということです。

亡くなった方たちの冥福を、自分が祈るなんて驕りだということです。

 

どうしたら自分の枠が超えられるのか、私は知らないのです。

自分を超える瞬間、人間は何を思うのでしょうか。

自分でない自分がそこに居る訳ですから、大きな宇宙の力の中に溶け込んでしまうのでしょうか。

まるで雨水が、一滴の水滴が海の水に溶けてしまうように。

 

祈りました。

とにかくできる範囲で。

生まれたときに裸だった様な裸の自分がそこにいました。

そこで私は悲しいくらい無力でした。

しかし純粋なものが私の中を貫いていました。

私でありたいという欲が消えて、私は人間という固有名詞のない世界の住人でした。

それでいいのでしょうか。

というのか、それでしかないと思いました。

固有名詞が消えても私は私でした。

 

祈りました。

亡くなった方たちの冥福を。

固有名詞を捨てて。

生きてこれからの人生を見つめている人たちのことを。

自然の大きな力にも祈りました。

私の想像をはるかに超える自然の力に向かってです。

そこで私は、祈りには答があることも知りました。

自然は、自然の大きな力の前に立つちっぽけな自分を見せてくれました。

自然を守るという考えが自然を自分のものにしている驕りだということも。

 

祈りました。

しかし今だけ祈っているのでは意味がありません。

これからずっと入りの続けます。

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