下駄と健康靴

2026年3月30日

ドイツに下駄をお土産にしようと下駄屋さんに行ったのです。年配の女将さんがお店番をされていました。男物と女物の下駄を欲しいというと、サイズを聞かれ、しばらく探していくつかの下駄を並べてくれました。
「お客さんは下駄を買ったことはあるのかい」と聞かれたので初めであることを言うと、「じゃあ、いいかい、桐の下駄になさい」というのです。値段が高そうなのでしばらく考えていると「悪いことは言わないから桐にしなさい」と、しきりに勧めるのでなぜか聞いてみたところ、「桐のものは減りは早いが足にはいい」と最も簡単に答えるので、他にお薦めはないのかと尋ねると、「もちろんあるけど、桐がいいよ」と引き下がらないのです。
「下駄というのは履いているとその人の癖でいろいろな減り方があるものでね、そうなると履きにくくなる。でもそれがいいのだ」と女将さん、「下駄のするへりに癖がしっかりつくと歩きづらさを感じる様になる、そこから面白いことが始まる」というのです。その下駄が歩きづらくなると今度は本人が下駄についた癖を自分で直し始める、そこが下駄のいいところなのだそうです。
「難しくいうとね、癖というのはその人の平衡感覚の持つ癖で、癖のついた下駄は実に履きづらい。だから本人が歩きながらそれを元に戻すようになる。そこで今度は元に戻すようになる。そこで平衡感覚が鍛えられる」というのです。平衡感覚というのはバランスを取り戻そうとするときに一番活発なのだとはっきり言うのです。
確かに、私が昔施設で働いていたとき仕事の現場で担当した子どもの中に平衡感覚がしっかりしていない子どもたちがいて手をこまねいていたことを思い出しました。平衡感覚を鍛えるような器具を使ってもたいして役に立たなくて、凸凹道や山登りで岩がゴツゴツしているところや根っこで歩きづらくなっているところを歩かせる方が子どもは喜んだのです。初めは文句を言っていてもしばらくするとイキイキしてきます。器具を使ったときにはつまらなそうにやっているのに、凸凹の道は子どもが楽しそうに歩きます。平衡感覚がいい刺激を受けているのでしょう。感覚というのは刺激を受けると活発化するだけでなく心も明るくするものです。そんなことを私の仕事の経験から思い出していました。
女将さんは「健康靴というのは、足を保護してくれるので、足を悪くしている人には保護してくれるから必要なのかもしれないけど、普通の人は使っちゃダメ」と言うのです。「過保護なんだ」というのです。歩くときの足の感覚が弱ってしまうので、できるなら鼻緒のついた草鞋とか下駄が健康な人の足向きだというのです。今の若い人に言っても本気にしてもらえないと笑っていました。
靴が西洋から日本に輸入され普及する前、たとえば江戸時代まではもっぱら草履と草履、下駄が中心の履き物でした。移動は歩くしかなかったので毎日、しかも結構長い距離を歩いていたはずです。足を悪くしたという記録はないようで、かえって靴などよりも足を健康にしていたのかもしれません。特に、草鞋や草履や下駄は鼻緒を足の指でしっかりと挟んで歩いていました。足の指にはたくさんの神経が集まっていますから、鼻緒から元気をもらっていということになります。ドイツの知り合いの靴職人に聞いたときにも健康靴は必ずしも薦めないと言っていました。それより自分の足に合った靴を履く様にした方が健康にはづっといのだそうです。
私がお邪魔した山口の小郡幼稚園では、子どもたちが一本歯の下駄を履いて園庭を巧みに歩いていました。三歳児、四歳児がまるで現代版忍者のような足取りでした。毎日一本歯の下駄で歩き回り、バランスを崩しそうになりながら、バランスを取る戻す中で、しっかりとした平衡感覚が培われているのだと思いますした。
下駄なんて不便極まりない履き物です。しかしその不便さが私たちのそもそもの健康を支えるものだという、きつねにつままれたようなことに驚きを隠せません。

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