ユーモアは言葉に出来ない

2025年12月23日

ユーモアは大切ですよ。

それはよく分かってます。

でもユーモアってなんなのかよくわからないのです。

ユーモアは言葉に出来ないですからね。

ではどうしたらユーモアを知ることができるのですか。

いい質問ですね。

例えばユーモアってどこにあるのですか。

ここ、あそこと言えるものではないですよ。

定義できないのですか。

できないです。

でもこの言葉はどこからきたのですか。

色々と辿れると思いますが、生きていることという意味だと理解しています。

生命に関わることなのですか。

生きる力そのものと言っていいかも知れません。

ユーモアって生物学の対象だったのですか。

ただし生物学を精神的レベルで理解した時にそう言えるのですが。

今の生物学とは違うということですか。

生命、つまり生きるというのは肉体を説明するだけでは足りないのです。

つまり解剖学では生命は語れないということですか。

病は気からという諺の通りです。

健康も元気も気からということなのでしょうか。

みんな気からです。

気というのは色々なところに見られますよね。

昔はよく分からないけど実態があるものを構わず気と名づけています。

電気、天気、元気などはあるものなのに分からないものですね。

ユーモアは気に近いもので、あることは分かっているのに説明するとずれてしまいます。

分からない理由が少しわかりました。

ユーモアがとにかくも分かってくる人を見る目が変わります。

ユーモアは人格にまで関わっているのですか。

いや人格を作っているものです。

人格そのものということですか。

人格というものもあるようでないものです。

分からない人にはいつまでも人格が何なのか分からないということですか。

まるで霞のようなもので、確かにあるのに触った瞬間に消えてしまいますね。

人格やユーモアが分かるためには一つの能力必要です。

ユーモアはここあそこに転がっているものではないのでしたね。

そうです見ようと思う人にしか現れないものなのです。

ユーモアは探せないのですか。

今のはユーモアだったという具合に、ある意味結果的にわかるものです。

いま目の前にユーモアがあるという風にはならないのですか。

訓練次第ではなれます。

どのような訓練でそうなれるのですか。

自分でガツガツ探すのを捨てて、向こうからくるものに身を預けられるようになる訓練です。

とてつもなく遠いいものに感じますが。

そうでもないです。

普段の生活ではなかなか出会えないようですね。

レッツゴー、って言いますよね。

よく使います。

これはただ「行くぞー」ということではないのです。

大抵は「さあ行こう」ということで理解されていますよね。

前進する機が熟したということなのです。

この時間的な機と先ほどからの気とはよく似ていますね。

どちらも時間と関係していますから、ほとんど同じものです。

時間ですか。

私たちの生きる姿は時間の中で表されているのです。

もし空間の中だけのことでしたら解剖学の対象になる死んだ体ということになります。

生きているということは時間の中のことだったのですね。

時間も計られる時には空間化されていますから死んだ時間です。

時間空間という言葉もありますね。

それは時間の本質ではないのです。

では時間とは何なのですか。

一番充実した時間というのは時間を感じていない、意識していない時なのです。

夢中になると時間を忘れることはよくありますがそういうことですか。

時間もあるといえばあるものですが、夢中になるというのは時間の中に入ってしまうことです。

私たちは時間を外から見ているのですか。

そういうことになります。

私たちはユーモアもやはり外から見ているのでしょうか。

言葉にしようとするのはそういうことですね。

ほんの少しユーモアのことが分かったような気がします。

今日はここまでです。

ありがとうございました。

 

 

 

 

コメントをどうぞ